3.終局のディスペラート④ 月光が照らす顔は病的に青白い
◇ ◇ ◇
神僕の聖典ともいえる女神教書には、女神を描いた絵画が何点も載せられている。それらはなぜか、月下の場面であることが多い。
単純に、神秘的な雰囲気が好まれて選択されているのだろうと、今までさして気にも留めてこなかった。
だがこの世界の月明かりに照らされて思うのは、案外女神自身、月に思い入れがあるのではないかということだった。
そう思うほどに幽玄で壮麗な情景が、月下の湖に広がっている。
徐々に包囲を狭めてくる村人たちの声から逃げるように、テスターとセラは湖畔へとやってきていた。
ここに来るまでの間に、呪いに関する自分の考察は、夢で見た光景も交えてセラに話してある。
残り2撃を肩代わりせず、アルファードに『返す』ことで呪いから解放される……テスターはそう踏んでいた。
雑草を遠慮なく踏みつけ走りながら、セラが問うてくる。
「で、アルファードはどこにいるのよっ?」
「神の石の元にいるらしい」
「それで、神の石はどこにあるのよ⁉」
「湖のどこかにあるらしい」
「ちょっともう!」
よほどいらっときたのか、足を止めてまで地団駄を踏むセラ。
「探す気あるの⁉ 自分の命に関わることでしょ!」
「もちろんあるさ」
セラを促すように手招きし、テスター自身は止まらず進む。
「アルファードの最期を見た時、彼の後ろに見えたんだ……湖の岸にある巨大な岩。たぶんそれが神の石だ」
「それを先に言ってよね!」
鋭く叫んで、セラが追いついてくる。
「でもなんで、アルファードは死んだままなのかしら。時間が戻ったのなら生きているはずだし、そうなったならロザリアも、ふたりで逃げるなりなんなりすればいいのに」
「時間の逆行は、あくまで呪いを遂行するための仮想現実だ。呪いの当事者だけは時間が戻らな――」
あれ? と思考が途切れる。
「……君はなんなんだ?」
「はあ?」
ぶしつけな問いが癇に障ったのか、多少険のある声が返ってくる。
「セラは呪いに関係してないのに、時間の逆行に取り残されている……どうして君は戻らない?」
「存在感が足りてないからじゃない?」
「……そうか」
速攻で返され、ようやく気づく。
この世界においても、自分の体重が軽いことには気づいていた。箱庭世界と同じ……いや恐らくは、それ以上に。
とはいえその異常体重は神僕にとっては普通であるし、困ることでもないので、特に抵抗なく受け入れてしまっていたのだが……
体重が軽いということは、セラの言う通り存在感が足りていないということだ。
(ってことは意外に、俺呪いでも死ななかったり?)
などと考えてもみるが、さすがに試す気にはなれない。現時点で身体に異常が認められているならなおさらだ。
湖はさして広くもなかったが、それでもグラウンド程度の面積はありそうだった。
半周ほど走っても目当てのものは見つからず、多少焦りが見え始めたころ。
「テスター君! あそこ!」
セラが指さした先。確かに岩影を見つけ、テスターは足を速めた。
あまりに急いたので一度通り過ぎそうになり、つんのめるようにして立ち止まる。
そこにはあったのは大きな岩だった。湖を背景にどっしり構えている。
「これが神の石か」
「ただの岩じゃない。放浪石でもないし」
一目見て興味をなくすセラ。
「村のやつらにとっては神の石なんだろ。それに少なくともこっちは、俺にとって確実に有益だ」
テスターは持っていた小刀で、岩の手前を指した。
岩の周囲には野草が群生していた。それを一部押し潰すようにして、木製の棺が置いてある。岩が神の石というなら、棺はまるで捧げ物のようだ。
「ここにアルファードが……?」
おずおずとセラが言う。
彼女が躊躇する気持ちも分かる。
(俺だって気が引けるけど、仕方ないだろ)
テスターは胸中でアルファードに謝り、棺の蓋を外した。
中に横たわっていたのはまだ20代半ば、といったところの男だった。手を組まず直立姿勢なのは、そういう慣習なのか、あえて組ませていないのか分からない。
腐敗の兆候は見られないが、心臓と右の脇腹から出血の跡があった。真っ赤に染め上げられた衣類はまだ湿っているのに、血の臭いは全くしない。
月光が照らす顔は病的に青白いが、血なまぐささがない不自然さも手伝って、死んでいるというよりは眠っているように見えた。
遺体を傷つけるという行為には、生理的な嫌悪感を覚える。
が、悠長に構えてもいられない。耳に届くざわめきは大きくなりつつあった。村人が近づいてきている。
テスターは意を決して、小刀をアルファードの左大腿部に突き刺した。
生きているかのように柔らかい感触だった。すぐさま小刀を引き抜くと、鮮やかな血が流れ出た。
顔をしかめつつ、不幸な青年の右手に刃先を移す。そこでまた一突き。だが……
「出血しない……?」
それは死体としては普通なのかもしれないが、この遺体に限っては違和感があった。加えて、今つけたばかりの右手の傷が、目に見えてふさがり始めた。
「どういうこと? 脚の傷はちゃんと残ってるのに」
納得いかない様子のセラ。
テスターは記憶をさらい、思い至った。苦々しくうめく。
「まさか、同じようにって武器もなのか」
(今度は条件厳し過ぎるだろ……)
などと思うがどうにもならない。確かアルファードが受けた傷は、左大腿部以外全て矢傷だったはずだ。
「ねえ、結局どういうことなの?」
「弓矢が必要なんだ」
(くそ、またしくじった……!)
結局自分はしくじってばかりだ。取り戻せない失敗に絶望する。
(この段階で呪いを解くはずだったのに)
岩陰に逃げようにももう遅い。
矢をつがえた集団が、テスターたちを包囲していた。
◇ ◇ ◇