2.安寧のディソナンス② あなたの名前は?
◇ ◇ ◇
「ちっ……」
刃が食い込む左腕を見据え、ギルティークは舌打ちした。
放っておけばよかったのだ。
わざわざ割って入って、こんな怪我を負う必要はなかった。
そもそも対象に接触を図ることは、許されていないのだ。自分の役割はあくまで、神子の力が極値に達した時の《反転》。達する前に神子が死亡してしまった場合は、次の対象が現れるのを待つだけだ。なのに……
自分でも訳の分からぬ失態に、歯ぎしりをする。
(くそ。こいつが楽しそうに歌うから……)
この娘は四六時中歌っている。陽気な歌、哀しい歌。ひとつひとつに想いを、魂を込めて。
少女が死んでしまったら、もう歌が聴けない。
そう思ったら自然と身体が動いていた。
「……な、なんだお前?」
ギルティークに傷を負わせた男が、動揺した声を出す。
突然出てきて、その身で短剣を受け止める男。予想外の出来事に男たちは戸惑い、動きを止めていた。
硬直からの脱却を待つ義理もない。ギルティークは己の腕に絡めるようにして、男から短剣を奪い取った。滑らかな動作で短剣を引き抜くと、軌跡に合わせて血しぶきが舞った。
赤いしぶきを見てようやく、男は動揺から脱したようだった。一歩分後ろへと退き、
「なんなんだてめえは! やるってのか⁉」
「やらねえよ」
ギルティークはすげなく吐き捨てると、奪った短剣を逆手に持ち直した。同時にダンッと足を打ち鳴らす。それを合図に、男の前で空間がはじけた。
目をむく男。しかし彼を驚かしたいがための爆発ではない。
はじけた場所から、赤い煙が空高く打ち上がる。
「な、なんだ⁉ てめえも魔法使いか⁉」
こちらを凝視しながら、信じられないというように吐き出す男。証しの褐色肌ではないことに、戸惑っているのだろうが。
ギルティークはそんなことにお構いなく、続けた。
「警邏隊が使用する、緊急煙幕弾と同じものだ。すぐにやつらが飛んでくるぜ」
ざわつく男たち。
「俺があんたらだったら、警邏隊に捕まる危険は冒さないね。もっと別の場所で狩りをする」
彼らにとっては、獲物がパルメリアである必要はない。ここで意地を張ることの無意味さを、ギルティークは強調した。その上で、
「俺はどっちでも構わないけどな。ただ」
血まみれの左腕を見せつけるように掲げ、上唇をなめる。
「俺は、ちょっとやそっとじゃ死なないぜ」
「くそっ……行くぞお前ら!」
悪態をつき、男たちが撤退していく。
それが見せかけではないと分かるまで待ってから、ギルティークは歩きだした。少女に警告の言葉を残し。
「この辺の治安はそう悪くないとはいえ、もっと気をつけるんだな」
「待って! 手当てをしないとっ……」
パルメリアが追いすがってくるが、ギルティークは歩みを止めない。
「問題ない」
「大ありだよ!」
なんとしてでも引きとどめたかったのか、パルメリアはつかめるものを、とにかくつかんできた。
ギルティークの左腕を。
ずりっと、皮と肉がずれる感覚。もちろん尋常じゃなく痛い。
「ちょ、もげる……」
「きゃっ、ごめんなさい!」
さすがに立ち止まって左腕をかばうと、パルメリアが慌てて飛びのいた。
しかし彼女はめげずに、血まみれの両手のひらを見せつけてきた。ギルティークが男たちにしたように。
「でもほらやっぱり、手当てが要るよ! あたしの家近くだから、一緒に行こ」
「いや、あんたにもがれるまでは要らなかった」
「ってことは今は要るんだよね?」
「あんたのせいでな」
「要るんだよね?」
「助けるんじゃなかったほんと助けるんじゃなかった」
呪文のように繰り返し、ギルティークはため息をついた。
「あたしはパルメリアっていうの。よろしくね」
圧し勝ったことに満足したのか、パルメリアが自己紹介をする。
(ずっと監視してたんだから、名前なんてとうに知ってるけどな)
「それで、あなたの名前は?」
聞かれて言葉に詰まる。
本当は、こうして話すのすら許されない。名乗っていいはずがない。
「教えたくないの?」
「…………」
沈黙を貫く以外に選択肢はない。
「仕方ないなあ。じゃあ勇者様って呼ぶね」
「ギルティークだ」
即答すると、パルメリアは満面の笑みを浮かべた。
「じゃあギル君だね」
「ギルく……」
「そう呼ばれるの嫌?」
純朴なまなざしに見上げられ、
「……別に」
なんだかもうどうでもよくなった。
◇ ◇ ◇