2明 異世界大使館
「アイテムボックスの輸送はまだですか?」
「ああ。はい、はい。それなら今日の夕方ごろにお願いする予定です」
「なぜですか。今すぐではダメなんですか?」
「うーん。まあ、急ぎではないということだったので、夜間配送を利用したほうが少し安いんですよね」
俺はこの世界に転生し、幼児から50歳生きてきた。今、俺の仕事は大使館職員だ。
「それか、素直に配達業者さんに直接依頼するのが、まあ常識的にはベストになるかとは思いますよ」
「もう忘れてしまったんですか?」
「えっと、何をでしょうか」
「私がアイテムボックスの輸送を依頼した理由です」
「はあ、申し訳ありません。1日に幾つも案件を抱えているもので、個別の事由に関して完全に把握しているわけではありません」
俺は事務的にそう説明したが、依頼人であるタイメスさんは渋い顔だ。
「でも、人として請け負った仕事にはなるべく責任を持つのが普通ですよ。もしあなたがちゃんとした会社に勤務していたなら、そんな言い訳していたらクビ。解雇になるのが当たり前ですよ?」
「ああ、ははは。実は俺は昔、リストラされたんですよ」
「……え?」
「魔道具のディーラーをしていたのですが、フケが出るのを注意されたりストーカーみたいと散々に言われた結果です。大切なお客様が契約を打ち切ったとかもあって、割とカンカンに怒られましたね」
「怒られましたね、って。よく生き残れましたねえ。まあ、昔のことなら、別にそれは気にしないとしますけども」
転生する前も、今の俺もリストラ経験者だ。
剣と魔法の世界に飛ばされてきて大使館職員なんて立派な仕事にありつけただけでもラッキーではあるが、リストラは何度されてもキツいものがある。
「借金までして会社を建てたのにとか、そりゃもうこっぴどく怒られました」
「だから、もういいですって。やめてくださいよ~。まるで私がいじめたみたいになるじゃないですか。わざわざ自分で自分の首を絞めるようなことを言うなんて、コミュ障なのではないですか?」
「コミュ障ですよ。ずっとそうですし、自覚してますし、治らないものです」
「暗い、暗いですよ。まあ、あなたが明るくても上司の嫌味は止まらなかったでしょうけど?」
「暗いですか。性格がですか?」
「もう、いいので、輸送がちゃんと出来たかどうかを連絡してもらえますか?」
「どうしてもですか?」
「あのね、大使館職員なんて雑用でしょう。それとも、大使館勤めだからリストラされた過去はなくなったとか思ってないですか?」
「今は大使館職員です。公務なので、あんまり迷惑なことをなさるなら公務執行妨害という立派な犯罪ですよ」
「まあ。老いぼれとは言っても、開き直りが甚だしいですよね。信じがたいクズでもないと、そんなことを言わないでしょうに。生きてきて誰かに感謝したことあります?」
「ないです。能力がカスなのに生むなよって親に思ったことしかありませんね」
「ウソ……。なんでそんな寒い発言がぽんっと出ちゃうんですか。悲しい人間ですね」
タイメスさんは険しい顔でこちらを見てきた。
しかし俺はストレスが限界を超えると表情筋が死ぬので、無表情なのが奇跡的に冷たく厳しい態度と受け止められるようになった。
「すみません、言葉が過ぎました。輸送がされたかどうかは、先方に自分で問い合わせます」
「いえ、ご発言は失礼ながらメモしましたから、別に俺が連絡して構いませんよ」
「余計なお世話です。あと、勝手に言葉をメモしないでくださいよ。とっても失礼です。頭がおかしいんですか?」
「頭はおかしいですよ。そうでないと、仕事にならない職業なんです」
「えっ。大使がいらしたら謝るべき、考えがたい不遜な言い種ではないですか」
「滅多にいないですよ。学校で言ったら校長先生。百貨店ならせいぜい人事ですよ。社内にいないのが仕事みたいな存在です」
「校長先生は普通はなるべく学校にいますよ。学校の長ですよ。校長先生が出張ばかりだったら、そんな学校は崩壊してます。やっぱり頭がおかしいですよね」
「いたとしても顔なんて出しませんから、いないのと同じです」
「ああ、そうですか。あなたもあなたなりに大変なんですかね。本当、よく生きて来れましたね。ある意味、感心してしまいますよ」
タイメスさんは元いた世界にいた誰かに似ていた。
しかし最近、残念ながら俺はボケが始まっていたので誰なのか思い出せなかった。
「あなたは、通販とかなさいますか。私、最近ハンドバッグを買ったんです。これ。どうですか、似合いますかね?」
「そういった質問にはお答えしかねます」
「なぜ。大使館って質問にそんな厳しいとは思えませんけどね。ねえ、このハンドバッグ似合いますかね?」
「そういった質問にはお答えしかねます」
「似合いますよね。なんか、そんな顔しちゃってますよ。かわいいですね。ムラムラするんで、そういう、かわいい感じを出すことこそやめてくださいよ」
「迷惑な発言は慎んでください」
「あ、ああ。はい、申し訳ありません。それでは、アイテムボックスの輸送だけよろしくお願いします」
長々した会話は終わり、タイメスさんは去った。
ごく普通の中年女性に過ぎないタイメスさんだが、教育業界で相当に頑張ってきたらしい。
それでなのか、大使館とそう関係あるとは思えない彼女はよくここで見かける。
「なんだか気に入られてますね。良かったじゃないですか。なに、嫌われるより、何事も丸く収まるほうがいいに決まってますからね。対応、お疲れ様です」
「はい。メジンさんもご苦労様です」
「あは。ま、何かあったら、いつでも声を掛けてくださいね」
タイメスさんは知らないだろうが、俺は実は正社員ではない。
ていよく使われるアルバイト、あるいは派遣社員だ。雇用契約書には正社員とはなく、従属単位日契約職員という明白に正社員とは程遠い肩書きがある。
「そろそろ仕事には、慣れましたか?」
「いつ辞めても大丈夫なようにしてあります」
「もう、そんな悲しいことおっしゃらないでくださいよ~。なるべく辞めないように頑張ってほしいですから。だって休まず働いてらっしゃるもの。うっかりした言葉で本当にクビになってしまわないように気を付けてくださいね?」
「あなたみたいな人はどこにでもいますね。そんな励ましでは傷付きませんから」
「一体どれだけ難儀な人生だったんですか~。タイメスさんじゃないですけど、自分もいじめのつもりでお話させてもらったりなんてしてませんって」
「今日はもう帰ります」
「ええっ。まだ定時まで30分もありますけど」
「昨日、働きすぎたので。いいですよね。上がります」
「あ、はあ。お疲れ様でした。タイムカードだけ忘れずにお願いしますね」
「確かに忘れっぽい俺には必要な言葉だ。ありがとうございます」
「別に感謝されたくてではないんですけど、じゃないか、なんでもない。なんでもないですよ」
まるで俺が通過してきた、ろくなことがない現代社会みたいな異世界だ。
全てが生々しく、生き急ぐ人しかおらず、よくこんな世の中で子供が生まれて来るよなとうんざりする。
若い頃にはクソだと思っていた人種が実は俺よりは有能だなんてこともザラだ。
一方、俺は年を取り脳が劣化してクソな作業しか出来なくなっていた。
「ちっ。ファイアの魔法ってどうやるんだっけ」
見せる相手もいない魔法。
どうやってコンロの火を付けるか忘れてしまったみたいな勢いで、当たり前のことが俺から失われていく。
異世界では両親とは生き別れた。
俺がやけくそで豪遊したせいで、一家離散したのだ。
「最悪の場合、乞食になるか」
死に損なった底辺の俺は、異世界でもプライドなんて簡単に捨てれる。
乞食から成り上がる未来を夢見るのだけは自由だ。いよいよ脳が腐るまでは、俺の特権だ。