永遠は幸福とは限らない
待ち合わせまであと十分。
とても、とても、久しぶりに親友に会う。
樹亜羅に会うのは高三以来だから、実に五年ぶりだ。お互い、私生活が忙しくてなかなか会えなかったのだ。
高校の頃、と思いをはせる。
カリカリとシャープペンシルを白い海に滑らせ、真っ黒い航路を幾重にも重ね、側から見れば美しいかもしれない文様を作り出していたあの日々に。
高校の頃、私は特別になりたがっていた。特別な存在というものに、並々ならぬ憧れを抱いていた。
もっと分かりやすく言うと、異能保持者になりたかったのだ。
小学校の頃私を助けてくれた彼のように。高一の時、異能が発現して転校していった樹亜羅のように。
そう。白江樹亜羅は異能保持者だ。それも、滅多にないと言われる後天性の。
彼女の長い銀灰色の髪は、今もなおこの目に焼き付いている。
「未玖……?」
名前を呼ばれて振り返ると、光沢のある銀灰色が目に入った。樹亜羅だ。
「久しぶり、樹亜羅」
少し遠い距離にいた彼女に駆け寄る。
「そうね……未玖ったら、高校生の頃と全然変わらないのね」
そう言われて、何か言い返してやろうと彼女を見る。しかし、彼女は私と違って雰囲気がかなり変わっていた。
私は異能の発現を示す髪や目の色の変化ばかりか、顔までも童顔のまま変わらないとネタにされ続けているのに。
「樹亜羅、何かお姉さんになったみたい」
樹亜羅が笑う。それはなぜか、私の目に少しさみしそうに映った。
ショッピングや何やらで遊んだあと、樹亜羅の顔を窺うと、その笑顔はそれこそ高校生だったころと比べて遜色ないくらいに輝いていた。
大人っぽくて、でもとても楽しそうな顔。私はその笑顔にもあこがれていたものだ。
「じゃあね、またいつか」
「うん!」
樹亜羅の背中が見えなくなるまでずっと手を振り続けて、私も一人、帰路についた。
*
樹亜羅が死んだという知らせを受けたのは、三十の手前、二十九の夏のことだった。
最後に会った二十七歳の冬、樹亜羅は、しばらくの間私に関わるな、という忠告をして、私とはほとんど縁を切っていた。落ち着いたら連絡を取る、と言い残して。
そのときの彼女も、変わらず、凛とした雰囲気だった。
それでもどこか寂しそうにしていたのは、こうなることを多少知っていたのかもしれない。私ともう、一生会えないと。
葬儀で見た最後の彼女は、美しかった銀灰色を無残に短く切られていた。一目で誰かに切ってもらったものではないと分かった。
「君、キアラさんのご友人?」
突然掛けられた声に、帰ろうとしていた足を止める。目の前の男は、明らかに私を見ていた。
「……そうですが」
樹亜羅についた虫か何かだろうか。そんなことを咄嗟に思った。
黄緑色の彼の瞳は、明らかに異能保持者であることを表していた。
「キアラさんが死んだ原因、知りたい?」
そんな軽薄な口調で、言動で、あの子の死を語らないでほしい。そういう意志を込めて黄緑色を睨みつけた。
「ああ、俺は介。キアラさんとは同じ職場だったんだ」
「……なにか、知っているの」
誰からも教えて貰えなかった。樹亜羅の両親は泣くばかりで、知らない人に聞こうにも、沈痛な面持ちで首を横に振るだけだった。事故なはずがないのに、事故だとも言われた。
いくら童顔と雖も、私は樹亜羅と同い年で、あの子の親友なのに、お嬢ちゃんにはまだ早い、なんて言って口をつぐむ人すらいた。
「ああ」
最後だ。この男に聞けなかったら、諦めるしかないのだ。頼りたくはなかったが、結局頼ることにした。
「むごい話をするかもしれない。いいかい?」
「私を誰だと思っているの」
介の気遣いにそっけなく返答すると、彼は肩をすくめた。
「キアラさんは、俺の上司だった。それで、とある任務の最中に、彼女は――殺された」
え、と声が転げ落ちる。
誰にだ、と頭が急かす。あの子はそんな、恨まれるような人じゃなかった。それは私が、一番良く知っている。なのに、……殺された?
「殺された。殉職したんだ。とある事件の犯人に、心臓を切られた」
何も言わない、言えない私を、黄緑色の目が心配そうに見ていた。
「見ただろう。キアラさん、髪が切られていた。奴が切ったんだ」
介の話が上滑りしていく。殉職という言葉が、やっと入ってきた。
「樹亜羅の仕事って……」
「異能を生かした仕事だよ。キアラさんを殺した犯人は、もう捕まっている」
あの時の人と同じかもしれない。小学生の時に助けてくれた、あの人と。
「それで、お嬢ちゃん。君は異能保持者だろう?」
耳を疑う。私が、そんな。
「キアラさんの後輩なら、なおさら、こんな仕事を目指さない方がいい」
私は、私は――。
「彼女の様にならないで、平穏な日常を――」
「私が、異能保持者? そんな訳、ないじゃないですか」
必死に思考をまとめる。否定の言葉だけがするすると出てきた。
「そうなの? でも、君の髪の色は、見えづらいけれど――こんなに青いのに」
一房取られた私の髪は、陽光に透かして見ると、確かに、何処となく青みを帯びていた。
「最近、体がおかしくなったことは」
「そもそも、私は樹亜羅と同い年です」
黄緑色の眼が、限界まで見開かれる。信じられないと言いたげな彼の瞳に映る私は、いつも通り、変わっていなかった。
「そんな――それじゃ――」
明らかに狼狽した様子の彼は、ごくりと唾を飲み込んで、意を決したように私の手を掴んだ。
「一緒に来てもらえませんか。検査をしましょう」
疑問の形をとっていても、その言葉に拒否権はなさそうだった。
でも、私は一般人で、童顔をからかわれるだけの、ただの一般人で、だから、検査を受ける意味はない。
そうやって自分に必死に言い聞かせていると、変わらないね、という樹亜羅の言葉が、なぜか鮮明に脳裏によみがえってきた。
*
――不老不死。
白衣を着た研究所の人に言われたのは、その異能だった。
それも、先天性の。二歳くらいに、暴発が起きたのではないかとその人は言った。体の年齢は十七歳で止まっているらしい。
私を殺すことは、誰も出来ないのだ。
信じられなかった。
私が欲しかったのは、こんな能力ではなく、私は、もしかしたら――どこかで、死を望んでいたのかもしれない。一般人よりも死亡率の高い異能保持者に、本当はなりたかったのかもしれない。
私が異能を欲しがっていたのは、小学生の時に、幼馴染が異能保持者に殺されたから。そして、その人に殺されかけた時、私はあるお姉さんに助け出された。
その人も、異能保持者だった。
私はきっと、家族同然のあの子の元に行きたかった。だから、私を守って死んだあのお姉さんのような異能保持者になりたかったのだ。
中学生で樹亜羅に出会ってからは、この子を守りたいと思って、異能保持者に憧れていた。
だから――分からなかった。
守りたい人は私の手からこぼれおちて、あの子たちの元へ行くことも、私は絶対にできなくて。
「未玖さん……?」
研究所を飛び出して、その矢先、私は車と衝突して――無傷で転がっていた。
道路や服に血が飛び散っていた。車のボンネットは見事にへこんでいた。ドアを開けた運転手は、真っ青な顔をしていた。
なのに、私は。私の、身体は。
遠い。事故を見ようと集まってきた野次馬も、ほかのだれかの声も、このうえなくうるさいはずなのに、ずっとずっと、遠くにいるみたいだ。
起こした身体は、どこも痛みを訴えていない。
「未玖さん……!」
息の上がっている介の顔が、至近距離にあった。食い込むほど強く掴まれた肩が、少しの痛みを伝えていた。
それも、彼が離れた瞬間になくなっていた。
「わた、しは……」
周囲を見回すと、野次馬が遠くに押し込まれているのが見えた。運転手の姿はなかった。
「ミクさん。正式に、二課へと」
――俺と、そしてキアラさんがいた場所です。
そう言った介と目を合わせる。
「樹亜羅、の」
介が私の目の前に掲げている紙は、有木未玖が二課に所属する旨を、まぎれもなく記していた。
特別警備隊の辞令だった。
「キアラさんの後を継いでください」
眉を下げて投げかけられた言葉に、私は年甲斐もなく泣きだした。
守るべき人がいなくなったこの世界で、私は、ずっと、顔も名前も知らない誰かを守って、死ぬことも知らずに守り続けて、一人だけ生きて。
私の身体だけが、十七歳を繰り返すのだ。
私の心の痛みを置き去りにして、ずっと、ずっと、永遠に。