3.アスラのドキドキ☆2DAYS⑥ 違う。
◇ ◇ ◇
「おっはよーシル君っ!」
指の付け根が裂けんばかりに手を開き、アスラは部屋――総代表執務室の主へと元気よく呼びかけた。
「おはよう」
執務机から返ってくる事務的な声。いつものやり取りだ。
だからいつも通り、挨拶を終えるとすぐに反転した。
「じゃああたし、リュー君の所に行ってくるね♪」
「待ちなさい」
そう引き止められるのは、いつもの流れにはない展開だった。
だが今日に限っては、引き止められるのは分かっていた。
「やっだなあ、冗談だよシル君。今日もここにいればいいんでしょ? 分かってる分かってる」
頰に流れる一筋の汗を隠すように、笑顔で半身振り向く。思った通り、セシルが執務机越しにこちらを見ていた。
「あくまで世間話だが……昨日この部屋に帰ってきたら、誰もいなかった。待機するよう命じられていたはずの誰かも」
「ええっと……」
「そういえば今日はやけに来るのが遅かったな。私と顔を合わせたくないのかと、危うく誤解してしまうほどに」
「その……」
「私になにか言いたいことはないか?」
「き、昨日は、ちょっとだけ外の空気を吸いに行ったんだ」
「それで?」
「……ごめんなさい」
「素直に謝れるだけ、どこぞの馬鹿息子よりは好印象だな」
それだけだった。
それ以上セシルはなにも言及せず、机上の仕事に粛々と取り組んでいる。
逆に居心地が悪くて、アスラはセシルに恐る恐る近づいた。
「怒ってないの?」
「君が、昨日どこにいたのかは把握している。なんの対策も取らず、堕神を野放しにするはずがないだろう?」
顔も上げずに、滔々とセシル。
彼の言葉を額面通り捉えるならば、アスラを拘束しない代わりに、監視の類いを付けていることになる。部屋に盗聴器があるのは知っていたが、室外における行動まで筒抜けとなると、衣類に発信器でも仕込まれているのかもしれない。
(ま、それならそれで別にいいけどねっ)
行動範囲が制限されるよりはるかにマシだ。
「じゃあ無事仲直りってことで――なにして遊ぼっか、シル君♪」
「昨日と同じものでいい」
相変わらずの温度差で即答するセシル。
「りょーかーい♪」
アスラは鼻歌交じりに応接テーブルまで行くと、テーブル下の収納棚から、平らな箱を取り出した。
それを天板に置いて蓋を開けようとした時、
「違う」
セシルは短く告げると、執務机の天板をトントンとたたいた。
「ここに置きなさい。でないと私がルーレットを回せないだろう?」
「……うんっ」
うれしくて、箱を抱きかかえてスキップでセシルの元まで行く。
しかし箱を机に置いたところで、室外から足音が聞こえてきた。少なくともリュートのものではない。
セシルへ視線を転じると、彼はその目でなにかを訴えていた。
アスラが執務室にいる時に訪問があった場合、求められるのは2通りの対応だ。
ひとつはリュートなど、アスラを知る者が訪れた場合。これは特段なにかするわけでもない。
ふたつ目は、アスラを知らぬ者が訪れた場合。これは身を隠す必要が出てくる。
今回は後者のようだとセシルの目から察し、アスラは小回りで彼の後ろへと回り込んだ。そのまますすっと窓際へと行き、カーテンと窓の間に身体を滑り込ませる。厚ぼったいだけのカーテンも、こういう時は役に立つ。
扉がノックされ、セシルが返答する。
「失礼します」という言葉とともに、誰かが部屋へと入ってくる気配。
「どうした?」
「少々気になる件が出てきまして。今よろしいでしょうか?」
「構わん」
声からするに、セシルと話しているのは年配の男のようだった。たぶん事務局員かなにかだろう。
アスラはカーテンを揺らさないよう細心の注意を払いながら、耳を傾けた。別に聴き取る必要はないが、聞いて損するものでもない。