2.地球人と疑惑と渡人① 人ごとだからこそ、好き勝手言えるんだろ。
◇ ◇ ◇
「あ、リュートお帰りー」
「この後に補講なんだって? お前も大変だな」
「でも校外に出れるのはいいよなー。すっげー楽しそう」
「そーかぁ? 勉強もしなきゃいけねえんだろ。俺は嫌だな」
「優等生やるなんて、お前にできるのかねえ」
「いや無理だろこいつには」
廊下ですれ違うたびに、同期の訓練生になにかを言われ、
「うるっせえぞお前ら! 人ごとだと思って好き勝手言ってんじゃねえ!」
とうとう耐えきれなくなり叫ぶが、
「人ごとだからこそ、好き勝手言えるんだろ」
「ねえ?」
「あ、そういやお前怪我したんだって? 馬鹿だなー」
「うがががががっがっ!」
リュートは人外の声を上げ、頭を抱えて地団駄踏んだ。うっかり力を入れてしまった右肩が、気をつけろとばかりに痛みを訴えてくる。
たまらずうめき声を上げるリュートのそばを、生徒が何人か、笑いをこらえて通り過ぎていった。
「ちくしょー……」
いまいましげに、負傷した右肩を見下ろす。明日には治るだろうが、それまではこの鈍痛と絶えず一緒だ。手にした鞄の握りを潰さんばかりに、左手に力を込める。
(あいつら、人の不幸を笑いやがって!)
面白がるばかりでいたわってくれない仲間に呪詛を唱えながら、リュートは狭苦しい廊下を歩き続けた。
(くそ! くそくそくそくそくそっ!)
理不尽に対する怒りは歯ぎしりという形で表れた。さらには寮中に響けとばかりにブーツの底をたたきつけ、わざと大きな足音を立てる。うるさくて不快に思えばいい。
地味な嫌がらせを試みながら、寮室を次々に通り過ぎていくリュート。
「お、リュート。守護騎士姿、様になってるぜ」
「うっせぇ!」
もはや相手が誰なのか確認もせずに怒鳴りつけ、突き当たりまで進んでいく。部屋の前までたどり着くと、リュートは勢いよくドアを開けた。
訓練校の敷地内には寮があり、二人一部屋の相部屋となっている。
室内の造りは至ってシンプルだ。部屋の両サイドに机とベッド、簡易クローゼットがあり、隙間を埋めるように共用本棚が設置されている。そしてそれ以外にはなにもない。
というより、なにか置いていたらスペースがなくなる。訓練生の数を考えれば仕方ないが、それでももう少し広ければと思うことはあった。
「いいねえリュート、モテモテじゃん」
迎え入れたのは、吹き出すのを必死にこらえているかのような声。
リュートは無言で、鞄を左手側のベッドに投げつけた。
「うっわ危ない! なにしてくれんだよ!」
寝転んだ状態で器用に鞄をよけながら、ルームメートが口をとがらせる。読書中だったのか、片手に文庫本を持っていた。
「お前こそ人のベッドを占領するな。何度言ったら分かるんだ」
「だって俺のベッドは、できるだけ使いたくねーもん。ほら俺って清潔好きだから。寝具は寝るためだけに使いたいってわけ」
「それは『どうぞ僕のベッドを土足で踏みにじってください』っていう前振りなんだよな」
リュートは空いている方のベッドに近寄って片足を上げると、土やら血やらで汚れた靴底を、白いシーツに向かって下ろした。
「わーかったから! どくって!」
焦った声に満足し、寸止めした足をベッドからどけてやる。
「冗談の通じないやつだなー」
整った顔に不似合いな渋面を作りながら、ようやくルームメート――テスターが身を起こす。
靴を履くのが面倒くさかったのか、彼はリュートのベッドからそのまま、自分のベッドへと飛び移った。鮮やかな橙髪――純粋な金髪が多い神僕の中では希少とはいえないまでも、比較的珍しい髪色だ――がはためくさまは、揺れる炎を彷彿とさせる。
それとすれ違うように、リュートは自分のベッドへと足を向けた。
剣帯を外して上着のベルトに手を掛けながら、
「冗談を楽しむ余裕はねーんだよ。どいつもこいつも、娯楽に乏しいからって俺を物笑いの種にしやがって」
「自ら進んで種になってるやつがよく言うよ。毎度毎度学長に突っかかっては、逆に痛い目見て終わる――あれだろ、学長が嫌いだとかアホみたいな理由付けてるけど、本当は俺たちに笑いを届けるための、身体を張ったギャグなんだろ」
「なんでお前らをひととき癒やすためだけに、俺が身体張んなきゃなんねーんだよ」
「じゃあなんで学長に喧嘩売るんだよ」
リュートは口をゆがめ、ベッド上のテスターを振り返った。
「だから言ってるだろ。あいつのことが、心の底から嫌いなんだ」
途端、テスターが衝撃を受けたように目を見開く。
「そうなのか……」
頭を左右に振り、憐憫のまなざしを投げかけてくる。
「てっきり道化を演じてるのかと思ったら……素で底抜けのアホだっただけか」
「お前ってたまにめたくそむかつくよな」
「でも実は自覚あるんだろ」
「うるせえ」
言われた通り多少の自覚はあったので、それ以上は返せなかった。
ボタンを外して上着を脱ぎ、足元の洗濯籠へと無造作に放り投げる。代わりにベッド脇に置いてあった訓練生用の上着――着替え用に出しておいたのだが、どっかの馬鹿が遠慮なく寝転んでくれたおかげで、素敵な皺が刻まれている――を手に取り、リュートは肩をかばいながらぎこちなく着替えた。
リュートが属するG専科の制服は、守護騎士の制服を改造した仕様だ。こちらは黒地で、学年カラーを表す白のラインが入っている。着心地に大した差があるわけではないが、学生服の方がやはり落ち着く。
と、テスターがじっとこちらを見ていることにリュートは気づいた。正確に言うならば、彼はリュートの右肩を凝視していた。
痛めていることに気づいたのだろう。視線は外さないまま、腑に落ちないといった様子で口を開く。
「珍しいな、そこまで怪我するなんて。逃げ回るのは得意なくせに」
「一言多いぞ」
ルームメートを申し訳程度ににらみつけ、気力も続かず嘆息する。口論するよりも、今は誰かに愚痴りたい気分だった。
「まあ、夕食の時にでも詳しく話すよ」
◇ ◇ ◇