2.絶遠六花⑧ こういう、ことかよ……
「ぐ……がっ……⁉」
脇腹を押さえてのたうち回る。死ぬほどの激痛なのに死ねない。そんな痛みだ。
同時に湧き起こる激しい感情。
――憎イ、憎イ憎イ憎イ憎イ憎イッ! 殺シテヤル殺シテヤル殺シテヤル殺シテヤルッ!
残魂に憑かれた時の比ではない。
頭に心に爪の先まで、全身に満遍なく広がる負の感情に圧倒され、心が潰されそうになる。
肘がなにかを小突いた。視界の端に映った残像でそれが、いつの間にか落としていたスマートフォンだと知る。
「く……っそぉ!」
リュートは四つん這いになると、額を思い切り地面に打ちつけた。
衝撃で意識が途切れた一瞬にすがりつき、なんとか感情の主導権を取り戻す。
「畜生……こういう、ことかよ……」
ぜえはあと息を荒らげ、うめく。
声に出す必要はなかったが、口にすることで多少なりとも痛みをごまかしたかった。
「アスラのやつ……せめて事前に教えてくれよな」
汗ばんだ額から血を滴らせ、リュートは歪な笑みを浮かべた。
「だ、大丈夫か君っ⁉」
「大丈夫、です」
誰かが助け起こしてくれるのに身を任せ、よろよろと立ち上がる。
「今堕神を斬ったのか? なぜ君だけ斬れる?」
「それについては……後できちんと、報告します。俺もまだ……ちゃんと理解できてなくて」
せっつくように聞いてくる守護騎士に、リュートは確実なことだけを答えた。
「分かった……では恥を忍んで頼みたい」
声から伝わる困窮の念。
若い守護騎士は苦しそうに、続きの言葉を絞り出した。
「君がなにがしかのダメージを負ったのは、見て分かる。その上で――もう1体やれるか? 俺たちの緋剣は通用しないんだ」
「問題ありません」
もとよりそのつもりだった。
「すまない。よければ俺のを使ってくれ」
男から緋剣を差し出され、自分が緋剣を落としていたことにようやく気づく。恐らくは地面に倒れた時だろう。
「ありがとうございます」
遠慮なく緋剣を受け取り、リュートは後ろを振り返った。
そこにいたのは、堕神と5人の守護騎士。
守護騎士たちはリュートを護るため、身をていして堕神の注意を引いてくれていた。
「…………」
リスクは分かった。
命を奪う代償を知った。
あとはもう一度やるだけだ。
リュートは深く息を吸うと、姿勢低く足を踏み出した。
緋剣を発動させたリュートが堕神の間近まで来たところで、守護騎士たちが一斉に退く。
彼らの隙間から姿を現した堕神は、リュートを知覚するのに一歩遅かった。
先ほどと同じく残像のように視える、中年の女性らしき人影。
謝るつもりはなかった。
どのみち斬るのに、形だけ取り繕うような真似はしたくなかった。
だというのに、
「すまないっ……」
結局吐き出してしまった己のずるさを嫌悪しながら、リュートは緋剣を堕神の鳩尾に突き刺した。
憎悪がはじける。
――女神ノ奴僕ガ! 同胞ヲ喰イ殺シテ得タ力デ、ナニヲ言ウカ!
「なっ……」
明確な自我を感じさせる思念に驚き、リュートは緋剣を刺した体勢のまま堕神を見上げた。頭部にある赤い《眼》には、知性の光が宿っているように見えた。
が、それを確信する前に代償がやって来た。
「がぁっ……」
痛み。憎悪。そしてまた痛み。
あらかじめ覚悟していてもなお耐え難く、血濡れの緋剣に寄りかかるようにして膝を折る。
次の瞬間には堕神が消失し、リュートは足裏で踏ん張ることでなんとか転倒を防いだ。
「大丈夫か⁉ しっかりしろ!」
駆け寄ってきた守護騎士に支えられながら、額に手を当てる。出血のことを忘れていたため、べっとりと血が付いた。
しかしそんなことよりも、気になることがあった。
(なんだ? さっきなにか、大事なことが……)
堕神の自我に驚かされ、なにか大事なことを聞き流してしまった気がする。
体内を乱反射する痛弾に気を持っていかれながら、リュートは必死に頭を巡らせた。
女神の――
同胞を――
なにを言うか――
奴僕――
得た力――
同胞を――ろして――
喰い殺して――
(同胞を喰い殺して……?)
「まさかっ……⁉」
目を見開き、思わず立てた爪が額の傷をえぐる。
「あ、おい君! 手当てをしないとっ……」
守護騎士の制止を無視して、リュートは痛む身体に鞭打ち駆けだした。
◇ ◇ ◇