4.ホンモノの定義⑭ そして明日がやってくる。
◇ ◇ ◇
いつの間にか空に広がっていた入道雲を、夕陽がゆっくりと染め上げていく。
夕焼け色が混ざった青空は、幾重もの色合いを浮かび上がらせていた。
1日の終わりに向かう空だ。
中庭の隅に座りながら、リュートは空を見上げていた。
「……痛え」
「そりゃあね」
目ざとくこちらを見つけたセラが、言いながら近づいてくる。
セラはリュートの隣で体育座りをすると、右手を添えた腹に視線を送ってきた。
「真正面から《眼》を狙いにいったって聞いたけど……なんでそんなことしたの?」
「むしゃくしゃしてたんだ」
「なにそれ」
わずかにも理解できないとばかりに、セラが顔をしかめる。
さもありなん。リュート自身ですら、大愚な衝動に果てしない後悔を抱いていた。
周囲では1日限りの襷野祭を終えた生徒たちが、模擬店や大道具の解体作業を行っていた。「疲れた」などのぼやきも聞こえてくるが、声からにじみ出す充足感から、それは心地の良い疲労なのだと伝わってきた。
「テスターは?」
「山本銀貨と一緒に、保健室で須藤明美に付き添ってるわ」
「そうか」
リュートは相槌を打ち、眼前を横切っていく人影に会釈する。
人影――現国担当の佐藤教師は渋い顔をしながらも、会釈を返して通り過ぎていった。
「……あの女教師、意外に物分かりが良かったわね」
「ああ、助かったよ」
期末テストの結果が例の条件を――ギリギリではあるが――満たしたため、解答の盗難騒動はうやむやになった。
ただし佐藤がリュートに見せる態度自体は硬化したため、生物担当の鈴井教師の件も合わせると、無駄に敵を増やしてしまった感はあるが。
リュートはそのまま、中庭中央へと視線を移した。
空いたスペースで、アスラがくるくると舞っている。誰かにぶつかることを気にせず伸び伸びと動けるのが、うれしいらしい。
セラもアスラを見ているのを感じ、リュートは問いかけた。
「お前の方こそ……大丈夫なのか?」
改めて、屋上で頭ごなしに怒鳴りつけてしまったことに、後ろ暗さを覚える。あの時のセラはひどく動揺していた。なにか理由があったはずなのだ。
「うん、大丈夫……本当に、これでもうすっきりした」
答えるセラの横顔は確かに言葉通り、憑き物が落ちたみたいにすっきりしていた。
会話も途切れ、ふたりして空を見上げていると。
「……歌?」
空気に乗せて届く歌声に、セラが頭を動かして音源を探す。
「そっか、お前は聴くの初めてだったな」
リュートは親指でくいと、中庭中央を指した。
アカペラで、アスラが歌っている。気持ちよさそうに声を張って。
以前聴いた時も十分引き込まれたが、今度はそれをさらに上回る歌声だった。数フレーズ聴いただけで、不思議と涙があふれてくるような。
「歌、上手なのね」
「聴けない地球人がかわいそうだな」
「……そうでもないみたいよ」
「え?」
セラが指さす先には、解体作業に取り組む生徒たち。
彼らは自分がなにをしているのか忘れたかのように作業の手を止め、首をかしげている。中には泣きだしそうな顔――そしてそんな自分が理解できず混乱も入り交じった顔――をしている者もいた。
アスラの声が聞こえないはずの生徒たちが、声ではないなにかを感じ取り、アスラの『歌』に触れている。
不思議な光景だった。
アスラは歌いながらこちらを見ると、大きく手を振ってきた。
リュートとセラが手を振り返すと、幸せそうに笑って空を見上げた。
1日が終わっていく。
誰かにとっては、ただなんとなく過ぎる1日。
誰かにとっては、自分の全てをかけた大切な1日。
どんな1日も平等に過ぎ、終わっていく。
そして明日がやってくる。
夕焼け空に吸い込まれていく歌声に聴き入りながら、リュートは今度こそしみじみと感じ入った。
「もうすぐ夏休みか……」
《第5章》明日讃歌――了