5.リバースデー② そこに疑う余地はない。
◇ ◇ ◇
吹きつける寒風が、グラウンドの砂を舞い上げる。
今日は風が強い。飛散した砂埃は高校からも飛び出して、遠くまで運ばれていくだろう。
(そういや近隣住民から、度々苦情が来てるんだっけか)
風にかき回された髪を適当になでつけながら、テスターはそんなことを思い出した。
地球人同士のいさかいになど興味はないが、存在自体がクレーム対象みたいな種族である身――または一時的とはいえ、生徒として在籍している当事者――からすれば、対処に追われる襷野高校に多少同情の念は湧く。
(って今はそんなこと、呑気に考えてる場合じゃないよな)
改めて周囲に目をやる。
年末の襷野高校は静まり返っていた。元々部活動の類いもほとんどなかっただろうが、念のためにと世界守衛機関の要請で貸し切りとなっているため、地球人はひとりもいない。今ここにいるのは、十数人の神僕だけだ。
右に立つセラは自分同様、特別護衛としてこの場にいる。そのきゅっと口を引き結んだ横顔から、兄のそばで待機したかったという思いがありありとうかがえる。
彼女を挟んでさらに右には、フリストが立っていた。こちらは護衛というより、放浪石の管理担当だ。彼のことはリュートに聞かされた――主にひどいめに遭ったという話で――だけでなく、何度か接する機会もあって多少は知っていた。その時にフリストから感じられた余裕のようなものは今はなく、眼前の女神にひたすら緊張しているようであった。
そしてテスターらの前方――正規の守護騎士たちに囲われるようにして、須藤明美が泰然と立っている。
彼女の中に女神が宿っていることが全神僕に通達されたのは、つい最近のことだ。多少の動揺は走ったものの、これといった混乱もなく皆が事態をのみ込み、今この場がある。
セラは自虐的に「まとまりが早いのは、主体性のない隷従種族だから」と言っていたが、テスターは少し考えが違っていた。
襷野高校に通う前は、ただ神僕の務めを果たすことだけを考えていた。自らの役割を達観したかのように受け入れていた。それこそセラの言う通り、隷従するだけの僕だったかもしれない。
だけど、訓練校という閉ざされた世界から外に出て、多くの地球人と触れ合って感じたことがある。そうなれば、さまざまな想いも巡る。そしてそれを経てもなお、女神のために生きることを貫くのであれば……それもひとつの主体性なのではないか。
恐らくはきっと、大人たちはそうなのだ。明瞭な部分だけを示された小さな世界で、知ったふうに割り切っていた自分とは違う。曖昧でやり切れない過程も経て到達した、本当の覚悟を大人たちはもっているのではないか。今ではそんなふうに思う。
「そろそろ時間だな」
耳に入った女神の言葉に、自分が再び物思いにふけっていたことに気づく。
「手筈通りだ。放浪石が渡元する際、私も一緒に次元を超える。そして堕神の意識の集合体を見つけ、話をつける。その後私は神室に戻り、力の回復に専念する」
女神は淡々と『手筈』を告げていくが、彼女自身分かっているはずだ。そのひとつひとつをこなすのは容易ではないと。
セシルは元始世界に行く女神に、護衛を付けることを望んだ。が、邪魔にしかならないと女神自身が一蹴した。そのため次元を渡ってからは、完全に神頼みということになる。
(……危険過ぎる)
本来なら、検討を重ねた末に少しずつ試みる事柄だ。
しかし状況は切羽詰まっている。その上、女神を巻き込んで渡元するほどの力をもつ放浪石など、そうやすやすとは見つからない。現状確認されているのは、アタラクシアで回収された石ただひとつだけだ。
そしてその石は計算上、本日16時ごろに渡元してしまう。だからやるなら、今しかないのだ。
「繰り返すが、私の力は万全ではない。元始世界に渡ったら、こちらの世界は無防備になり、一時的に幻出や顕現が増えるだろう。その間は、命に代えても地球人を護れ」
厳しく言い放つ女神に、
「分かってるわよそんなこと。あんたこそ、本当に堕神をなんとかできるんでしょうね?」
腕を組み、いらいらとセラが問う。
テスターからしてみれば慣れたことだ。が、フリスト始め正規の守護騎士たちにとっては、畏れ多過ぎて意味不明な光景だっただろう。彼らは不敬な態度を取るセラに、驚きやあきれのまなざしを向けていた。
当の女神は、むしろ楽しむようにセラのにらみを真っ向から受け止めた。
「目的が滅殺であれば無理だろう。だが今回は、和解の道を探りに行くのだ。それすら楽にいくとは言えぬが……約束しよう。今ある力の全てを懸けて、堕神の脅威は排除する」
「それは頼もしいお言葉ね」
「神だからな」
女神の不敵な笑みは、こちらの不安を払拭するのに十分な力強さをもっていた。
……そのはずなのに、一抹の不安がよぎってしまう。
(今まで試さなかったのは、そうしないだけの理由があったからのはずだ。その理由となる障害は、もう解消しているのか?)
思っても口に出してはいけないことは、世の中にたくさんある。これもそのひとつだ。
テスターは頭を振り、愚かな懸念を追い出した。女神がやり遂げると言っている以上、そこに疑う余地はない。いかに満足度の高い結果を出すかは、自分たちの働き次第だ。