X-11
雷が落ちた。
それが縦に竹刀を振った真那枝の剣先から飛び出した紫電だと遅れて気付く。
全体的に僕の想像以上だ。幼馴染の少女は僕が思い描くよりもさらに剣を我が物にして操っている。
メアリーが自らの髪の毛を一束摑み、そして自身と分離させた。まるで鞘から白い剣を引き抜くかのようにして彼女も自己生産の得物を得る。
ギィン‼ と剣と剣が交わる音が響く。
「っ……」
「相性が悪い、だろう? メアリー」
海原真那枝ばかりに体を張らせておいてなんだが、まあまあのドヤ顔で僕は告げる。
「お前の体は未知のテクノロジーが満載だけど所詮は機械だ。電気の影響は受ける。電化製品にデートに行ってクラつく描写だってあったよな。こんな近距離で凄まじい電圧を受ければ体にどれだけの悪影響がある?」
「ノー。この程度どうとでも」
「なら直接叩き込まれたら?」
直後、ズヴァヂィ‼‼‼ という強烈な爆音が響く。
青白い電撃が炸裂して、メアリーの体がわずかにくの字に仰け反る。
うわあ、にしてもグロい。好きな子が丹精込めて作り上げたキャラクターをフルボッコにしようっていうんだ。僕は一体どんな顔をして戦況を見届ければ良いのやら⁉
「……なる、ほど」
たんっ、たんっ! と芝生を蹴る音がする。後ろに跳び退くようにして、メアリーが真那枝から距離を取ったのだ。
「では、電気の影響を受けないようにしましょう」
「はい?」
ボドン! ボトボトボト! と大量の機材がなんか落ちる。
背中から、だと思う。お尻からだとは思いたくない。メアリーの体から見た事もない鉄の塊が地面に向けて音を立てながら落ちたのだ。
「電気から影響を受ける部分を全てイジェクトしました。これで磁場の影響はクリアですね」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………真那枝、何とかして」
「貴様戦っている女の子に向ける最後の台詞がそれで良いのね⁉」
まずい。
単純な力比べなら、いくら馬鹿激強根性強烈パワー剣道少女の真那枝とはいえ、流石にメアリーには負ける。多少は剣と呪いの力で補強されていて、かつ死なないとはいえ好きな女の子が殴られる光景なんて絶対に見たくない。
「真那枝、メアリーの胸の中央を狙え! そこにリアクターが詰まってる‼ それだけは彼女の体から取り除けないはず……ッ‼」
「本当にあなたはどこまで……?」
メアリーの眉がわずかに上がり、怪訝な表情が見て取れたが、こちらは気にしていられない。
そう。
「まずはあなたから行動不能にした方が良さそうですね」
たんっ、という軽い音が聞こえたと思ったら、僕の懐に白い影が潜り込んでいた。
視界が回った。
痛みなんか、後から遅れてやってくるほどだった。
「がぁ⁉」
芝生の上をゴロゴロと転がる。目が回る。酸欠に陥った時のようにクラクラと頭の思考がまとまらない。
どうすれば。
どうすれば良い、くそっ⁉
「ふうん。こっちが弱者か」
知らない男の声が聞こえた。
黒いローブを纏う少年だった。細い線の少年。ろくな食生活を送っていないのだろう、服さえ変えれば女の子にも見えるそいつは、あえて変装のためにその体型を保っているんだったか。
「『盗賊王J』出典……ジャック=レイニア?」
「いつまで使うかも分からない名前をどうしてアンタに知られているのかはさておいて」
偽名だ。
いいや、本人自身の己の確かな名前を知らない。生涯孤独のジャックは、しかし自由を得るために盗賊という職に足を踏み入れたのだ。
そして特筆するべきこいつの特徴が一つ。
ジャック=レイニアは、あらゆる弱者の味方になるという特性を持つ。
「機械の女か。どこぞに売り飛ばせば大金になりそうだが」
「あなたも危険人物のようですね」
たんっ、という悪魔の足音がもう一つ。
ジャック=レイニアの懐に飛び込んだメアリーが拳を放つ。顎に向けてのアッパーカット。盗む技術以外は全くの凡人である彼には、回避するための手段などないはずだった。
なのに。
スカッ‼ とその拳は空気を切る音を奏でただけであった。
「……?」
「機械だとしても視覚情報はどこから取り入れているのか。人間の造形をしていれば、よっぽどの事がない限りそれは目にするだろう」
ここまで。
ここまでサラリと、このアンドロイドを攻略した人間がいるだろうか。
「なら光を屈折させたり目に異物が入ったりすればどうだ。情報は正しく処理されないんじゃないのか」
「視覚情報の再起動完了。再度攻撃を試行します」
「無駄だよ」
そこで僕は目撃する。
ジャックの手に細い一筋のペンライトが握られている事に。元々は盗みに入り視界を確保するためのアイテムだったはずだが、今はそれをメアリーの瞳に照射している。
それだけだった。
本当にやっている事はそれだけ。
だがその技術が精密なのだ。ピタリとライトの向きが一点に集中している。今もジャック自身は激しく体を動かしている最中だというのに、だ。
細かくチカチカと点滅させたりはしているが、基本的にはその切り札一枚だけでジャックはアンドロイドの致死圏内から逃れる事に成功している。
素直に感心する。
「……なるほど、車でも同じだ。自動運転の試行試験じゃ対向車線のライトを誤認識して急ブレーキがかかる事だってあったらしいし」
「機械のレンズってのは人間よりも遥かに騙しやすいのさ」
経験から知っているのだろう。
そう、最先端防犯装置に一度も捉えられた事のない猛者は、口の端に笑みを浮かべる余裕さえ見せながら。
「そして弱点はすでにバレている。もうアンタは脅威には映ら
ダァン‼ という銃声が教会の丘を席巻した。
メアリーとジャック、両者の動きが止まる。
胸の中央。たった一発の弾丸のはずなのに、彼らの胸部、その中央に親指の先くらいの風穴が開く。奇妙なオイルと赤黒い血をそれぞれ流しながら、支えを失った棒のように二人が芝生の上へと倒れ込む。
しゅわりと砂の塊が崩れるような音が夜の世界に流れる。メアリーとジャックが完全に機能を停止したからか、さらりと崩壊を始めて次の瞬間には芝生の中へと溶けていく。ああなるのか。物語から飛び出した者が死亡すれば、こうなってしまうのだとまざまざと見せつけられる。
ジャックもそうだが、あのメアリーに気取られないレベルの人物。盗賊王と同じレベル、もしくはそれ以上の怪物に今僕らは照準されている。
誰だ。
それほど多くないはずだ。
思い出せ。
今すぐに思い出せ、銃を使うキャラクターを‼
さもなければ、今すぐ死ぬ事になる‼‼‼
ありがたい事に、焦りは記憶の引き出しを開いてくれた。
「『犯罪都市ライフスタイル』の荻野悠真か‼ 真那枝、バイクに注意しろ‼ ヤツはどんな死角からでも襲い掛かってくるぞ‼」
バルゥッア‼ というエンジン音が聞こえたのはその時だった。
ヘルメットなんて概念はないようだった。
革の手袋をつけた少年が純白のバイクに乗って一番近くの木からこちらに突進してくる。時速はすぐに一〇〇キロを超える。たった二秒もあればこちらに到着する。もう三秒あれば僕らを轢き殺すに足りるだろう。
「真那枝、バッテリーを破裂させろ! ヤツの尻の下辺りを撃ち抜くイメージで良い‼」
「了解‼」
バイクの爆音を間近で聞いている荻野悠真は僕らの会話は聞こえないはずだった。
だというのに。
「おっと」
いっそ軽い声を出したライダーが純白のバイクから飛び降りる。
時速一〇〇キロの世界の中でも着地など物ともしない。おそらく悠真にとってはこれが日常なのだろう。足から地面に触れたと思ったら高速の世界に体が巻き込まれる。慣性の力を殺すために手をつき空中で一回転、さらに側転を続けて安全にバイクから離れる事で、バッテリーパックの爆発から逃れていく。
問題は純白のバイクの方だった。
悠真が何の執着もなく乗り物を手放してしまったため、ブレーキなんか掛かっている訳もない。横滑りするような感覚で、白い二輪が突撃してくる。感覚的には暴走車に近かった。
「歩夢っ‼」
竹刀が振るわれる。
電撃と共に大重量のバイクが横薙ぎに叩かれ、わずかに軌道が逸れる。僕の真横をバッテリーが焼け焦げたバイクが通過していく。
「……助かった。ありがとう真那枝」
「次は一体どこの誰」
「厄介だぞ……」
説明するのも億劫だったが、その時間がないのも事実だった。
この国で、見る事はまずないと思っていた。ましてや突き付けられる事など。
「拳銃……」
「トカレフ、だったな。結構昔に書いたからあんまり覚えてない」
レザージャケットを纏い、常に犯罪者を断罪するその男は開口一番こう言い放つ。
「僕を元の世界線に戻せ」
「僕も何がどうなっているのやらだ。そして荻野悠真、お前は犯罪者だけに銃口を向けるキャラクターだったはずだ。どうしたらただの高校生に発砲する準備を進める羽目になる?」
「知ったような口を利くなら分かるだろう? 僕は犯罪島フォルトゥナでしか生きられない人間なんだ。こんな平和漬けの世界じゃ死んでいく」
「今僕らを放っておいてくれたらお前の望みは叶うんだけど」
「大抵そんな事を言うヤツは、悪事を企んでいるんだよ」
すっかり人間不信が出来上がっているようだった。まあ僕がそんなキャラクターばかりをこいつの周りに用意したから当たり前だし、糾弾する気も起きないが。
……さて、ここで真剣に考えてみよう。
真那枝の竹刀から電撃が走れば、光の速さで荻野悠真の意識を刈り取る事は、おそらくできる。
だが相手は確実に主人公級。だが、そう簡単にはいかない気がする。『犯罪都市のライフスタイル』の相手の敵は放電する槍を握る集団だった。そんなヤツら相手に大立ち回りをしたキャラクターに、戦力にならないインドア男子と剣道少女じゃ随分と頼りなく思えるのは僕だけか……っ⁉
言った。
告げる。
「見逃せ、荻野悠真」
「断る。君を倒してから状況を細かく精査した方が建設的だ」
もはや止まらなかった。
銃口が跳ね上がる。
真那枝の電撃が、その弾丸を撃ち落とす。
……おい。おいおいおい⁉ なんか真那枝の強さが化け物じみてきた。銃口に向けて電撃を放つならまだ分かる。だけど今完全に電撃が銃弾を撃ち落としたぞ⁉
呪いの時間が早まっている。
真那枝の残り時間が少なくなればなるほど、呪いの力が強まっていくように。本来ならそんな設定はないはずだ。だけど、違うのか。首の輪の侵食が進んでいくほどに、消えかける蝋燭の直前のように彼女のパワーが増していく……?
そして稲妻を見て槍を持つあの集団を連想したのか、悠真がトカレフのマガジンを交換しながらこんな風に呟いた。
「『プレグナント』の残党か……?」
「歩夢あなた妊婦さんまで登場させたかどうなってるのよ性癖の方は⁉ ちょっと一回腕の良い頭の病院行きましょうかッッッ‼‼‼」
「いやァ‼ いくらでも反省するから大声でそんな事言わないでトラウマになる‼」
事態を忘れて頭を抱えて絶叫する羽目になった。
いつまでも泣いている訳にはいかない。
真那枝も僕の糾弾より撃退を優先したようだった。竹刀が地面に向けて振るわれ、一気に砂埃が舞う。小さな落雷によって芝生がめくり上げられ、その下の土が空中に霧散したのだ。
「甘い」
荻野悠真が何か言う。
あらゆる犯罪者を相手取り、そしてその時その時に出会った恵まれない少女達に救いの手を差し伸べるプロが。
「目晦ましなら毒ガスくらいでちょうど良い」
「っ⁉」
ダダンッ‼ と火薬の音が響き渡る。
地面に向けられていた竹刀が銃弾のせいで弾かれる。『呪い』に補強された竹刀そのものが破壊される事はなかった。だが竹刀が弾かれたという事は、手から得物が離れない真那枝からすれば大迷惑だ。
つまり。
竹刀と共に真那枝の体が仰け反る。
そこに何の躊躇もなく、胸の中央を狙った銃口が突き付けられる。
「真那枝っ‼」
僕には何もできない。
だけど、魔法少女のカレンやクレアからこう言ってもらった事を忘れてはならない。
僕の武器は屈強な肉体や隙のない体術なんかじゃない。悪魔的とまで評されるこの知恵にこそある。ゆえに、僕の思考回路はこんな結果を出した。
どむっ! と真那枝を突き飛ばす。
荻野悠真の方へと。
「はァ⁉」
真那枝、お前はきっと裏切られたみたいな顔をしているんだろうけど、そいつは違う。僕は命を懸けてでもお前を助けるつもりなんだ。
だって。
「お前に人は殺せない。違うか荻野悠真‼」
「っ‼」
反射的に、とでもいうべきだっただろうか。
悠真の構えていた銃口が素早く下がる。肩口辺りを狙っていた女の子がいきなり突っ込んできたのだ。狙いを誤れば即死にも繋がる事態である。
人を殺さずに救う事を生業としてきた彼には、そのまま発砲という選択肢はない。
「君は……ッ‼」
「銃は近距離じゃ役に立たない。少なくとも間合いを測って引き金を引くのと、ただ稲妻が走る速度だ。どちらが速いか計算できない馬鹿はいない」
つまり。
だから。
勝ったと。
そう思って。
どむっ‼ とレザージャケットから引き抜かれた警棒が真那枝の肩を叩いた。
日頃から真剣に剣道に打ち込んでいる真那枝が一瞬で痛打を受ける。ガードの素振りもなかった。
そうだ。
ああくそ、どうして今になって思い出す⁉ 僕はクソ馬鹿か‼
「銃をメインに見せかけて警棒で倒す……。そんな戦闘スタイルだったか……ッ⁉」
遅れて気付いてももう遅い。
そう、見せかけるという特性があれば、僕や真那枝もその術中にあったんだ。知っていたとしても荻野悠真の特性が発揮されれば、僕らが警棒の存在に気付く事はできなかった。
やらかした。
ミスをした。
絶対に警戒しておかなければならない事を失念していた‼
「諦めろ」
端的に、目の前の強敵が告げた。
警棒と拳銃。絶対に勝てない相手は、二つの武器を僕と真那枝のそれぞれに突き付けて。
「殺しはしない。だが事情については尋問させてもらうぞ」
「諦めろだ……?」
何を言おうとしている。
絶体絶命のこの状況で、何の力も持たない僕は一体何を口走ろうとしているんだ?
「荻野悠真、お前が『この場面』で命を見逃しても『別の場面』で命の危機は迫っているんだよ。何が主人公だ、ガッカリだよ。全ての人に救いの道を指し示す、そんなキャラクターになるように書いたつもりだったのに」
「どういう意図の発言かは分から……」
「今僕が話してんだ黙ってろクソガキ」
わざと空気を張り詰めさせた。
これで銃の引き金が引かれたとしても。余計な事に時間を取られれば、真那枝の首の痣が本当に一周してしまう。そうなったら、意味不明なこの状況に大切な人の命を奪われる。
「たった一巻しか活躍してねえヤツがしゃしゃり出てくるんじゃねえ。いいか三下、無作為に人を救ってきたお前には分からないかもしれないけどな、こっちは好きな女の子助けるために必死で戦おうとしてるんだ、邪魔するんじゃねえ‼」
来い。
いるはずだ。
こんな絶望的な状況は何度も書いてきた。そのたびに救いの手を差し伸べてくれる、優しい主人公を生み出してきた。たくさんの人に読まれた訳でも、拍手喝采の称賛をもらった訳でもないけれど。
だから最後の最後に賭けてやろう。
決して運任せじゃない。
今まで積み上げてきたものを信じろ。
たった一人で孤独と戦うように原稿と向かい合った自分を信じて、あらん限りの大声でもって僕は叫びを上げる。
「『魔導エンジニアの受難』出典・オスカー=クロスハート。こいつに一泡吹かせられるのはお前くらいだッッッ‼‼‼」
そして、『科学で作る魔法少女』や『赤の魔術と純真聖域』を置き去りにして、本物の魔導があった。
それは、とある女神から授けられた一つのエレメントの完全支配権。
ゆえに。
ドッゴゥオ‼ と間欠泉のように下から上へと滝が流れた。
そのままレザージャケットの少年が空中に跳ね飛ばされていった。
「流石は」
視線を横に流す。
そこには魔導学園エクセルシアの緑色のブレザーを纏い、レイピアのような細い剣を持った高校生の魔導エンジニアの少年が立っていた。
思わずくすりと笑って言った。
「……最強系主人公は格が違うな。助かったよ」
「ええと、いきなりこの場所に飛ばされたんだけど、こりゃどういう因果律だ?」