1.罪障のリフレイン② 帰ってきたのね!
木々が立ち並ぶ場所へと足を踏み入れ、下草をかき分け進んでいく。始めはゆっくりと。後ろを一瞥して、セラがちゃんと付いてきているのを確認した後は、少し歩調を速めて。
進むうち、最初は小枝を踏む音にもかき消されるほど小さかった声が、次第にはっきりとした存在感を放ち始める。
そろそろ目印でも付けた方がいいかと考え始めた頃、草木の障害物が消えて視界が開けた。
端から端まで視界いっぱいに広がるのは、大きな湖。水面には上空の月が映し出されており、実際以上に夜空が広大に感じられる。
「テスター君、あそこ」
いつの間に接近してきたのか、セラが耳元でささやき、ある一点を指さす。
セラが指し示した先の湖畔には、人影がひとつ。
遠目では分かりづらいが、恐らくは若い女性。腰ラインを超すほどの長髪で、湖のほとりにたたずんでいる。
テスターたちはそろりそろりと――なんとなくだが、気づかれたら逃げられてしまうような気がしたのだ――彼女との距離を縮めていった。
湖に向かう彼女は祈るように両手を組み、ずっとなにかの言葉を発し続けている。近づいているこちらの気配に気づかないほど、必死に。
「……うか、彼を返……てくだ……」
(なにかを祈っている?)
いや。
(懇願……か?)
静かに乞い願うよりももっと強い切迫感が、その声からは感じられる。悲愴な決意をたたえた巡礼者のような雰囲気を、彼女は漂わせていた。
5メートルほどまで距離が近づいたところで、彼女がテスターらの存在に気づいた。
「アルファードっ⁉」
驚愕に目を見開き、同時にこちらへと駆けてくる。
「アルファードっ! 帰ってきたのね!」
「っ⁉」
テスターは思わず後方に跳んだ。彼女が飛びかからんばかりに突進してきたから――だけではない。想定外の言葉を聞いて、身体が警戒体勢に入ったのだ。
「彼はアルファードではありません!」
テスターと彼女との間に、バッと割り込むセラ。
それによって初めてセラの存在を認識したとでもいうように――実際そうなのかもしれないが――彼女が、はっと立ち止まる。
「アルファードじゃ、ない?」
続いて当惑した面持ちで、テスターを見つめる。
年は20代半ば、といったところか。月明かりのせいかもしれないが、愁いを帯びた顔つきが印象的だ。
「俺はテスターといいます」
テスターは彼女の視線を受け止めて、軽く片手を上げた。
「そっか、そうよね……」
落胆した様子で、彼女が肩を落とす。
「ごめんなさい……私、早とちりしちゃって」
「いえ……でもそんなに似てるんですか? 俺とその、アルファードって方」
問われると彼女はついと顔を上げ、改めてテスターをまじまじと見つめた。
「どうかしら……背は頭ひとつ分違うし、年もたぶん、10歳くらいは離れてるかな。目鼻立ちや骨格も全然違うっぽいし……」
つまりは全く似ていないということなのだろう。
「それにしても、あなたたち」
彼女は今度は、セラも含めてこちらの格好にざっと目を通した。
「この辺りの住人じゃなさそうね。格好も見かけない感じのものだし。そのなまりからすると……北部出身かしら?」
「……あの、私たちちょっと困っておりまして。道に迷った? みたいなんです」
「俺たちは神僕で、日本という国の、アタラクシアという施設からやってきたんです」
やけに丁寧な補足をするテスターに、セラはいぶかしむ様子もない。どうやらセラも、同じ懸念を抱いているようだ。
反対に女の方は、テスターの言葉に完全に混乱したようだ。
「シンボク? ニホン?」
「それで、ここは一体どこなんですか?」
テスターは食い気味に質問をした。疑問符いっぱいの彼女に、懸念はさらに大きくなっていた。
彼女は、疑問点はひとまず無視することにしたらしい。答えられることだけを、簡潔に返してきた。
「ここはミホナ村よ。大陸南端の。まあ小さな村だし、知らなくて当然よね」
ざわざわと胸が騒ぐ。
彼女はこちらの不安をくみ取ったのか、気遣うように続けてきた。
「困ってるならひとまず、私の家で休んでく?」
「いいんですか?」
「ええ。これも女神様のお導きだわ」
にっこりと、慈悲深い笑みを浮かべる女性。まさか自分が発した言葉が、テスターたちの不安をさらにあおったとは、夢にも思っていないだろう。
彼女は言った。女神様と。
(それに……)
テスターもセラも、とっさに彼女の言葉に合わせていたが。
彼女が使う言葉は、日本語でも英語でもない。
彼女が流暢に話していたのは、神僕の言語――始語だった。
◇ ◇ ◇




