1.怨嗟胎動⑨ その一言を聞くたびに救われる気がする。
◇ ◇ ◇
「アスラ、起きてるか?」
ノック後に聞こえてきた「起きてるよー」という返事を受けて、リュートは扉を開けて中へと入った。
ベッド上のアスラは、上半身をもたれさせて本を読んでいたようだった。リュートを見ると、本をサイドテーブルに置いて笑顔で迎えてくれた。
「学校お疲れさまー。今日は写生会だったんだっけ」
「ああ、自然公園に行って描いてきた」
ベッド脇の丸椅子を引いて腰掛ける。
「いいなー、楽しそう♪ あたしも描きたかったなあ。リュー君の描いた絵も見てみたかったし」
「もう提出しちまったよ」
「だよねぇ」
「今度一緒に描きに行くか? 今日行った場所は無理だろうけど、近場のちょっとした公園なら許可も下りるだろ。描くだけなら、ここの屋上庭園でもいいし」
「いいねそれ♪ あたしうまく描けるかな?」
「セラの画力を受け継いでなけりゃな」
苦笑しながら、サイドテーブルに備えつけの引き出しへと手を伸ばす。中には大量の採血キットが収納してあった。
うち1袋を取り出して、リュートは封を切ろうとした。その手をアスラの両手が抑え込む。
顔を向けると、ひたりとこちらを見据える彼女と目が合った。
「リュー君駄目だよ。これ以上は」
「大丈夫だって。血を抜くのには慣れてんだ。これくらいじゃ倒れたりしない」
「でも……」
「君が元気にならないと、一緒に公園にも行けないだろ?」
「……うん。ごめんね、ありがとう」
その一言を聞くたびに救われる気がする。
リュートはそっとアスラの手をどかし、採血キットの封を開けた。
◇ ◇ ◇
「じゃ、しっかり休めよ」
言って、後ろ手に閉めたドアに数秒ほど背中を預けると、リュートはゆっくり足を踏み出した。我慢の限界に達した右脚をかばうように。右腕は力なく揺れるに任せて。
(次はもう少し、休んでから行った方がいいな……)
痣は顔には出ていないし、血まみれの制服も着替えた。決してバレてはいないはずだ。
小ずるく考えながら同時、そんな自分に反吐が出る。排除された堕神をアスラが連想しないようどれだけ立ち回っても、現在進行形で堕神が排除され続けていることを、彼女は知っているというのに。
(くそが……)
かしいだ身体が、無意識に壁へと寄りかかっていた。右腕を圧迫されたことで刺激された痛覚に、小さくうめき声が漏れる。
リュートはいったん立ち止まり、懐から増血剤のケースを取り出した。乱雑な手つきで5、6錠ほど手のひらに出し、一気にのみ込む。と、
「お兄ちゃん」
背後からかかった声に、リュートは内心毒づいた。どう考えても口うるさい正論が避けられない声など、今は聞きたくなかった。
「どうした?」
リュートは振り向き、ふらつく身体をごまかそうと、左拳を壁に当てた。しかしそれがいけなかった。
振り向いた先にいた相手――セラが、リュートの左腕を見ている。真新しいガーゼが貼られ、袖がまくられたままの左腕を。
「アスラに頻繁に血をあげてるの? それでここ最近、顔色が悪いの?」
怒りすらにじませて問い詰めてくる彼女に、リュートは素っ気なく答えた。
「任務に支障は出てねーんだから、別にいいだろ」
「よくないわよっ、増血剤濫用してるじゃない! なにやってんのよお兄ちゃん!」
「……知らねーよ」
「自分のこともっと大事にして! なにかあったらどうするのっ⁉」
「じゃあどうすりゃいいんだよ⁉ このままだとアスラが危ねえんだ!」
拳を壁にたたきつけて、リュートは怒鳴った。
「俺が彼女にしてやれることなんて、これくらいしか……!」
セラはひるまず、きっぱりと返してきた。
「罪悪感で優しくされたって、アスラはきっと喜ばないわ」
正論だ。やはり妹は正論しか言わない。
だけどリュートが求めていたのは、心地のいい欺瞞だった。
「俺は……俺にできることをする」
つぶやき、逃げるように背を向け歩きだす。
(俺の魂が本当にあいつと同じなら……償いはあってしかるべきだろう……?)
しつこく食い下がってくるかと思ったが、セラは追いかけては来なかった。
◇ ◇ ◇




