3.今日を生きよう、明日を歌おう② リューくーんっ!
にいっと笑うアスラから視線をそらし、リュートは作業に集中した。大まかな固定が終わり、次は細部の打ちつけだ。
「リューくーんっ!」
どたどたとこちらに走ってくる音。そして、
「な、なんだっ?」
「ぅわ、今それ勝手に動かなかったかっ?」
アスラの踏み荒らした跡にさまざまな反応が巻き起こる中、リュートはかたくなに目の前のパネルに集中した。どうせ来るのは分かってはいたが。
「リュー君遊ぼーっ!」
「ちょっ……」
勢いのまま抱きつかれ、手元が狂う。
「どうした?」
「あ、いや別に」
顔を上げて聞いてくる俊介に、リュートはなんでもないふうを装った。
「ねー、リュー君ってば」
リュートの背中に遠慮なく体重を乗せ、アスラが気を引こうとしてくる。
あらかじめ交わしておいた、地球人の認識レベルに応じた行動――地球人の前でリュートたちに返答を求めない、物を動かさない――を取るという約束もどこ吹く風だ。
(この娘知識も常識も十分備わってんのに、なんだってこんな聞き分けが悪いんだっ……)
リュートは全力で無視して――つまり背中にはなんの負荷もかかっていないという体で――金槌を振り上げた。
しかしアスラは諦めない。
「リュー君リュー君リュー君ってばあぁぁっ!」
ばきぃっ!
「あ」
リュートの両肩に手を乗せたまま、アスラが間の抜けた声を上げる。
自分が押し出したことによりベニヤ板を突き破ってしまった、こちらの頭を恐らくは見て。
「ご、ごめんリュー君、つい力入れちゃって……」
「天城、なにやってんだ……?」
アスラの弁明に重なるようにして、俊介の戸惑う声が耳に届く。
「いや、別に……」
血だらけの顔を引き戻しながら、リュートは答えた。
(そういや彼女、途方もない怪力だったな)
肌に刺さったささくれを取り除き、ため息をつく。
パネルは補修していた下半分はもちろん、上半分も見事に破壊されている。
リュートが修復方法を考え直していると、どこからか聞こえてくるものがあった。
「なに? 歌?」
アスラが目をぱちくりし、耳を澄ます。彼女があまりにも興味深そうな様子だったので、
「この歌、音楽劇部だっけか?」
本当は知っていたが、アスラに説明するためリュートはあえて俊介に聞いた。
「ああ。俺らと公演時間かぶってるからライバルだぜ」
にししと笑う俊介。その自信はどこから来るのかと思わなくもない。
歌声はここ中庭ではない、別の場所から聞こえてきていた。どこかで音楽劇部が練習しているのだろう。数日前も建物のピロティ部分で、赤毛のカツラをかぶった部員が練習しているのを見かけた。
「うわあ、素敵な歌っ。洋楽だね♪」
耳をそばだてていたアスラが、目を輝かせる。
明日を歌う前向きな歌詞は、確かに聞いていて悪い気はしない。
アスラは相当気に入ったようで、届く歌声に合わせて自分も口ずさみ始めた。
歌詞は『ラ』だけで、お遊びで歌っているような感じなのに、それがとても――とても心地良く聞こえた。
心に染み入っていく、いつまでも、ずっと聴いていたくなるような歌声。
「? どしたのリュー君」
歌い終えたアスラに、不思議そうに見つめられて。
リュートは初めて、自分が馬鹿みたいにアスラを見ていたことに気づいた。
「いや……君、歌うまいんだな」
思わず漏らし、はっとして俊介の方をうかがい見る。幸いにして、彼は作業に夢中で、今の言葉に気づいていないようだった。
「ほんと? うれしいっ」
アスラがにっこり笑い、今度はひとりで歌い始めた。一度聴いて覚えたのか、歌詞を付けて。
そんなアスラを見て、リュートが思ったことは。
(彼女は……本当に堕神なのか?)
気持ちよさそうに歌うアスラは、ただ歌が好きな少女にしか見えなかった。
◇ ◇ ◇