閑話.彼女の気遣い④ 素直に羨ましい。
◇ ◇ ◇
(だから、よろしくされたくなかったんだ……)
噴霧器のタンクを右肩に担いで、リュートはすね気味に歩を進めていた。
無論意味もなく歩いているわけではない。ゴーグル・マスクを着用し、手には噴霧器のノズルを構え、薔薇の生け垣に薬剤散布を行っているのだ。
世界守衛機関本部棟に設置されている屋上庭園は、心安らぐ憩いの場となっている。手入れもきちんと行き届いており、地球人に自慢できる、数少ない娯楽物のひとつである。
そんな美しい庭園を維持するためなら、くそ眠い早朝から活動することだっていとわない――
(わけねーし)
自分をだますこともできず、嘆息する。
(ったくセラのやつ。なにが『なんとかする』だよ。もろともに自爆してんじゃねーか)
しかもである。どうもセラの方は、リュートとテスターを処罰から護れたと思い込んでいるらしい。そんな状況だから、文句を言う機会すら逸してしまった。
庭園の手入れは、仲間の任務放棄を看過した罰として重いのか軽いのか。ちなみに同じ立場であるはずのテスターは、襷野高校の早朝哨戒を理由に処罰を免れていた。素直に羨ましい。
この季節に返り咲いた薔薇が、多少は視界を楽しませてくれるのが、まあ救いといえば救いなのかもしれない。
リュートは、小ぎれいに剪定された葉にやさぐれたまなざしを向けつつも、一応は丁寧な散布を行っていった。
庭園の端まで来たところで、
(……ん?)
庭園を抜けた先に人影を見つけ、目をすがめる。人影は見知ったものだった。
(アスラ?)
彼女は屋上の縁に腰掛け、澄んだ空を見上げていた。
アスラは要注意者だ。動向には気を配るべきだろう。
……という正当な理由は正直どうでもよくて。
リュートはタンクを地に下ろすと、ゴーグルとマスクを外して足を踏み出した。薔薇ではなく、アスラの元へと向けて。正当な理由ではなく、個人的な理由で。
なんとなく、昨日の彼女の様子が気になっていたのだ。
首元で揺れるゴーグルに煩わしさを感じつつ、マスクはポケットにしまいながら、歩を進める。
アスラはすぐにこちらに気づいた。はじけるように立ち上がると、朝日に輝く銀髪を跳ねさせ、
「リュー君! わぁうれしいっ♪ こんな所で会え――」
はたと口をつぐむ。その目は自分の失態を後悔するかのように、動揺に揺れていた。
「アスラ?」
「来ちゃ駄目!」
言葉というよりは、彼女の顔からにじみ出る気迫に圧され、足が止まる。
「駄目だよリュー君、来ちゃ駄目!」
「なんでだよ?」
「なんでも! あたしリュー君を護りたいの! だから――」
直前の切迫感から一転、アスラの顔から力が抜ける。
ぐらりと傾く彼女の身体。
「はれっ?」
「ちょ、おいっ⁉」
リュートが飛び出した時にはもう遅かった。彼女の姿が視界から消える。
「アスラ!」
リュートは舌打ちをして、近くの縁から身を躍らせた。
世界守衛機関本部棟をはじめとする渡人の施設は、壁部に多くの凹凸を備えた造りとなっている。もちろん堕神を速やかに排除するためだ。
皮肉というべきなのか、今は堕神である少女を気にかける過程で、この凹凸が役立っている。
突起や手すりに指を絡めるようにして、小さな飛び降りを重ねていきながら、リュートは焦る自分に言い聞かせた。
(アスラは堕神だ。落ちたくらいで死ぬとも思えない)
実際、すでに落下を終えたアスラは地面に倒れてはいるものの、目立った損傷はないように見える。
(っつっても、通常の堕神と違って重力に従う以上、なにかしらの衝撃はあるはずだ)
結局は焦燥感へと回帰して、地面へと急ぐ。
残り数メートルを一気に飛び降り、リュートはアスラに駆け寄った。
「アスラ、大丈夫か⁉」
「う、うん……」
アスラが、なにかを払い落とすように首を振りながら、身を起こす。リュートと目が合うと、彼女は頭に手を当て舌を出した。
「あはは、うっかり落ちちゃった」
「うっかりって……」
それだけで済まされてしまい、改めて、アスラが特殊な少女なのだと認識させられる。彼女は擦り傷ひとつ負っていなかった。




