4.ホンモノの定義⑪ ずっとそうして生きてきた。
◇ ◇ ◇
「――どう。須藤!」
自分――正確には宿主だが――を呼ぶ声に、メルビレナは目を開けた。
「大丈夫かっ⁉」
眼前に、焦燥に満ちた僕の顔があった。
「ひゃあっ⁉」
後ろに下がろうとし、棚に後頭部をぶつけるメルビレナ。鈍い音が頭の内外に響いた。
片膝を突いていた僕が、身を引きながらも心配げな声を上げる。
「わ、悪いっ……驚かしちまったか?」
「う、ううん。大丈夫」
メルビレナは後頭部を押さえながら、逃げるように横へとずれた。
(不覚だ……)
顔が赤らむのを自覚する。
不意を突かれて変な声が出てしまった。そのせいで僕も、自分を明美だと勘違いしているようだ。
今更女神の方だとも言えない。メルビレナは仕方なく、自身を明美で通すことにした。
明美が言いそうな言葉を考え、明美が浮かべそうな表情を探す。
「天城君、私を探しに来てくれたの?」
「ああ。山本が連絡つかないっていうから」
答えながら僕は、ずり落ちていたブランケットをメルビレナにかけ直した。
幸いにも、僕はこちらが女神だとは気づいていないようだ(それはそれとして前々から思っていたが、ひどく感性が鈍いものである)。
「そっか、女神様になにかあると大変だもんね」
「それだけってわけでもねーけど……須藤が体調悪いっていうんだから、まずはそっちが心配だろ。つかなにかある云々以前に、女神だって風邪はつらいだろうし」
「女神様を気遣ってるの?」
意外だった。僕が役割の範疇を超えて、自分を気遣うとは。
「あ、いや……」
僕は失言とばかりに目をそらし、早口で後を続けた。
「とにかく、今さっき山本に連絡入れたから、すぐに来てくれるはずだ。俺が君を運んでもいいけど……どうする? あいつを待つか?」
「……そうだね、うん。そんな切羽詰まってもいないし、待つよ。ありがとう」
礼を言うと、僕はメルビレナ同様、棚にもたれて座り込んだ。メルビレナとはひとり分の距離を置いて。
「天城君忙しいでしょ? もう行ってくれて大丈夫だよ。私はひとりでも平気だから。そんな体調ひどくもないし」
「赤い顔してなに言ってんだ。山本が来るまではいるよ。その……どうしても嫌っていうのなら外にいるけど」
ぽつりと最後に付け加える僕。相変わらずだ。
愚鈍で変なところで優しくて、でもその優しさを一方的には貫けなくて。
(時を経て姿を変えても……別人となっても、魂の核は変わらぬものよな)
「嫌じゃない……よ」
メルビレナは明美が言いそうな言葉を返した。
「山本、江山に捕まってるようだったけど、たぶん10分もすれば来るはずだ」
手持ち無沙汰になったのか、僕が先ほどと同じような言葉を繰り返す。
「うん」
頰が熱い。
準備室の外は騒がしいはずなのに、熱のせいかそれら全ての音がぼやけてにじむ。
そのくせ隣に座る僕が立てる音は、一音一音はっきりと耳に届いた。
ふたりきり。ふたりぼっち。
ずっとそうして生きてきた。
「……天城君」
「なんだ? やっぱつらいのか?」
僕が不安げに腰を浮かす。心配しているのは分かるが、病人に「つらいのか?」と聞く神経が意味不明だ。
メルビレナは緊張で――いや熱で乾いた唇を軽くなめた。
「嫌われてるみたいで寂しいから、もう少しだけそばに来てほしいな」
きっとこれも、明美が言いそうな言葉だ。たぶんきっと。
「あ、ああ……?」
僕が惑いながらも距離を詰めてくる。半人分の距離だけを。
わずかに空いた距離は、寄りかかるには果てしない。
(小娘の真似というのは、難しいものだな)
どうにも調子が狂う。
メルビレナは目をつぶり、自分の心音に集中することにした。
◇ ◇ ◇