4.死中求生⑤ 奇跡でも起こしてくれるの?
◇ ◇ ◇
昼下がりの陽が差し込む、総代表執務室。
セラとリュートとテスターは、執務机の前に立っていた。ただし身体は机にではなく、応接ソファを向いている。そこに泰然と足を組んで座っている、傲慢な女神の方を。
「で、なによ。学校ではできない大事な話って」
セラは腕を組み、いらいらと告げた。
理由は単純だった。横目でちらりと、左隣の兄を見やる。
白銀の髪と金色の瞳。
恐らくは視力の低下を隠すためだろう。リュートは転化した状態で立っていた。
呼びつけることで、結果として兄に負担をかけている女神が腹立たしい。セラがいらついている理由はそれだった。
「セラ。女神様に対して無礼だぞ」
執務机の向こうに立つセシルにたしなめられるも、セラはふんと鼻を鳴らして顔を背けた。ここ数カ月で、父のことはよりいっそう嫌いになった。
「構わぬ。この娘はこれが平常だ」
女神が珍しくフォローを入れてくるが、ただ気味が悪いだけでなんのありがたみも湧かない。
女神は続ける。
「白状しよう。この事態は当初、私が望んでいたことであった」
(そうでしょうね)
「だが本当は――迷っていた。迷っているうちに隙ができ、結果として当初の予定通りに事が運んだ」
(そりゃよかったわね。さすがは神様)
減らず口を胸中に押しとどめたのは、いちいち嚙みついていたら話が進まないからだ。
「予定通りに事が運んで……思い直した。私が堕神と話をつける」
「はぁっ?」
さすがに今度は口に出た。
「それができないからこうなってんでしょ。なあに、奇跡でも起こしてくれるの?」
「奇跡など起きない。だが希望と言っていい可能性は生まれた。回帰形態の堕神と意思疎通が図れれば、あるいは……」
「いくら回帰形態とはいえ話が通じるほどの自我はないだろうし、第一どうやって話しに行くのよ。渡元もできないくせに」
「放浪石」
それが魔法の言葉であるかのように、女神は力強く述べた。
「あれは渡元の際、周囲の空間もねじ切っていく。おあつらえ向きに、渡元を控えた馬鹿でかい放浪石があるだろう。あれ規模の渡元なら、私も共に次元を渡れる」
「危険です」
今度口を挟んだのはテスターだった。リュートの隣から一歩前に出るようにして、
「放浪石の気まぐれな渡元に身を任せるなんて……失敗したら、どうやってこちらに戻られるつもりですか? 須藤だっているんですよ?」
「そうよ、須藤さんまで巻き込む気? 彼女はあんたと同化してるのよ? 渡元の影響を受けないはずがないわ」
これだけ長い間身体を借りておいて、配慮しないとはさすが傍若無人な女神様だ。
そう思っていると、女神は意外にも答えを用意していた。
「須藤明美は置いていく。渡元時の因子振動を利用して、この娘と私を切り離す。魂の一部が須藤明美にもっていかれるから、本当ならあまりやりたくはない手段ではあるがな。成功率は高くないが、その辺りは復路の用意も含めて、ギジケンとやらの貢献に期待しよう」
「ギジケンって……フリスト先輩の?」
突然の抜擢に、セラは目をしばたたいた。
(まあ確かにフリスト先輩なら、研究チームに引けを取らないレベルの成果を出してると思うけど……)
「彼奴の研究は未熟ではあるが、私が迷わないよう、箱庭への道標を用意することくらいならできるだろう」
「テスターの申し上げる通り、危険です」
順番に反論をしているわけではないが、結果としてセシルが次なる反論者になった。いつになく厳しい面持ちで、女神を見据えている。
「フリストの研究を利用するとおっしゃるのなら、彼の研究品が実用段階に達するのを待って――」
「干渉因子の密度が大き過ぎて、彼奴の研究品では私を渡元させることはできぬ。どう改良したとしても無理だ」
女神は有無を言わさず断言し、
「もう決めたことだ。ただひとつの問題は……」
ソファから立ち上がり、神僕たちと順繰りに視線を合わせていく。試すかのように。
「私が渡元している間、こちらの世界は無防備となる」
「つまりは俺が頑張れってことか」
今まで黙っていたリュートが、口を開く。その言葉からは怒りも苦しみも、諦めすらも感じ取れなかった。
「頑張るだけでは駄目だ。やり遂げろ。愚鈍さは言い訳にならない」
女神は容赦なく厳しいまなざしをリュートに送った後、断言した。
「その代わりに保障する。どう転ぼうと堕神とは決着をつける」
◇ ◇ ◇
窓から陽光が差し込んでいるにもかかわらず、室内は重苦しい雰囲気に包まれていた。
女神が話を終えた後、彼女はリュートにだけ話があると言って、他の者を追い出した。この部屋の主であるセシルまでも。
「お兄ちゃんにこれ以上負担をかけないでよね!」と女神に嚙みつくセラ。「落ち着けよセラ。少しの時間だけだ」となだめるテスター。退室を静かに受け入れるセシル。
三者三様に部屋を出ていき、残されたのはリュートと女神だけになった。
自分たち以外には誰もいないのだと意識した途端――怒りが、込み上げてきた。
「なんだよ。あれじゃまだ言い足りないってのかよ」
腕を組み、あさっての方を向きながら吐き捨てる。
摩耗していたはずの感情がささくれ立ち、爆発先を求めていた。
正義を盾とする糾弾は、自分を棚に上げるのに都合がいい。危険な誘惑だと分かってはいるのに、飛びついてしまう。
……アスラを失ったのは、お前のせいだと。
女神に罵声を浴びせ、徹底的に痛めつけてやりたい衝動に駆られた。それを抑えつけるのに必死だった。
こんな状態で会話を続ける自信はない。一秒でも早く立ち去りたい。
リュートの気持ちを知ってか知らずか。目の前に立っている女神は、棘を含んだこちらの言葉を無視して、いつも通り一方的に告げてきた。
「やり遂げろ」
「だからそうするって言ってるだろ」
「貴様がやり遂げるなら、私もやり抜こう」
「そりゃ頼もしいお言葉だな」
リュートは正面は見ず、かたくなに窓へと視線を注いでいた。空舞う鳥を見ている方が精神衛生上よっぽどよい。
と、目の前に少女の顔が割り込んできて、鳥の姿がかき消える。
わざわざ眼前まで回り込んできた女神は、こちらの目を見て聞いてきた。
「転化を解かないのは、侵食が進んでいるからか?」
「ただのイメチェンだよ。銀髪がマイブームなんだ」
女神を避けるように身を転じると、追いかけるように言葉が届いた。
「私は謝らない。神は謝罪しない」
「知ってるよ」
「……神じゃなかったら、最期までそばにいてくれたのか?」
「? 神だからこそ、そばにいるんだろ」
「……そうか。そうだな。それが貴様の役割だものな」
「……女神?」
なんとなく違和感を覚えて、リュートは肩越しに振り向いた。すると、
「貴様など嫌いだ。いつだって歯向かって、私の元から去っていく」
やはり一方的に言い捨て、女神はリュートを素通りして部屋を出ていった。
ひとり残され、ぽつりとつぶやく。
「なんなんだ、あいつ……?」
そんなことあるはずがないのに。
なぜだか女神が、泣いているように見えた。
◇ ◇ ◇