2.絶遠六花⑨ 雪が舞い降りていく。
◇ ◇ ◇
しんしんと雪が降る。
敷地内の反対側で起きている顕現騒ぎなど、まるで存在しないかのように。
アスラは静かに、ただ空を見上げていた。
動かぬ彼女に雪が降り積もり、少しずつ白に染めていく。
それはテスターや自分も同じだ。
雪が縁取る輪郭は存在の証し。今ここにいるからこそ積もっていく。
なのになぜ目の前の少女は、こうもはかなく映るのだろう。
「アスラ……あなたはなにがしたかったの?」
「リュー君の隣にいたかった。一緒に明日を迎えたかった……あたしはきっと、ずっとずっと前から、リュー君に会いたかったんだ」
空の向こうになにかを見るように、言葉を積み重ねるアスラ。
「楽しかったなあ……リュー君とだけじゃないよ? セラちゃんやテス君たちと過ごした全てが、あたしに刻み込まれてる。一瞬一瞬が楽しくて、泣きたいくらい……あたし、幸せだった」
「信じてもらえないけもしれないけどさ」
と前置きして、テスターが苦笑する。
「俺、君と過ごす時間は、結構楽しくて好きだったんだぜ」
「ありがとう」
アスラは微笑み、懐から懐中時計を取り出した。
「持っていきたい気もするけど、残していっていいかな? せめて一緒にいたいから」
そう言って時計を手渡してきたアスラの手は、半透明に透けていた。
「アスラっ……」
もう時間がないのだと、セラは焦燥に駆られてスマートフォンを取り出した。
もう何度目にもなる無意味な操作を繰り返し、やはり応答のない電話口にいら立ちをぶつける。
「なにやってんのよお兄ちゃんは!」
「俺が直接呼んで――」
テスターが反転し、なにかに気づいたように言葉を切る。
彼の視線を追って、運動場の入り口へ目を向けると――
「お兄ちゃんっ⁉」
ふらつきながらも、こちらに走ってくる人影があった。
セラは一刻も早くふたりを引き合わせようと、
「アスラ! お兄ちゃんが来――」
振り返ってアスラへと伸ばした手が、行き先を失い空をかく。
たった今アスラが座っていたはずの場所。
そこには誰もいなかった。
◇ ◇ ◇
「アスラが……消えた?」
声が震える。
たった今見た光景が信じられず、足が止まる。
一瞬だ。
たった一瞬で世界が変わった。
彼女のいる世界から、いない世界に。
ほんの一瞬前。テスターとセラがこちらに気づき、アスラも確かに顔を向けた。
この暗がりだ。表情など分からない。
だけど、微笑んでくれたような気がした。
そう思った次の瞬間、アスラの姿が消失した。
そこになんの重みもなかった。現象としてただあっけなく消えた。
だけど消えてしまったそれは、リュートにとってはたとえようもなく重い存在だったのだ。
「なんだよそれ……俺が喰ったって……俺のせいだって言うのかよ⁉」
憤りにも似た思いが口を突いて出る。
「そんな馬鹿な話があるかっ……アスラが消えるなんて……」
動くことを拒む身体を無理やり動かし、足を踏み出すリュート。
「戻って来てって言ったじゃないか……戻って来たのに、お前はどこにいるんだよっ……」
身体を引きずるようにして、リュートは前へと進んだ。
やがてアスレチックの台の上、アスラのいた場所にたどり着く。
雪が積もっていなかった分、その部分だけぽっかりと、台の表面があらわになっている。
「アスラ、なんで……」
リュートはうな垂れ唇を嚙んだ。
「お兄ちゃん」
背後から遠慮がちに声がかかる。
振り向くと、セラとテスターが立っていた。
「これ、アスラがっ……」
顔をくしゃくしゃにゆがめた彼女から、なにかを手渡される。
「……つくづく俺は無様だな」
リュートは自嘲の笑みを浮かべ、手にした懐中時計を見下ろした。
「こういう時は、ギリギリ間に合うもんじゃねえのかよっ……」
時計を強く握りしめ、額に押し当てる。
よろけた背中がアスレチックの柱にぶつかり、リュートはそのままずり落ちるようにして座り込んだ。
そのまま時は過ぎ、とうとうテスターが口を開いた。
「リュート。そろそろ報告に行かないと」
「俺は……もう少しここにいる」
そう答えるのを予想していたのだろう。テスターは検討の時間も挟まず後を続けた。
「分かった。じゃあ俺たちで言えることは、先に報告しておくから。ちゃんと後で学長の所へ行けよ」
「ああ」
振り向きもせず小さく答える。目線は先ほどから、アスラのいた場所に固定されたままだ。
「……お兄ちゃん……私たち、もう行くね」
「ああ」
ふたりの足音が遠のいていく。
アスラのいた場所に、雪が舞い降りていく。徐々に白く染まっていく。
時間が経つほどに、雪が積もっていく。
少しずつ、少しずつ。
アスラのいた証しが消えていく。
それがどうしようもなく許せなくて、悲しくて。
懐中時計を握りしめ、降り積もる雪をただ見ていた。
◇ ◇ ◇