3.故郷の幻影① 僕のせいなんだから、僕が行く。
◇ ◇ ◇
「どうしたタカヤ⁉」
悲鳴からにじむ錯愕の念にただならぬものを感じ、リュートはタカヤの前へと回り込んだ。
タカヤは飛び出さんばかりに目を見開き、
「先輩っ、俺今、俺たちの次元に――」
ぶつりと声が途絶える。
タカヤが話すのをやめたわけではない。今現在も彼は口を動かして、必死になにかを伝えようとしている。ただその言葉が聞こえない。
「おい、大丈夫か⁉」
リュートは焦り、タカヤへと手を伸ばした。それは彼の肩口へと触れ――ずに、なんの感触もなく空を切った。
「なっ……⁉」
「な、なにっ? なにが起きてるの⁉」
明美が悲鳴交じりの声を上げる。
タカヤに目をやると、彼はリュートが触ろうとしたことそれ自体に気づいていないようだった。ひどく狼狽した様子で周囲を見回している。
(なんだ……? なにを見ている⁉)
「タカヤ! おいタカヤ⁉」
「無駄ですリュート様! タカヤさんは恐らく、元始世界を見ています!」
セラの指摘は的を射ているのだろうが、だからといってなんの役にも立たなかった。
と、タカヤがなにかに気づいたように、こちらに顔を向けてきた。
一瞬呼びかけが通じたのかと思ったが、違うらしい。
タカヤはリュートの顔のさらに後方、遠くを見るように目をすぼめて、歩きだした。
空に向かって。
「⁉」
動じて一歩引くリュートに、タカヤは――認識できていないので当然だが――ひるむことなく突っ込んできた。
そのままリュートを通り抜け、斜め上方へと歩き続ける。まるで坂を上っているかのように。
「これはすごい」
引きつった笑みを顔に張りつけて、フリストがつぶやく。
「存在のほとんどが、元始世界に寄っている」
「なに呑気なこと言ってんですか! もしも鬼が来たらっ……」
リュートは歯ぎしりした。
未知の世界にたったひとりで、武器も持たずに。
(危険過ぎる……!)
考えなしに実験に参加したことを悔やんだ。
「今すぐ装置を解除してください!」
八つ当たり気味にフリストの胸倉をつかみ、せっつく。
「しかしそれも危険じゃないか?」
フリストはリュートの手首をつかみ、冷静に反論してきた。
「電流を止めれば、確かにいずれ平常時の質量に戻るが……恐らくタカヤ君には、もうこちらの世界が認識できていない。体感するのも実際に踏んでいる地も、向こうの世界だ。こちらの世界では空中や地中にあたる地点にいるとき、もしこちらの世界に『戻って』来たら……」
「だったら俺が連れ戻します!」
押しのけるようにフリストから手を離すと、リュートは身を翻して籠を探った。
「連れ戻すには装置を着ける必要がある。それでは君もこちらの世界を見失ってしまう」
フリストの主張をよそに、てきぱきと上着や剣帯、緋剣を身に着けていく。その動作に合わせるように、リュートは滑らかに言葉をつづった。
「タカヤは少しの間、ふたつの世界を同時認識できていました。なら俺だってそうなるはずです。その間に両世界の位置関係を、座標を通じて捉えます。それに失敗したとしても、最低限この地点に対応する向こうの座標さえ把握しておけば、戻ってくるのに支障はありません」
「なら僕が行く。僕のせいなんだから、僕が行く」
「不本意ながら先輩の研究は確かに、渡人への貢献可能性をはらんでいます。もしものことを考えれば、行くべきではありません」
横目で、フリストの提案をすぱっと退けるリュート。段ボール箱から取り出した装置を装着し始めると、セラがつかつかと歩み寄ってきた。
「リュート様、教官を呼ぶべきです!」
「あいつはどこかへ向かっている。今追わないと、追いつけなくなるかもしれない」
淡々とセラに返し、最後に、段ボール箱内に入れられていた、タカヤの荷物一式を手に取る。リモコンらしき物をフリストへと放り投げ、
「準備できました。お願いします先輩」
「しかし――」
「いいから早くっ!」
鋭く叫ぶ。タカヤはもう何メートルも上方を歩いていた。
「わ、分かった……」
勢いに圧される形で、フリストがリモコンを操作する。
すぐに今朝と同様の電流が、身体中を走り始めた。
(効果が出るには、若干のタイムラグがあったはず)
分かってはいても、それをただ待つだけというのはもどかしい。
はやる心を抑えていると、こちらを見つめる明美と目が合った。
「悪いな須藤。なんかごちゃごちゃしちまって」
「それはいいんだけど……大丈夫なの天城君?」
「たぶんな」
リュートは曖昧な笑みを返した。
と――
――ざんっ。
目の前の景色に重なるように、もうひとつ別の景色が現れる。
(これか、タカヤの見たものは)
顔をしかめながら辺りを見渡す。同時に存在する世界というものは、ひどく頭を混乱させる。
が、悠長に観察している余裕もない。
リュートはあらゆる感覚を動員する心持ちで、座標情報をかき集めた。とにかく箱庭世界の情報が遮断される前に、迅速に位置関係を把握しなければならない。
両世界の空間座標を別個に取得し、複数地点のサンプルから調整係数を割り出す。
なんとかそこまで行ったところで、箱庭世界の景色が急速に薄れていった。
リュートは重複する景色を見比べながら、数歩分身体を移動させた。今立っていた場所では、向こうに行ったときに足先が埋まる――どころか、下手すれば存在原理から淘汰されて消失してしまう。
「俺がこの地点に戻ってきたら、電流を止めてください」
薄まるフリストの顔に伝えると、彼は不安げな面持ちで聞き返してきた。
「……戻らなければ?」
「身体くらいは還ってきたいんで、どのみち止めてください」
その言葉を最後に、箱庭世界が消失した。
◇ ◇ ◇