5.新世界にて⑤ 絶望的に空を仰いだ。
◇ ◇ ◇
(なんだよもう!)
事態に完全に置いていかれ、銀貨は胸裏で叫んだ。
急に明美の様子がおかしくなったり、地震が起きたりして、ひとつひとつに付いていけない。テスターにはこの場で待っていろと言われたが、地震は収まったしもう動いてもいいだろう。
(だいたいこういう時は、僕が須藤さんを頼もしくリードするんだろ。なんでテスター君なんだよ)
ふつふつと違和感が込み上げる。
いつもこうだ。後になってから相手をやり込める言葉が見つかる。頭の中で過去をやり直すと、大抵は自分が強いのだ。
テスターと明美を探して歩くが、それぞれの展示部屋から3つの通路が伸びているので、どれを選べばいいか分からない。
すぐに追いかけなかったことを銀貨が後悔していると、通路のひとつから、明美が歩いて帰ってきた。
「須藤さん、テスター君たちは?」
「見失った」
硬い口調と表情が気にならなかったといえば嘘になるが、やっと明美とふたりきりになれたのがうれしいというのも、正直な気持ちだった。
「まあ、そのうち会えるよ。任務なら邪魔しちゃ悪いし」
気軽に言って明美の手をとる。だが内心、緊張のあまり心臓が四散する思いだった。
「……そう、だね」
恥ずかしそうに明美がうつむく。いつもの明美だ。そしてなによりここが重要なのだが、照れくさそうにしながらも嫌がるそぶりは見せていない。
(デートだ……ちゃんとデートだ! 須藤さんと! 手もつないでる!)
幸せに浸っていると、またふと彼らのことが思い出された。
(気になるけど……大丈夫だよね。帰りに合流すればいいし)
溢流せんばかりに満ち満ちた幸せの泉に、その程度の懸念など、些細なインク染みにすぎなかった。
(必要があれば向こうからアプローチかけてくるだろうし……その時に、態度が悪かったことも謝ろう)
楽観的にいけばいいさと、銀貨は明美の手を引き歩きだした。
――しかし。
帰り際どころか新学期初日になっても、銀貨はリュートたちに謝る機会を得られなかった。
◇ ◇ ◇
なによりも真っ先に感じたのは痛みだった。次いで頰に伝わってくる、冷たく湿った感触。
「……っ」
身を起こした際に思わずついた左手に、灼けるような痛みが走る。謎の放電体に灼かれたのだと思い出し、どくりと心臓が跳ね上がる。
今自分がいるのは星躔ドームの――屋内のはずだった。
しかしどうだろう。ドームどころかテーマパーク丸ごとどこにもなく、座り込んでいるのは湿った土の上だ。季節外れの冷気が身を包み、闇夜のためろくになにも見えない。
手探りで簡易ライトの明かりをつけ、ゆっくりと立ち上がる。
まずは負傷箇所の確認だ。明かりに照らされた左手はただれてはいるものの、欠損などはしていないようだった。化膿でもすれば治りが遅くなるだろうが、これくらいの傷ならさほど心配することもないだろう。左手首に着けていた腕時計は衝撃をもろに受けたらしく、文字盤はひしゃげて針は動きを止めていた。
材料が足りなさ過ぎて、なにが起きたのか推測すらできない。
リュートは絶望的に空を仰いだ。
(くそ、こんな明かりじゃなんも分かんねえ。木が茂ってるせいで月明かりも届かねーし……)
枝葉のシルエットからのぞく紫の月から目をそらして、いら立ち交じりに息を吐き出し――
「っ⁉」
目をむき、再度空を見上げる。
しかし何度目をしばたたいても、天に昇っている月は紫色をしていた。
予感が先走り、ライトで足元を照らしながら早足で歩く。視界さえよければ全力で走っていたところだ。
踏み出した先に地面がないことに気づくと、リュートは足を止めて前を見た。
どうやら自分は、山や丘のような場所に立っているらしい。
開けた場所から見えた麓は、やはり暗がりに沈んでいたが。
彼方の空に、紅い月があった。
そして頭上には紫の月。
ふたつの月――いや、月といっていいものなのかどうか――を見比べながら、気づく。当然認知できるはずの空間座標が、認知できないことに。
「ここは、どこなんだ……?」
周りの景色が現実離れしている分、頰を伝う汗の感触が、やけにリアルに感じられた。
《第6章》僕らの夏休み――了