X-7
今が真冬じゃなくて良かった。
なぜそう思うかって?
緋灯恭哉は炎を操る事を得意とする魔術師だ。その対策として、流れる緩やかな河に飛び込み、全身をびしょ濡れにしたからである。
小さい頃に家族でバーベキューだってした事のある石まみれの河原に上がり、小刻みに軽く震えていた。
「……普通に冷たい。風邪引きそう」
いつまでも震えていられない。僕は両手で足元の農具を蹴り上げると、クワを手に持つ。
世界すら救う最強の魔術師相手に、こっちは下剋上を起こさないといけない訳だ。
河の上。
月夜に浮かぶ魔女のように、その男は空飛ぶ箒に座ってこちらを睥睨していた。
クソ野郎がこう問いかけてくる。。
「そんなもので、この俺を?」
「ああ、テメェのスペック自慢もうるせえ御託も聞いてやる気はない」
まだ真那枝は怪我もなく、無事に生きているというのに、どうやらまだ僕の腸は煮えくり返っているらしい。
空中に上がる術はない。このまま上から豪雨のように炎が降り注げば、それこそ僕は終わりだ。
だけど、その心配はない。
一言、こう言えば良い。
「来い。フェアにやろう」
「……そうだな」
緩やかに下降してくる緋灯恭哉が何を考えているかは明白だ。
こいつは結局、どこまでいっても主人公なのだ。だからこそ一方的な殺害行為なんてできない。白黒つけるためには、とことんまで全力でやり合って戦う。それしか彼の辞書にはないのだ。
僕が、そうした。
こんなキャラクターなのに、一度敵に回れば僕のヒロインに手を出すんだから、本当に救えない野郎でもあるけれど。
こいつは何度も乗り越えてきたんだ。こんな不利な状況を何度も。
思わず、絶対に負けられない敵だというのに口が滑ってしまう。
「……ったく、格好良いヤツだよ、お前は」
「いきなり褒められて悪い気はしねえが」
その魔術師は下降して、しかし着地はしなかった。
唐突に浮力を取り戻し、箒草の一束が輝く。どんな術式が光ったのかが分からないのが致命的だった。流石に魔術の文字まではファイルに書けない。新しい文字をパソコンのワードファイルで書き込めないからって理由だけじゃない。英語でも無理だ、僕は補修を受けるレベルの頭なんだし。
警戒はしていたつもりだった。油断なんか絶対にしていないし、クワを手前に構えて全力で応戦する準備は整っていたのに。
ビゥゴッッッ‼‼‼ という風を切る凄まじい音がして、箒の柄の先端が僕のみぞおちにめり込み……っ⁉
「がはっ、ふ……っ⁉」
呼吸、が……でき、ない……っ‼
時速は優に二〇〇キロを超えていただろう。緋灯恭哉を乗せたまま、箒がカッ飛んできたのだ。感覚的には爆走しているスクーターが一ヶ所に集中して突っ込んできたようなものだ。
肋骨くらいなら普通に折れていてもおかしくない。
クワが手からこぼれ落ちる。巨大な石の上に落ちた農具の柄の部分を僕は全力で踏みつける。肺に空気が上手く取り込めないからか、酸素が回らなくなったらしい。視界が奇妙にブレるが、クワが跳ね上がった事で胸の辺りの高さを浮遊していた魔術師の箒を叩く事に成功する。
お前は小学生でも知っているテコの原理を知らない。
だから。
「うおっ⁉」
「箒を奪えばお前はただの人間だ‼ 違うか魔術師サマ⁉」
馬乗りでも石で殴打でも何でも構わない。
とにかく動きを封じようとしたが、恭哉は河原の上で逆立ちになる形で受け身を取ると、その場でブレイクダンスのように回転して僕の両腕に爪先を叩き込んでくる。さらに手をつけた地面から石を二つ摑みながら立ち上がり、その一つを全力で投擲してくる。
「あぐっ⁉」
額にモロに石を喰らう。
もう一つ、拳よりも大きな石を恭哉が放り投げたと思ったら、それは箒にヒットする。くるりと回転した魔術師の武器が軌道を変え、一歩横にズレた少年の手の中へと収まる。
「アイディアは悪くねえ」
憎むべきモンスターがそう言った。
「だが魔術だけが魔術師じゃねえんだよ」
……っ、やっぱりそう簡単にはいかないか。
額の痛みに呻く暇もない。
ヤツの箒がまた光っている。紅蓮の炎が席巻する。魔術師の口からはこんな言葉が紡がれる。
「三ツ星魔法、ヴィガーランス」
「いきなりかよ、くそっ‼」
今の言葉で思い出す。
星の数で魔術がランク付けされているんだったか。最高度は五ツ星だが、三ツ星は確かその魔術一つでテロを起こせるくらいの威力はあったはず。そんなもんを一般人に、しかも非力な高校生相手に使うなよ⁉ やっぱりこいつ頭が悪いというか加減ができない魔術バカか‼
生み出されたのは炎の槍だった。
一つや二つではない。それは恭哉が見えなくなるほど視界いっぱいの炎。無数の凶器の形を彩る赤の炎が河原を埋め尽くす。遠くから見ればキャンプファイヤーでもしているように見えたかもしれない。
直後だった。
僕の体が赤い海に呑み込まれた。