3.今日を生きよう、明日を歌おう⑧ またデートしようね
◇ ◇ ◇
「あー、楽しかった!」
アスラがぐぐっと伸びをする。
誇張なく心底満足したようで、電車を降りてからこっち、ずっと「楽しかった!」を連呼している。
「ちゃんと下見て歩かないと転ぶぞ」
転んだところでこの少女なら痛くもないだろうが、リュートは一応警告の声を発した。
アスラはその言葉には構わず、代わりにきゅっとまばたきを返してきた。
「またデートしようね、リュー君っ♪」
「だからデートじゃ……」
ようやく口に出してきちんと訂正する機会を得たものの、
(……ま、いっか)
もはやどうでもよくなり、リュートは言葉をのみ込んだ。
ふたりが歩いているのは、国道沿いの大きな歩道。
散々遊んで、街はもうすっかり夕焼け色に染まっていた。夕陽を受けて伸びたふたつの影が、リュートとアスラに先行して道を行く。当然ながら、決して追い抜くことはできない。
(アスラにも影はあるんだな)
これもまた当たり前だ。地球人に認識できないだけで、彼女は存在して――生きているのだから。
リュートは、隣を歩くアスラをうかがい見た。彼女はオレンジ色に染まった頰を緩めて、手にした懐中時計を見つめている。
「えへへ」
本当は帰校してから渡そうと思っていたのだが、急かす彼女に根負けしたのだ。帰路の途中、建物の陰に移動して懐中時計を手渡した。
地球人からどう見えるのかが気がかりだったが、時計はすぐにアスラの所有認識の範疇に組み込まれたようで、彼女が持ち歩いても誰も「時計が浮いている!」などと騒ぎだしはしなかった。空箱の方はゲームセンターの袋に入れられ、今はリュートの右手に提げられている。
「本当にそれでよかったのか? 大きな縫いぐるみとかもあったけど」
取れるかどうかは別として、リュートは尋ねた。
すると、
「これでいいんじゃなくて、これがいいんだよー」
懐中時計に頰をすり寄せ、即答するアスラ。
「時計がいいのか?」
「うん! 眠らないからか、あたし、時間の感覚がよく分からないんだよね。今日も明日もなく、ずーっと今が続いてる感じ」
アスラは眉根を寄せて、困ったように口の端を曲げる。
が、すぐに口元を緩めて懐中時計から頰を離した。竜頭のボタンを押して蓋を開くと、いとおしげに文字盤を眺める。
「でもこれを持っていれば、今日がいつまでなのかが分かる。あたしの中で明日が生まれる。リュー君と同じ時間を過ごせるの」
「当たり前だろ、同じ時間軸なんだから」
「そうだよ、当たり前。その当たり前が、あたしはすっごくうれしいんだ」
はにかんだように笑うから、なんだかこっちまで照れくさくなる。
だからというわけではないが、相槌はひどく、ざっくばらんとしたものになった。
「ふうん。そんなもん?」
「そんなもん♪」
懐中時計を握りしめ、アスラは空を振り仰いだ。開いた口から歌声がこぼれ出す。今日学校で聞いた、明日を歌うあの歌だ。
「その歌、相当気に入ったんだな」
「うん。リュー君も一緒に歌おうよ」
「俺はパス。歌は苦手だから」
苦笑いで手を振る。
アスラは「そーお?」と言うと、歌唱に戻った。
リュートも空を仰いだ。
夕焼け空に、アスラの音が解放されていく。主張するような押しつけがましさはないはずなのに、全ての音を押しのけて耳に入ってくる。
明日を歌い、生の歓びを歌う。
(そんなアスラがもし敵性を示したら、俺は斬るんだろうか)
答えは出てこない。
答えが出るまで、真っすぐ続くこの道が終わらなければいいのにと、リュートは歌に聴き入りながら考えていた。
◇ ◇ ◇