1.怨嗟胎動⑦ これが正道
リュートは明美に駆け寄ると、先ほどまで自分がいた場所を指さした。
「テスターの所に行け! 俺は鬼を排除する」
「大丈夫なのか。だいぶ腑抜けているようだが」
「お前っ……」
思わず怒鳴りそうになり、リュートは口をつぐんだ。必死に自分を抑えながら、言い直す。
「大丈夫だ。いいから下がってろ」
「そうは見えないから言っているのだ。貴様の士気は私の安全に関わる。分かっているのか?」
「……下がれっつってんだろ」
低くうめくような声に、明美――いや女神が、これ見よがしにため息をつく。
「まったく、つくづく貴様らは。魂が同じなら土壇場の軟弱ぶりも同――」
「あいつと一緒にすんじゃねえっ!」
とうとう声を荒らげ、女神に鋭く言い放つ。
「俺はあいつとは関係ない。お前はいつも通り、自分の身だけ護ってろ」
「言われなくとも」
恐らく女神が浮かべたであろう尊大な笑みは、背を向けて走りだしていたため見えなかった。というより、見たくないから背を向けた。
(ちっ……向こう岸で排除するつもりだったのに)
余計な口論を挟んで出遅れてしまった。
幻出した堕神はすでに、つり橋を渡り始めていた。数メートルの幅があるとはいえ、できればこんな不安定な場所で排除したくはなかったが……
(いいさ別に、ここならここで野次馬も寄りにくいだろ)
前向きに片づけて、堕神に向けて緋剣を構える。
堕神の身体は、膝より下だけを床板に埋もれさせていた。これなら姿を見失うこともないだろう。
そう思った時、堕神が進行方向を変え、床板の下へと姿を消す。
(くそ、頭が回るタイプか!)
リュートは跳び上がって欄干へと着地した。間を置かずに靴裏で欄干を蹴り、斜め後方へと飛びのく。背後から襲ってきた堕神の爪が空を斬るのを横目に、身体をひねって緋剣を振るった。血の刃が堕神の右脚をえぐる。
リュートが床板に着地するのと、堕神が振り向くのは同時だった。しかし結果として先手を打ったのは堕神だった。
《――ヲカエセッ!》
「っ⁉」
堕神から聞こえてきた声に、踏み出しかけた足が止まる。よくよく見れば堕神の身体は、所々がねじくれていた。
(回帰形態⁉ どういうことだ?)
この世界では見られないはずの堕神がいることに、衝撃を受ける。
それだけではない。こちらを向く堕神の顔がゆがみ、ぶれて、他の顔へと差し替わった。赤いひとつ目から、目鼻口のそろった――人間の顔へ。そして秒も待たずに、異なる人間の顔へと次々と差し替わっていく。
老若男女の高速スライドの中で、ひとりの顔が焼き印のように強烈な印象を残した。
「お前は――カークっ⁉」
一瞬で消えてしまったが間違いない。
赤銅色の髪に、怒りと絶望が張りついた顔。精錬世界で見たゼリアの民、カークだった。
(つまりこいつは、カークの魂を核とした堕神っ……)
個体識別ができてしまったことで、惑いが生じた。
なにを――誰を斬るのかが分かってしまった。
自分は神の使徒。世界を脅かすものを排除する。だから目の前にいるのは敵だ。
それがたとえ古の時、暴虐な女神に苦しめられた者たちだったとしても。
(これが正道……本当に?)
迷うリュート。対して堕神は揺るぎなかった。
《メ……ガミ! コロシテ、ヤル!》
ぐずついた僕は無視して、本命を獲りに行くことにしたらしい。堕神が女神のいる岸に向かって走りだす。
(しまった!)
慌てて後を追うリュート。しかし追いつくことに必死で踏み込み過ぎていた。
床板を蹴って斬りかかると、堕神は巨体をひねって器用にかわし、リュートの左腕をつかんできた。
そのまま右腕だけの膂力で、リュートを後方へと放り投げようとする。
「――くそっ!」
リュートは緋剣の柄を口にくわえ、両手で堕神の右腕にしがみついた。遠心力を利用して蹴り込んだ脚を堕神の首に絡みつかせる。リュートは欄干の上を越え、堕神は欄干自体を透過し――両者ともに橋から落ちる。リュートの存在感に引きずられているのか、堕神の落下も止まらない。
リュートは体勢を変えて、堕神を自身の下へと敷いた。同時に口から緋剣を離し、逆手で握り直す。
「っ……!」
脇腹と右脚に痛みが走る。堕神の爪が刺さっていた。
構わず緋剣を振りかぶるリュート。
その時また、堕神の顔がぶれた。
《クロイ……アクマガッ!》
呪詛のごとく吐き出された言葉を、リュートは。
「俺は……違うっ!」
憤怒の顔ごと緋剣で押し潰した。
◇ ◇ ◇




