2.楽しい体験入学~2日目~⑧ 一生次の機会は来ない気がして。
◇ ◇ ◇
今この場から逃げ出せるならば即座に退散したいと思う反面、ギリギリの距離から様子をうかがいたいと思う自分もいる。
そんな拮抗する感情の折衷案として選んだ訓練メニューだが、どうやら間違っていたようだ。
「くらえリュート!」
「お前のせいで腕が削げたじゃねえか!」
「俺なんか頭割れたぞオラァッ!」
「だああもう! いつまでもねちねち恨んでんじゃねーよっ! つかそんな動けるなら全然軽傷じゃねーか!」
テニスボールの集中砲火を浴びながら、リュートはぎこちなく身体をひねった。
レオナルドの話が終わった後、特殊第2運動場へと場所を変え。
彼の実践指導を受けるか、エリザベスが見るラビット&フォックス――RAFに参加するかの2択。
リュートが後者を選択すると、同じくRAFを選んだ仲間たちはリュートにウサギを押しつけ、自分らは次々とキツネに立候補した。彼らはせっかくだから難易度を上げようなどと吹き、結果として、リュート対他多数の意趣返し大会が開催される運びとなった。
「痛っ! お前ら長引かせるために、わざと的外してんだろ!」
背中に受ける衝撃に怒鳴りながらも、リュートはアスレチックを進んでいく。
一瞬、それこそわざと的に当てさせようかとも思ったが、エリザベスが止めない以上は――切実に止めてほしかったが――これも訓練だ。投げ出すわけにはいかないし、そんな姿を見せるのもなんとなく嫌だった。
(って、こんな無様な姿見せてたら同じだけどなっ……)
胸中で叫ぶ。散々なありさまだった。
いつの間にか傷口が開いていたようで、頭はずきずきと痛むし、手足の負傷が滑らかな体さばきを阻害する。
しかもうっかり、ポケットにあるスマートフォンをエリザベスに預け忘れてしまった。自分のはともかく銀貨の物を壊すと洒落にならないため、スマートフォンをかばう前提の動きとなるのが地味につらい。ただでさえ的の紙風船を気にかけなければならないというのに。
それでもなんとか中間地点まで進んだ頃。
「みんなー! 鬼が集まり始めてるから用心してね!」
エリザベスの警告が耳に届く。危機感を感じさせない声なのは、まだ幻出前――亜幻出の状態だからだろう。亜幻出は、必ずしも幻出につながるわけではない。その状態から鬼が次元をずらして初めて、こちらの世界に干渉できるのだ。幻出せずにそのまま別の場所に消えてしまうことも多々あるらしい。
(まずい……)
雲梯の上に着地し、足は止めずに一筋の汗を流す。
明美――女神がいるのだから、亜幻出が多いのは当然だ。しかしこの展開は非常にまずい。
そう思ったのを図ったかのように、背後数メートルで次元がずれる。
幻出だ。
「任せたリュート!」
「地球人は俺らに任せな! だから心置きなくお前は死ね!」
「やっぱそういう流れか⁉ せめてひとりくらい手伝えよ! おいっ⁉」
瞬刻も迷わず撤退していく仲間に、リュートは罵声を投げつけた。背後を振り向くさなか、脳裏にグレイガンの言葉がよみがえる。
「命を預ける仲間とは、よく言ったもんだぜ」
たっぷり皮肉り、リュートは紙風船をむしり取った。
(須藤たちは……?)
明美も銀貨も、レオナルドのメニューをこなす訓練生たちと一緒のはずだ。
問題ないとは思うが、リュートは念のために視線を飛ばした。
金髪の訓練生たちに混じって、黒髪の男女が確認できる。テスターとセラもそばにいた。ここからは距離があるので、巻き込まれることはないだろう。
(てことは俺は、とにかくこっちに専念すればいいんだな)
リュートは緋剣を引き抜き、アスレチックの段差を飛び降りた。
前方下側にいるのは、赤い《眼》をぎらつかせた白い巨体。
着地の勢いを殺さないまま駆けだし、リュートは具現化させた刃で白い巨体――堕神の脇腹を切り裂いた。
そのままそばの柱を駆け上り、空中に身を投げ出す。鋭い爪が備わる腕は踏みつけて牽制し、リュートは着地がてら、大きな背中に緋剣を根元まで突き刺した。
あと一撃入れるか迷う前に、堕神が消失する。
足場をなくしたリュートは、アスレチックの縁に足を下ろし――
「ぉあ?」
運悪く落ちていたテニスボールを踏み、転倒した。
数メートル下の地面へと。
「っ……⁉」
堕神排除の際は痛みを我慢して動いた分、もう耐える余力は残っていなかった。なすがままに落下し、緋剣の血も遠慮なくまき散らした。
地面にあおむけにたたきつけられたその体勢のまま、空を見上げる。
「あー……いい天気だな」
むかつくほどに。
ひとり完全にやさぐれモードに入っていると、さっと影が差し込んだ。
「足元は注意しないとね。排除したからといって、油断は禁物よ」
「エリ……ザベス先輩」
不意を打たれたため、危うく愛称で呼んでしまうところだった。
なんとかごまかせたようで、エリザベスは特に気づいた様子もなかった。かがみ込んでこちらに手を差し出すと、
「まあやるべきことはやったわけだし、及第点ってとこかしら」
差し伸べられた手は、今つかまなければ一生次の機会は来ない気がして。
「……恐縮です」
かつての――リアムだった頃の仲間の手を、リュートは戸惑いつつも握り返した。
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