呼び出し
あれから数日が経った。
依然事件に進展はない。熊坂は行方不明のままだ。もちろん魔物が新たな事件を起こしていなかった。
そんな最中、僕の携帯電話が鳴った。見知らぬ番号だ。無視をしようとしたが、記憶の片隅に見覚えのある番号だった。
「もしもし……」
僕は警戒しながら、相手の反応を待った。
『岩野です』
落ち着いた声だった。僕の記憶にあるはずだ。と、一人で納得した。
「どーもです」
僕は明るい声のトーンで言った。
『一回しか言わないから聞いて。あの病院で重大な事がわかったんだ』
岩野はここでしばらく沈黙した。
僕はしびれを切らし「重大な事って?」
『無理だ。電話では無理だ。今晩にでも廃墟の病院に来てくれ。夜の十時頃がいい』
「ちょっと待って下さい」
すでに電話は切れていた。断る暇さえなかった。僕はこの事件を静観するつもりだ。だから、今さら廃墟の病院に行く気はない。問題外だ。
僕は懐中電灯を点くか何度も確認した。廃墟の病院の前でも繰り返した。電池切れなら帰宅を決めていた。
懐中電灯は点いていた。
改めて廃墟の病院を見ると、無気味だ。夜だからなのか、バラバラ殺人事件があったからなのかわからないが、昼間と違って目の前にいるだけで震える。それは寒さがプラスしてさらに身震いが激しくなるのだ。
午後十時頃に待ち合わせをしたが岩野が現れない。緊急で呼び出すほどなのだから、事件に関して重要な事だろう。
人気のない場所で待っていると、いつ魔物に襲われてもおかしくない雰囲気だ。
僕はスマホで時間を確認した。
もう限界だ。寒さに耐える自信がなくなっていた。
「ん?」
男の声で悲鳴が微かに聞こえた。廃墟の病院からである。
魔物が現れたのか。
もちろん恐怖もあるが気になった。
足が勝手に走り出していた。廃墟の病院に突進するようにである。
「岩野さん!」
僕はまず大きな声で呼んだ。反応はない。予想していた事だ。
どうする?
警察に電話して逃げる手もある。
その選択は選ばなかった。
階段で二階に上がり、踊り場から出て、廊下を左右に懐中電灯を照らした。叫び続けた。
二階にはいなかった。いや、調べていないがいない気がするのだ。
三階が怪しい。僕が襲われた場所だからだ。
三階の踊り場を出た。見慣れた廊下も恐怖心で違って見える。
だから一歩が遅い。嫌な汗が額にまとわりついている。
病室には入らず、廊下でひたすら「岩野さん!」と、ここでも呼びかけるが反応がない。
深閑。
息が苦しい。呼吸を忘れるほど、周囲を注視していたからだ。
『305』の部屋だけ、気になる。中に誰かいるような気はするのだ。
気のせいか。それならいいのだ。
しかし、ここまで来て引き返したら、新しい情報が聞けない。熊坂のためにも前に進むしかないのだ。
僕は部屋のドアをおもいっきりスライドさせた。
「岩野さん!」
叫ぶように言った。懐中電灯に照らした先は薄汚れた壁と、割れて窓枠だけが残されている。
急いで、病室をぐるっと一周した。
誰もいなかった。
僕の身体はびっしょりと汗で濡れていた。このまま放って置くと、カゼでもひきそうだ。
安堵感から今まで遮断された感覚が蘇ったようだ。
魔物はいないし、岩野もいない。
悲鳴は幻聴だったのかもしれない。
全てが自然現象だと、楽観視する。悲鳴も風のせいで、建物の中にある物が動いたりした衝撃音に違いないと、結論した。
数分前とは心境が変化していた。
そう言えば三階で見ていない空間があるのを思い出した。手術室である。建物の角にあって窓などなく、外からの光を通さない場所だ。
僕の足は軽るかった。ドアが壊れて、開けっぱなしの手術室は恐怖感はなかった。
「岩野さん!」
僕は強めに言った。もちろん返事はない。奇っ怪な音すらしない。
「どうせ、ここにもいないんだろう」
予想通り、誰もいなかった。
三階の病室はほとんど確認していないが、反応がない事から誰もいないと、思われた。
僕は岩野に会う事を断念した。当分、この廃墟の病院に来る事はないだろう。
今日は何もなかったって事で終了だ。一階の出入り口を通り抜けた。
「ん?」
僕は探していない場所を急に思い出した。地下の存在を忘れていたのだ。一旦、足を止めて、振り返った。
気になった。
しかし、もう一度戻る一歩が出なかった。
地下には何かある。そう感じる。数回しか行っていないだけに、内部には詳しくない。
危険だ。
岩野からこの病院と魔物が関係している理由だと思うが、その情報より命の方が大事だ。
寒さも手伝って、断念した。
今、悲鳴が聞こえても、行かない。だから、耳を塞いだ。
僕は不安定な格好で走った。後ろも振り返らなかった。もちろん悲鳴も聞こえなかった。いや、聞かなかった。




