2.楽しい体験入学~2日目~① 遅い。
◇ ◇ ◇
チッチッチッ……と音を立て、時計の秒針が控えめに存在を主張する。
しかしそんな主張をして気を引かずとも、リュートはもうずっと長い間、時計の針を食い入るように見つめていた。
守衛所のソファに、座して待つこと数十分。
遅い。
「なにやってんだよあいつはっ……」
組んだ腕をいらいらと指でたたき、リュートは犬歯をむき出した。グレイガンの修練プログラムによる負傷が、いまだ全身くまなく尾を引いているのも、いら立たしさに拍車をかけていた。
「落ち着けよ。言ったって仕方ないだろ」
隣に座るテスターが、呑気にあくびを嚙み殺す。
「いい度胸じゃない、自分で希望しておきながら遅刻するなんて。それも連絡もよこさずに。授業だけじゃなく処罰も体験させてやろうかしら」
乾いた言葉を吐いたのは、向かいのソファに座るセラだ。
そして彼女の隣で、握りしめたスマートフォンとセラとを交互に見て、
「れ、連絡する余裕もないほど、すごく急いでるのかもしれないよ?」
必死にフォローしているのが、AR専科生の制服を着た明美だ。
現在時刻は午前8時45分。
今日は授業参加の予定なのに、始業15分前になっても、当の銀貨が現れない。
「よりによって、あの教官の授業でかよ」
焦慮に駆られて足を組みかえていると。
「お兄ちゃん。悪いけど、私たちは先に……」
セラが鞄を手に腰を上げ、様子をうかがうように言ってきた。
「ああ、先行け」
セラと明美が出席するのは、AR専科生の授業だ。どのみちリュートたちとは別行動となるのだから、ここで道連れに遅刻する意味もない。
「じゃあまた後でね。行きましょ、須藤さん」
「うん」
明美も鞄を持って立ち上がる。「はいこれ、スマホ」「あ、すみませんが、今日は電源切ってもらっていいですか?」「そっか、授業だもんね」などと交わしながら、ふたりは応接室を出ていった。
それから数分後、セラたちが消えた扉から、ひとりの少年が飛び込んできた。
「おはようみんな!」
少年――山本銀貨は室内を見渡し、在室人数が想定していた数に足りないことに気づいたようだ。
「あれ? 須藤さんと瀬良さんは? 遅刻?」
「それはお前だろ!」
リュートは跳ねるように立ち上がり、憎らしいほど平然としている銀貨に嚙みついた。
「セラたちは先行った。俺らも行こうぜ」
落ち着いた物腰で立ち上がるテスター。
対照的に、リュートは鞄を乱暴につかむと、銀貨へと詰め寄り手を突き出した。
「ほら、さっさとスマホよこせ。電源は切っとけよ」
そこで銀貨が焦りだした。ようやく。
「ちょっと待って、制服に着替えなきゃ」
「んな時間ねーよ! そのままで行くぞ!」
「ええ⁉ 嫌だよ絶対着たいっ!」
「じゃあ遅れんなよ!」
「電車が混んでて!」
「だからどーした⁉ 勢いで渋滞っぽく言えばごまかせるとか思ってんじゃねーぞ!」
がなっていると、テスターが両者の間に割り込んできた。銀貨に制服とネームプレートを押しつけながら、
「分かった山本。着替えていいからダッシュで頼む」
「了解!」
敬礼をして荷物を受け取り、銀貨が更衣室へとダッシュする。
「ああくそ、時間がねえのにっ……」
座り直す気にもなれず、リュートはその場で地団駄を踏む。
「だから落ち着けって。ここからなら、急げば5分で行けるだろ」
テスターの判断は正しいのだが、だから平然と構えられるというわけでもない。
ようやく――実際には数分程度だったが、体感的には数十分にも思えた――銀貨が上着のボタンを留めながら、更衣室から出てきた。
リュートはすたすたと銀貨に歩み寄ると、彼の手からスマートフォンを引ったくった。
「これは預かっとくからな。ほら行くぞ」
「あっ……」
なにかを言いかけた銀貨はもう無視して、リュートはじれた足取りで出口へと向かった。
「とにかく急ぐぞ。キルエ教官の授業は、絶対遅刻できねーんだよ」
◇ ◇ ◇




