2.期末テストの難④ 仕方ないよ。
◇ ◇ ◇
梅雨の晴れ間の月曜日。
しかし空が晴れやかだからといって、足取りも釣られて軽くなるとは限らない。むしろ引きずるレベルで重かった。
(あー……めんどくせえ。なんでこんなことに……)
今日一日の疲れを先取りしたような心地で、リュートが内心ため息をついていると、
「わあっ、これが襷野高校かぁ♪」
アスラが正門前でぴたっと足を止め、校舎を見上げながら感嘆の声を漏らす。早めに登校したため、生徒の姿は見受けられない。
それでも念のため小声で、リュートはアスラに話しかけた。
「セラの記憶にここでの記憶も含まれてるし、初めてってわけじゃないだろ」
「疑似体験と生の体験は全然違うよ! ナメクジとイワシくらい違う!」
「なんなんだその比較チョイスは」
「アスラ」
アスラを挟んで隣に立っているテスターが、口を開く。彼は気楽な顔をしつつも真面目な口調で、
「何度も言うようだけど、地球人は君を視認できない。でも触ることはできる。それを踏まえた行動を取ってくれ」
「分かってるよー。テス君は心配屋さんだなぁ」
「ちょっと、これは真面目な話よ。ちゃんと聞いて」
セラがリュートを押しのけるようにして、いら立った様子で釘を刺す。
「はーい♪」
へらへらと手を上げるアスラを見て、セラは「本当に分かってるんでしょうね……」とぶつぶつつぶやいていた。
どちらかといえばセラ寄りな感情を抱えていたリュートは、不安なまなざしを校舎に送りながら、内心で自分を励ました。
(なんにせよ、今日一日アスラを満足させるまでの辛抱だ)
◇ ◇ ◇
「どうリュー君? あたしうまくやってたでしょ?」
「ああ、そうだな」
原稿用紙を手に学校の廊下を歩きながら、リュートは小声でアスラに返した。
朝から放課後までを振り返ると、今日一日、アスラは確かによくやっていた。生徒とぶつからない位置というのを常に意識し、リュートのそばに立って授業を観覧していた。
ただ、
「……でもあえてひとつ言わせてもらうなら」
「もらうなら?」
ぽつりと付け加えるリュートに、隣を歩くアスラが目をまたたかせる。
「興奮のままに荒ぶる両手は、もう少し抑えてもらえるとうれしいかな」
肩に手をやりうめくリュート。
なにに反応していたのかは知らないが、アスラは授業中、時折興奮したように歓声を上げ、両手でバシバシとリュートの肩をたたいてきた。
当然その場で抗議することもできず、ただひたすら耐えることを強いられたのだが、蓄積したダメージは割と洒落にならないレベルに達していた。骨にひびでも入ったのかと思うほどに。
加えて、アスラの姿は地球人に見えなくとも、彼女がリュートをたたいた時の音自体は耳に入る。それら全てが恐らく、リュートの挙動不審故のものだと生徒たちに理解されているのだと思うと、いろいろとつらいところがあった。
(あとなんかセラもこえーし……)
授業中に何度も注がれた焼けつくような視線に、ぶるっと身震いする。
アスラは、リュートを痛めつけていたことに対して本気で自覚がなかったらしく、心底驚いたように口を開けた。
「えっ、もしかしてあたしたたいてた⁉」
「ちょっとな」
「全然気づかなかった! ごめんね! 今も痛い?」
「いやまあ、大丈夫だけど……」
そう聞かれると「うん痛いよ」とも言えず、リュートは言葉を濁した。
「ほんと? よかったぁ。あ、そういえばね、日本史の授業でずっと思ってたことがあるんだけど――」
会話できない時間が長く続いたからなのか、アスラは放課後ずっとしゃべり通しだ。
テスト期間中の学祭準備は禁止されており、テスト勉強のために居残る者は大抵図書館に行くので、廊下に人気はない。それでも教室で勉強する者――リュートたちのように――もいなくもないので、リュートは人の気配に気を配りながら、慎重に相槌を打って歩を進めた。
突き当たりまで来ると、壁際に設置されたラックが目に入った。四角く仕切られており、縦3列、横十数列にスペースが並んでいる。そのどれにもプリントの束が乱雑に押し込まれていた。
リュートはそのラック――提出ボックスのひとつに手にした原稿用紙を入れ込み、くるりと身体を反転させた。
「さ、教室戻るぞ。のろのろしてるとセラのやつが怖いからな」
教室で待っている妹の姿を思い浮かべ、そそくさと歩く。
どうもセラは徹底的にアスラを敵視しているようで、同じ空間にいると非常に居心地が悪いというか全力で逃げ出したくなる。
せめてテスターがいれば軽口等で緩和してくれるのだが、あいにく彼は図書室で、明美のそばに付いていた。
「ねえリュー君。今のって2限の小論文?」
「ああ。堕神を狩ってたせいで、授業中に完成できなかったからな。今ならまだ期限内の提出扱いに――」
そこまで言ってから、気づく。
「あ……悪い」
「仕方ないよ。堕神を狩るのがリュー君の役割だもんね」
えへへと笑い、アスラが必要以上に明るい声を出す。
「でも高校生って大変だねえ……それに合わせてテストもあるんだよね?」
「ああ。試験問題が分かっちまえば楽なんだけどな」
アスラが整えてくれた下地に乗っかり、リュートもははっと気楽な声を上げた。
すると、
「そうなの? じゃああたしが取ってきてあげるよ♪」
「へ?」
リュートが硬直した一瞬の間に、アスラは身を翻らせて提出ボックスの方へと駆け戻った。
(あの先にあるのは職員室くらい……ってまさか⁉)