3.アスラのドキドキ☆2DAYS② 『なでなで』
◇ ◇ ◇
静かな室内に、カタカタと無機質な音だけが響く。
そこに無理やり分け入るように、アスラは声を上げた。
「じゃあ、シル君の分のルーレット回すからね?」
「ああ」
止まることのないタイプ音に重ねて、淡泊な答えが返ってくる。
パソコン画面から一瞬も目を離さないセシルを恨みがましく見つめてから、アスラは正面にある応接テーブルへと顔を戻した。
テーブルの上にはボードゲームの盤面が広げられており、ふたり分の駒が抜きつ抜かれつゴールを目指していた。
競っているのがふたりかどうかは怪しかったが。
(……むう)
アスラは顔をしかめて、盤面に付属のルーレットに手を伸ばした。少しばかり乱暴に回された円盤がツメに引っかかり、カタカタと音を立てる。セシルのタイプ音と大差ない音のはずなのに、こちらはなぜか情けなく聞こえる。
「えっと……10! 10進めるからね?」
「ああ」
「……1、2、3、4、5、6、7、8、9、10っ――ねえシル君。株買えるみたいだけど、どうする?」
「君に任せるよ」
「任せないでよー!」
とうとうアスラは叫んだ。
「シル君の駒だよっ? これじゃあ、あたしがあたしと競ってるだけじゃん!」
「そんなことはない。それは私の駒だからな」
「ルーレット回すのも駒動かすのも就職や保険加入を決めるのも、全部あたしがやってるじゃん!」
「しかしその都度承認している」
「そんなの全然意味ないよ!」
鋭く返して、ソファから立ち上がる。そのまま一跳びで執務机に飛び乗ると、パソコン画面をパタンと閉じた。
セシルが、わずかばかりまぶたを押し上げる。
「……他人のパソコンを勝手に閉じるのは暴挙だ。そして土足で机の上に乗るのは野蛮だ。セラからもらった知識には、そんな常識も含まれていないのかね?」
「これはお仕置きだからいーの! 目の前の人物に真摯に対応してない罰!」
指をセシルの額にずびしと突きつけ、さらに言い募るアスラ。
「というか暴挙に関しては、シル君人のこと言えないじゃん。いつもリュー君いじめてさー。この前のクッキーもさ、あたしシル君のこと信じたのに……だますなんてひどいよ!」
「ほう、痛いところを突いてくるな」
「一応自覚あるんだ……」
「いや――ああまったく、君といるとどうも調子が狂う」
実際頭に不具合が生じたかのように、セシルは眉をひそめて側頭部に手を当てた。
「確かに、君に対して礼節を欠いていたな。ここからは私もちゃんとゲームに参加しよう」
「ほんとっ? ありがとうシル君!」
ご褒美に『なでなで』してあげようと、アスラはセシルの頭へと手を伸ばした。が、室外に生じた気配にその手を引っ込める。
待っていたかのようなタイミングで、コンコンコンと扉がノックされた。
「入れ」
扉へと視線を転じ、セシルが答える。その口ぶりからするに、扉の向こうに誰がいるのか分かっているようだった。
そう思ったのはアスラも、ノックの主を足音から察していたからだ。そして答え合わせはすぐ行われた。
「失礼します」
あくまでそれがマナーだと割り切った口調で、ドアの向こうから声が聞こえてくる。次いで、ガチャリとドアが開いて彼が姿を現した。
「リュー君っ!」
バッと机を飛び降り、彼の元にホップステップジャンプするアスラ。
「うれしいっ! 会いに来てくれたんだ!」
ホールド体勢の両腕をするりと抜け、彼――リュートは困ったように頰をかいた。
「あ、いやえと……悪いアスラ。学長に用事なんだ」
「えー」
むくれた声を上げると、彼は再度「ごめんな」と言い、セシルへと顔を向けた。
「グレイガン教官がお呼びです」
(ガンちゃん来てるんだ)
そうなると、会えないのは少し残念だ。グレイガンは手厳しいことも言うが、ざっくばらんな態度は嫌いじゃなかった。
「用事があれば直接私に連絡が来るはずだ」
セシルが、机上のスマートフォンに目を落として言う。
対してリュートはどうでもいいとばかりに、事務的に補足した。
「確実にお連れするためとかで、自分にご用命いただきました」
「……分かった――君はここで待っていなさい」
セシルはアスラに向けて言うと、立ち上がって歩きだした。リュートもその後に続くが、思い出したようにこちらを振り返る。
「アスラ」
「なあにリュー君っ?」
君がいないとやっぱり寂しい――なんて言葉を期待していなかったといえば嘘になる。
だからリュートが腰の剣帯からカートリッジをひとつ取り出し、
「これでしばらくもつよな?」
と投げてよこした時、正直ありがたさよりも落胆が先立ってしまった。
「う、うん……ありがとう」
カートリッジを受け取り、礼を言う。
普段リュートはあまり血を分けてはくれない。自分の血を摂取されるのが、生理的に受けつけないらしい。その代わり、そばにいることで神気を分けてくれる。今回血をくれたのは、それだけ一緒にいられないということなのだろう。
リュートにとってはあくまでその程度のことなのだ。別に寂しくなどない。会えないことなど毛ほども気にしていないと宣告を受けたような気分で、アスラはむなしく彼らの背中を見送った。
(あたしばっかり寂しくて、こんな所にひとりぼっち……)
なんだか不公平な気がしてきた。そんなつまらない妬みが、ある事柄に気づかせる。
セシルは出ていき、誰も見ていない。
(見られなきゃ……バレなきゃ別に大丈夫、だよね?)
アスラは悪戯を思いついた子どものように、にんまりと笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇