4.アタラクシア① ここからが正念場だ。
◇ ◇ ◇
窓に切り取られた風景が、後ろへ後ろへと流されていく。
一定のリズムで電車に揺られながら、銀貨は大きな満足を感じていた。
「楽しかったね」
隣に立つ明美が笑いかけてくる。
電車内は空いていたので座ってもよかったのだが、こんな時は隣に座っていいのか、いけないのかが分からなくて、なんとなく立つ方向にもっていってしまった(それについては少し後悔している)。
「うん、本当に楽しかった。でもごめんね須藤さん。なんか無理やり付き合わせてしまって」
銀貨は今日までの経緯を思い出し、申し訳なく付け加えた。
体験入学の話が本格的に進み始めた頃、自宅に書面が郵送されてきた。そこには体験入学の条件として、明美の参加が提示されていたのだ。
渡人の交流学生――龍登たちのことだ――と親交の深い者に複数参加してもらい、交流の活発化をよりいっそう促す試みが云々かんぬん。詳しいことはよく分からなかったが、まあ『せっかくだからいっぱい仲良くしようね』的なことなのだろうと結論づけた。
銀貨としては明美と一緒に参加できるのは、幸せの2段重ねで文句など出ようはずもない。
しかし明美はどうだったのか。体験入学の参加は快諾してくれたものの、もしかしたら気を遣って合わせてくれただけなのではないかと、今更になって思い始めていたのだ。
そんな銀貨の不安を、明美はあっけなく吹き飛ばす。
「ううん、私も渡人の学校って興味あったし。さっきも言ったけど、本当に楽しかったよ」
「そ、そっか。ならよかったっ……」
はにかむような明美の顔が不意打ち過ぎて、銀貨は慌てて目をそらした。
「あのさ。それで、お礼といってはなんなんだけど……」
ここだ。
ここからが正念場だ。
鞄の内ポケットから2枚のチケットを取り出し、なるべく自然に見えるように差し出す。
「父さんが仕事の関係で、これをもらってきてくれたんだ」
「これってアタラクシアの?」
明美の言う通り、それは県内にあるテーマパークの1日パスチケットだった。
(そういえば、セシル総代表はなんでここを気にしてたんだろう)
疑問符が浮かぶ。
銀貨たちが訓練校を出る間際、セシルが挨拶に現れた。そしてなぜだか、彼はアタラクシアの話題を振ってきたのだ。
地球人はともかく、渡人の長が注目するような施設には思えないのだが……
(……って、それは偏見か。渡人だろうと誰だろうと、楽しそうなものには興味もつよね)
浅はかな主観を正し、ふと思考がずれていることに気づく。
自分はよほど逃げ腰になっているようだと情けなくなり、銀貨は心の中で両頰をたたいた。
(さらっと言えばいいんだ、さらっと。もし断られても、別に気にしてないけどって感じで返せばいい。気を張ってるのがバレる方が恥ずかしいじゃないか)
しかし持ち主の意思に反して心臓の鼓動は速まり、頰は火照り始めた。
もしかして耳まで真っ赤になっているのではないかと思うと余計に恥ずかしさで顔が熱くなり、
「よければ今週末にでも一緒に行かない?」
結局はうつむき加減に早口でささやいてしまう。
(バレバレじゃないか! やっぱりやめとけばよかったっ……)
猛烈な後悔の嵐に身をさらしていると、目の前から声が届いた。
「○×△」
心臓の鼓動が頭の中で反響してよく聞こえなかったが、「いいよ」と聞こえた気がする。そうでないような気もする。
(馬鹿、なんできちんと聞いてなかったんだ!)
しまったと思いパッと顔を上げると、幸いにして明美はもう一度言ってくれた。
「うん、一緒に行こ。私ここ一度行ってみたかったんだよね。うれしいっ」
天にも昇る心地だった。体験入学の時とはまた別の天だ。つまりこの2日間で異なる場所へと2回も昇天したということで、銀貨は興奮のあまり卒倒しかけた。
が、そんなそぶりを見せるといろいろ台無しにしかけない。あくまで平静に振る舞うことに徹する。
「ゆゆゆゆるキャラとか好きだったよね? こ、ここの着ぐるみはかわいいって評判だから、須藤さんなら絶対気にぃると思うよ」
「ほんと?」
「本当さ!」
「わぁっ、楽しみにしてるねっ」
「うん!」
座らなかったのは正解だった。
立っているからこそ、こんな近くで笑顔が見られる。
◇ ◇ ◇