2.楽しい体験入学~2日目~② ただその時を静かに待つ。
◇ ◇ ◇
途中いろいろな物に目移りする銀貨をせっつきながらも、始業数分前に、なんとか教室にたどり着くことができた。しかし、
「ちっ、やっぱ最前列か」
250人ほど収容できる教室の座席はほとんど埋まり、残るは前席2列分だけとなっていた。
リュートはテスターと視線を交わすと、迷うことなく2列目の教室奥へと歩を進めた。この授業において、席の選択肢など議論する余地もない。
3人掛けの長机に、左奥からテスター、銀貨、リュートと並び座る。
「へえー、なんか大学みたいだね」
鞄を足元に置きながら、銀貨が呑気な声を出す。しんと静まりかえった教室で積極的に音を発するずぶとさに、リュートはある意味感心した。
「ねえテスター君。キルエ教官ってどんな人?」
教室内でただひとりだけ、銀貨だけ明らかにノリが違う。それは種族的な違いや性格的なものではなく、知っている者と知らない者の差であった。
知っている側のテスターが、銀貨より幾分声量を落として答える。
「そうだなー。厳しいというかとげとげしいというか……座学担当でありながら実技レベルの向上にも寄与してるとかで、学長からの受けはいいみたいだぜ」
「へえ、すごい教官なんだね」
「まあすごくはあるよな」
銀貨越しに、テスターが苦笑を向けてくる。同意を求めてということだろうが、リュートの方は、わずかばかりの笑みを見せる余裕すらない。
ペンケース――と分厚いゴム板――を出し、ノートを広げ、ただその時を静かに待つ。
「? どうしたの龍登く――」
銀貨の言葉を遮り、始業のチャイムが鳴る。
途端、教室内に広がる沈黙の圧が、ぎゅっと強くなった。
彼女はチャイムと同時に現れる。チャイムにより召喚される悪魔だ。
教室の前扉から、大きなスーツケースを手にした、ひとりの女性が入ってくる。教官の服に身を包んだ彼女は、年齢20代説から40代説まで噂される、厳しい顔立ちの美人教官だ。
授業前後の挨拶は彼女自身の希望から省略されているが、そうでなければ訓練生一丸となった、一糸乱れぬ起立礼が見られることだろう。つまり彼女――キルエは、それをさせてしまう類いの教官というわけだ。もちろん美人だからというわけではない。
キルエは教卓横の補助机にスーツケースを置くと、中からプリントの束を取り出した。
「では始める。今日は地球人の体験入学者がいるとのことなので、授業内容は変更だ。恥をさらすなよ」
針のように鋭い言葉とともに、キルエの視線がこちら――銀貨へと注がれる。
その際の数秒だけ、かたくなに張っていた空気に乱れが生じた。やたら浮ついた銀貨が地球人であったと、ようやく気づいた訓練生たちだろう。
地球人の体験入学については、不可抗力も含めた秘匿事項の漏洩を防ぐため、全訓練生に通達がなされている。しかし言動に気をつけることはしても、対象地球人の氏名や写真までは確認しない、という訓練生がいたとしても不思議ではない。
まあこの場合は顔を知っていたとしても、実質最前列の銀貨は、後ろからでは顔も見えない。気づいた生徒たちは単純に、その異様な浮かれようから地球人だと判断したのだろうが。
キルエは最前列の訓練生たちに、プリントの束を分け歩いた。その手つきは無造作でありながら、絶対に過不足の生じない、無駄に神がかり的な配布作業なのである。
キルエは当然リュートの元にもやって来て、プリントを手渡してくる。
「ありがとうございます」
目をそらして、恐る恐る受け取る。
リュートはとにもかくにも、この教官が苦手だった。
というより怖い。グレイガンも怖いが、彼とはまた別種の怖さがある。隣で平然と受け取れる銀貨が、心底羨ましく感じるほどに。
配布を終えたキルエが、教卓に、余ったプリントの束をたたきつける。
「3回生までの既習事項から抜粋した。40分で仕上げろ。できない者は死ね」
端的に死刑を告げるキルエに、リュートはすくみ上がった。もはや条件反射の域である。
(いやいやいやいや、落ち着け俺。テスターの言う通りだ。キルエ教官の授業だからって、無駄に動揺し過ぎなんだよ)
深呼吸して、問題用紙に目を落とす。
銀貨の存在を意識してだろう、内容は地球人が学ぶ分野に限られていた。そして範囲が3回生までということは、地球人にとっては、高等学校までの教育課程となる。
幸いにしてリュートはその課程を、リアルタイムで学び直している。これならなんとかなるかもしれない。
気を持ち直して、リュートはペンを動かし始めた。




