3.今日を生きよう、明日を歌おう③ 歪に引かれた基準線
◇ ◇ ◇
面倒な午前の劇練を終えても、残念ながらリュートが解放されるのはまだまだ先だった。
「わーい、リュー君とデートだあっ♪」
(いや、デートじゃないから……)
そう思っても、地球人がそばにいる状況では訂正すらできない。
休日の電車内は上りの線の割に、思ったよりも空いていた。乗り換えに便利な車両に人が集中しているだけなのかもしれないが、空きの座席すらまばらにある。
「デートデートデート♪」
(だから違うっての……)
リュートは力なくつり革を握りながら、車窓の外へと目を向けた。家々の屋根が、次々と後ろへ流れていく。気力も一緒に置いていかれるような心地を振り払おうと、学生服の襟を正す。
そう。守護騎士の制服ではなく、訓練校の制服だ。このためだけに持参して着替えた。一応緋剣は腰に差し、鬼排除における臨時権限者を示す腕章も身に着けている。
午後いっぱいアスラを街で遊ばせて親密度を高めるというのが、セシルに申しつけられた本日の役割なのだが。
「なにしようかなぁ。やっぱ映画かなー♪ ちょうど気になってたやつがあるんだっ」
腕を絡めて寄り添ってくるアスラを引き剝がすのは諦め、リュートは胸中でつぶやいた。
(味方にするため取り入るってのも、後ろめたいよな。そりゃまあ問答無用で斬るよりは、はるかにマシだけど……)
そこまで考え、以前アスラに言われたことを思い出す。
――リュー君はあたしを斬るのかな? 他の堕神みたいに。
――他の堕神たちは問答無用で、あたしだけは特別なんだ。
その言葉に自分はなんと答えただろうか。
(もしアスラと意思疎通が図れなかったら、俺はアスラを斬っていたのか?)
――殺さないんじゃなくて、殺せないんだよね。滅殺できるなら、そうしたいんだよね?
(俺は……どうなんだ? 堕神を殺したいのか?)
それは違うといえる。だけどそれで世界の安定が得られるのなら、自分は堕神を殺すのだろうか……
歪に引かれた基準線は、もしもの場合分けに対してなんの役にも立たなかった。
電車が止まって扉が開き、乗客が乗り入れしだす。
リュートは、アスラが乗客とぶつからないよう誘導しようと――して、ぎょっと目を見開いた。
いつの間にか、アスラが目の前の座席に座っている。
(おい、座るなって!)
目をむいて訴えると、アスラははっと顔色を変えた。
しかし、彼女が自分の特性を思い出して立ち上がった時には、乗り込んできた客――20代前半くらいの若い女性――が、座席に座ろうと近寄ってきていた。
結果、
「あ……」
とっさに差し出した腕が、女性の進行を押しとどめていた。
おかげでアスラはささっとリュートの後ろに移動できたが、女性は通せんぼするように存在する、リュートの腕を不快げに見下ろしてきた。そして嫌悪感を隠そうともせず、
「……なに?」
とこちらをにらみつけてくる。
「いえ別にっ……すみません」
リュートは慌てて腕を引っ込め、車内の隅へと移動した。
「なにあれ。キモっ」
やけに大きい女性の独り言は、リュートの心をそこそこえぐった。
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