18.欠けた月
そこに居たルネの姿は髪の色こそ黒ではなく赤く染まっているが、間違いなく見慣れた妹の姿だった。
「本当の本当にルネなんだよな!?」
「どうしたんですか兄様? 私の顔を忘れてしまいましたか?」
俺はルネの方に歩み寄り、感極まった想いをぶつけるようにルネを抱きしめた。
「兄様。抱きしめる力が強すぎます。そんなにしなくても兄様の想いは伝わっていますよ?」
「ああ、ごめんな。でももう絶対にどこにも行かせないからな!」
「ふふっ。そんなに想っていただけるなんて私は嬉しいです。でもそろそろ離していただけますか?」
ルネにお願いされたので、俺はルネから手を放し距離を置く。
俺から解放されるなりルネは、キュリーの方に歩いて行きキュリーに満面の笑みで言い放った。
「出来損ないのお人形さん。貴方みたいな出来損ないなんて兄様は必要としていませんよ?」
「……い、いいえ。わ、私は……」
「兄様は優しい方ですから、要らなくなっても貴方を捨てるなんてことはしないでしょうね。そんな兄様の優しさを利用して、自分の空いてしまった心の穴を埋めようとする……そうですよね? 出来損ないのお人形さん?」
「違います! 私はソレイアをそんな風に……」
「完璧を気取っても駄目ですよ? もう貴方はただの出来損ないの劣化品。なんなら貴方より優れた私が、貴方の代わりに兄様の傍に居てあげましょうか?」
「いいえ! いいえ!」
ルネの言葉にキュリーは、今まで見たことないほどに取り乱す。
かくいう俺も、普段のルネからは想像できない辛辣な言葉に心底驚き混乱していた。
「ソレイア先輩の妹さんですよね? いきなり出てきて酷いことを言いますね」
「……何ですか貴方は? いつからそこに居たんですか? もしかして……小さすぎて私が見落としていたとかですか?」
「なっ!? ソレイア先輩の妹さん口悪すぎじゃないですか!? ソレイア先輩からも何とか言ってやってください!」
「すぐ兄様に頼ろうとする売春婦ですか……貴方も兄様に相応しくない有象無象ですね。早く消えてください」
「ルネ! なんてことを言うんだ! すぐに謝るんだ!」
流石に聞き流せない言葉に俺がルネに怒鳴ると、すぐに申し訳なさそうな顔になり俺に謝罪した。
「も、申し訳ありません兄様! 兄様のお耳に挟まないように、兄様のいないところで直接言うべきことでしたね。凄く反省しています……」
「そうじゃなくて彼女達に謝るところだろ!?」
「何を言っているんですか? 私は間違ったことなど言っていませんよ?」
ルネは俺が何を言っているか解らないかのように、困った表情を浮かべた。
ほ、本当にどうしてしまったんだ! もっと他人を気遣える優しい子だっただろ!?
「それにしても兄様の魂が、既に戻っているなんて流石です! それでこそ私の兄様です!」
「魂が戻っている?」
「はい! もう綺麗さっぱり元通りです! やっぱりそんな完璧な兄様に相応しいのは……私しか居ませんね?」
「そんなことないです! ソレイア先輩の傍にはキュリー先輩や……私だって居ます!」
今のルネにはもう俺以外の言葉は聞こえていないかのように、レルフリシラの言葉に反応すら示さない。
ルネは虚空に手を伸ばし、そしてその伸ばした手の先の空間が捻じれる様に歪み、その中から死神が持っていた大鎌を取り出した。
「さあ兄様? グチャグチャに絡まり合う様に混ざり合って……私と一つになりましょう?」
「な、何言ってるんだ? それに手に持っているそれは……」
俺はルネの右手に握られている大鎌を指さす。
「ああ、これですか? 私は特例中の特例らしいです。自律人形で収穫を任されるのは私が初めてだそうです」
「自律人形? や、やっぱりルネは自律人形にされていたのか!?」
「はい。万能型自律人形のクルセントルナです! そこに居る汎用型とかいう出来損ないの上位個体として作られました! ルネの魂は三割程度含まれているので、兄様が知っている私に近い筈ですよ?」
「三割ってなんだよ! 分かるように話してくれ!」
「言葉通りの意味ですよ。 残りのルネの魂はどこか別の身体に入ってるんじゃないですか?」
キュリーから自律人形にされているという話は聞いていたが、実際に目の当たりにすると全てを投げ出したい気持ちになる。
そして俺が思っているよりも、自律人形にされるという事態の深刻さが、ルネの言葉で更に伝わってきた。
「行きますよ兄様?」
ルネは俺にその言葉を投げかけてから大鎌を振るった。
もちろん俺は帯剣していた剣を抜き放って、ルネの振り下ろされた大鎌を弾く。
ルネがこんな物騒なものを取り出しても周りから悲鳴が聞こえないと思ったら、この四人以外の誰もいなくなっている……。
「兄様? どうして抵抗するんですか? もしかして……私のことが嫌いになりました?」
「いや。ルネのことは好きだよ……だから抵抗させてもらってるんだ」
ルネを絶対に元に戻す! それまで俺は死ねない! 死んでなんかいられない!
「まあ! 私と長く遊んでいたいのですね! ふふっ。兄様と私が小さかった頃を思いだしますね」
ルネはさらに大鎌を……狙いが完全に俺からずれた様に、一メートル程度離れたところに振り下ろした。
「ソレイア先輩! 援護します! そんな悪い子はお仕置きしちゃってください!」
声に振り返るとレルフリシラが、光系の魔方陣を展開していたので、多分魔法でルネの認識をずらしたか何かしたのだろう。
「……貴方ですか。兄様のお気に入りのようなので大目に見ていましたが、私の邪魔をするようなら本当に黙らせますよ?」
「やれるものならやって見せろってんです! どうせできないと思いま……」
レルフリシラはその言葉を最後まで言い切ることができなかった。
俺も目で追うのがやっとというスピードでレルフリシラとの間合いを詰めて、大鎌の刃をレルフリシラの腹部に突き立てた。
「うっ! ああぁぁっっっ!!」
痛みに叫ぶレルフリシラの腹部から、黄色の炎が噴き出す。
「へぇ。貴方みたいな腰巾着でも、色付きの魂を持っているんですね? でも今日は兄様の魂を収穫しに来ただけなので、あなたの魂は要りません」
「やめろルネ! レルフリシラを傷つけないでくれ!」
「心配しなくても大丈夫ですよ? 私は自由行動が認められてから、最初に収穫するのは必ず兄様の魂と決めていますから」
レルフリシラに刺さった大鎌を、レルフリシラの身体を蹴り飛ばして強引に引き抜く。
「さて、邪魔者は排除したので仕切り直しです」
ルネが両手に持った大鎌を右手に持ち構えなおす。
俺もレルフリシラの様子が気になるが、まずはルネを大人しくさせて説得するために剣を構える。
「行きますよ? さあ私と遊びま……何でしょうか?」
いきなり構えを解いて明後日の方を向いて独り言を話したルネに俺は困惑する。
どうやら俺ではない誰かに話しかけている様だった。
「調整がまだ完全ではないからって……自由にしていいとの約束の筈でしたよね? 固有魔法が使えないかもしれない? ……分かりました。では一旦戻ります」
ルネは残念そうな顔でこちらに向き直り、
「兄様申し訳ありません。収穫はまたの機会にします」
「ど、どういうことだよ!」
「戻って来いとの命令があったので、一旦帰ってからまた来ますね?」
ルネはそう言うと大鎌で円を描く様に虚空を斬り付けた。
すると何もない空間に黒色を塗りつぶした様な黒く大きな穴が現れた。
「では兄様。またお会いしましょう」
「ま、待ってくれ!」
「さようなら」
ルネがその黒い大きな穴に入ると同時に穴が消え、そこにあった元の景色が色を取り戻す。
俺はルネがまた居なくなったことに呆然と立ち尽くしていると、レルフリシラが俺に訴えかけた。
「ソレイア先輩~。私刺されちゃいました~」
「そ、そうだったな。大丈夫か?」
俺が寝転んでいるレルフリシラに駆け寄ると、既に刺されたところから噴き出していた炎は収まっていた。
レルフリシラの髪を持って念入りに調べるが問題は無いみたいだった。
「ソレイア先輩? 私が今は抵抗出来ないからって、好き放題する気じゃないですよね?」
「……人が心配しているのを、無下に扱わないでほしいんだが」
「ごめんなさい。言ってみただけです」
「まだ腹の辺りが痛むか? 他に痛むところとかは無い?」
「お腹の辺りがまだ少し痛いですけど、外傷はないみたいなので大丈夫です。それよりキュリー先輩はどこに行ったんですか?」
レルフリシラに言われてから、キュリーが居なくなっていることに気づいた。
ま、まさかルネに連れて行かれたとか!?
「……私はもう大丈夫なので、キュリー先輩を探してきていいですよ」
「本当にもう大丈夫なのか?」
「私よりもキュリー先輩の方が大丈夫じゃないように見えましたけど?」
「分かった。さっきのことは後でちゃんと説明するから」
レルフリシラをその場に残して居なくなったキュリーを探す。
ルネに連れて行かれていなければいいけれど……。