3.鬼哭啾々⑤ こんな光景は見たくなかった。
◇ ◇ ◇
どうしてそんな行動を取ったのか。余計な真似をすれば、むしろ害になるだけなのに。
それはたぶん、遊園地での後悔が尾を引いていたからだ。
心ない一言を謝る機会を、一生失ってしまうのではないかと怖くなった。
いやもっと単純に、友人が傷つくのを傍観することに、耐えられなくなったからなのかもしれない。
振り返ってみればそれらしい、さまざまな推論にたどり着くことができただろう。
しかし行動に出たその時あったのは、血をまき散らして吹き飛ぶ友人を見て、外に飛び出したという事実だけだ。
「龍登君!」
「君、待ちなさいっ!」
銀貨は守護騎士の制止を無視して、龍登に駆け寄ろうとした。
しかし後ろ襟をつかまれ引き戻される。
その後は切り取られたワンシーンをパラパラ漫画で見るような――つまりはひどく他人事のような――感覚で事が進んだ。
こちらに気づいて疾走してくる鬼。
守護騎士が銀貨をかばうように、入れ違いに前へと出て――迫ってきた鬼がするりと透過した。
「そんなっ……」
予想してしかるべきだったのに、それができなかったことを嘆く声。
透過した鬼は銀貨の眼前で腕を振りかぶる。
銀貨はそれを呆然と見上げて。
雨をもはじき返すような衝撃に、否応なくその身を任せた。
◇ ◇ ◇
ミスを取り返すには遅過ぎた。
しかしそれ以上の被害を防ぐため、リュートは彼らの元へと向かった。
流れる血は身体を伝う雨水と合流し、服を染め上げていく。
腹部が熱いが傷の程度は分からない。負傷の事実そのものが雨に溶け込み、自分を見失っていく。
頭の中には堕神の叫声。
それをかき消すようにリュートは吠え、振り返ろうとする堕神を袈裟斬りにした。
――痛イ痛イ痛イッ! 女神ガ憎イ世界ガ憎イ……オ前ガ憎イッ!
シンクロする感情。自分へ向かう憎しみに返せる正論もなく、自己嫌悪を超えた自己への殺意にのみ込まれる。
そこから抜け出せたのは、皮肉なことに痛みの共有のおかげだった。
内蔵ごと嘔吐してしまいそうな吐き気をのみ下すと、待っていたのは見たくもない現実だった。
そう、こんな光景は見たくなかった。
しかしリュートの行いの結果――いや、行わなかったことの結果として、角崎凜が血まみれで倒れていた。
「角崎っ!」
消失する堕神と入れ替わるように、リュートは凜の脇にかがみ込んだ。彼女を挟んで向かいの守護騎士が、負傷の具合を確かめている。そのそばでは銀貨が尻もちをついたまま、ぐったり横たわる凜を見つめていた。
銀貨が堕神に襲われる直前、凜が彼を突き飛ばしたのだ。おかげで銀貨は難を逃れたが、堕神の爪は凜の腹をえぐった。
(俺が……もたついていたせいで)
こんな光景を見ないために、やり抜くと決めたはずなのに。
「動かしても大丈夫そうね……ひとまず守衛所まで運ぶわ!」
守護騎士が後方を振り向き、待機していたテスターとセラが駆け寄ってくる。セラが無線から口を離して言う。
「医療班、すぐ来るそうです!」
「ありがとう――聞いてた? すぐ手当てするからね。大丈夫、傷は深くないわ!」
「それでも……じゅーぶん……痛い……んだけどっ……」
テスターと守護騎士のふたりに慎重に抱え上げられながら、おなかを押さえて凜がうめく。
我に返った銀貨が、彼女に近寄った。
「角崎、なんでっ……」
「分かんない……でも、ずっと思ってた……」
うっすらと目を開けて、凜が銀貨を見上げる。
「たぶんどう謝ったって……たとえあんたが許したって、私がやったことは……消えない。そんな当たり前のこと、後になって気づいて……気づいたら怖くなって……助けたらチャラになるかもって……思ったのかもっ……」
自分で言って気づいたように目を見開き、凜はぐしゃっと顔をゆがめた。顔を打つ雨が頰を流れ、まるでむせび泣いているかのように見える。
「私は、こんなことすら自分のためで……やっぱり私は嫌なやつでっ……!」
「な……なに言ってんだよ、僕はお前に助けられたんだぞ⁉」
「ごめ……なさっ……」
それ以上は雨の音にかき消されて、聞くことができなかった。
凜を運ぶ守護騎士とテスター。セラと銀貨がそれに続くが、セラはリュートが膝を突いたまま動いていないことに気づき、駆け戻ってきた。
「お兄ちゃんも手当てを――」
「俺は後でも問題ない。今はとにかく角崎だ」
「でもっ……」
「大丈夫だから。ただ少し休憩したい。だから行ってくれ」
「……じゃあ、すぐに守衛所まで来てね」
「ああ」
セラは後ろ髪引かれるようにではあるものの、言われた通り凜の元へと向かっていった。
ひとり残されたリュートは守衛所に戻るでもなく、ただ雨の中立ち尽くしていた。
(すまないアスラ……)
堕神が痛がっても怖がっても関係ない。絶対に滅殺しなければならない。
(俺はやり抜く。たとえ堕神から、虐殺者だと罵られても)
実際そうなのだから、動じること自体がずうずうしいのだ。
視界を塞ぐように張りついていた髪をのけると、ちょうど黒髪に戻ったところだった。どうもアスラの力を使っている時は、髪と目の色が彼女のそれと同じになるらしい。
(そんなの……なんの慰めにもならない)
会いたいのに。会いたくてたまらないのに。
雪の夜に消えてしまった少女は、どうしようもなく遠かった。
髪をのけても、激しい雨が視界をかすませる。
リュートは舌打ちをして、守衛所へと足を向けた。次の顕現に備えて、身体を休ませておかなければならない。
(……俺は、やり抜くんだ。絶対に……)
ここで折れたら、失うだけになってしまう。
――翌月曜日。襷野高校で、リュートの休学届が受理された。
◇ ◇ ◇