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Lino Uehara 17:00- (2)

 日本の首都から夜景が消えて、もう十年以上が経つ。

 きっかけは、まだわたしが十代の少女だったころの話だ。突然、空に『黒い星』が現れて、街に陰が差し込んだ。それだけのこと。

 ある日、世界中の空に『黒い星』が現れた。それは文字通りの意味で、空にぽつんぽつんと黒い粒が現れたのだ。初めて観測されたとき、黒く妖しく光るそれに人々は困惑した。そしてまもなく、その星が都市から光を奪ってしまった。それが現在言われる奪光現象の始まりだった。

 東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、香港、モスクワ……世界各地の大都市から光は消え、闇がすべてを支配していった。そのなかでもとりわけ東京での被害は大きく、社会は変容せざるをえなくなった。

 それが十三年前のこと。はじまりは暗く影が差す程度だった黒い星は、いまや闇を街に落としかけている。人々は未だその『黒い星』と、それが生み出す奪光現象について何も解明できていない。ヒトは、常に得たいの知れない闇と生活をともにせざるを得なくなった。夜を恐れて生きるというひどく原始的な世界に逆戻りさせられた。

 しかし東京という街は、そんな災害があっても一週間後には何食わぬ顔で現れる。電車は動き出し、人々は動きだし、社会は何事もなかったようにその膨れ上がった体躯を動かし始めるのだ。何事もなかったように、傷ついた場所に絆創膏を貼って。熱が出たら解熱剤を飲んで……。

 わたしたちが生きる東京とは、そんな闇の街だった。黒い星の下に生まれた、闇の街……。


     *


 ミュートにしたテレビには、字幕でニュースキャスターの言葉が流れていた。テーマは経済のニュースから、今日の奪光率へと移っていた。

 一方でレコードプレイヤーは、まだ「僕を見て、僕を感じて」と歌い続けている。どうやらウッドストックでも夜明けはまだらしい。

 エリスは歌声に耳を傾けながら、おもむろにタバコを取り出した。慣れた手つきで、上着のポケットからタバコとライター一つ。彼女が愛飲しているのは、オリジナル・ハイライト。青いパッケージはレトロな日本を思わせる。ある意味でオールドフューチャーな格好をしている彼女には似合いだった。

 クロムメタリックのアークライターを手にして、エリスはハイライトに火を点ける。アークライターは青白い稲光を発生させて、そこからタバコの先端に炎を宿させた。

 煙が店内に広がった。かすかに香るラム酒の匂い。エリスの香水、それからタールのにおいもした。

《それでは、ここで都内の奪光率を見てみましょう。こちらは十七時三十分に気象庁より発表された最新の奪光予報です。ご覧ください、都内全域で最低でも五十パーセント、最高七十パーセント近い奪光確率となっています。豊田さん、こちらの予報について詳しく教えてもらえますか?》

《はい。えーっと、ですね。こちらの予報図を見ていただけますかね。えっと……はい、映像変わりましたね。こちら『黒い星』の予想分布図なんですが……》

 口下手な気象予報士が何か言っている。身振り手振りがいちいちギコチナくて、音声なしで見ているとロボットみたいだった。

「リノ、何か飲む? どうせ今日は暇だろう」

 一服したところで、エリスは灰皿にタバコを置いて言った。

「じゃあ、水だけちょうだい」

「水ね」

 彼女はもう一服してから、ゆっくりと動き出した。タバコの香りと香水の香り、それからピアスにはめ込まれたダイアモンドが残光を描きながら。

 カウンター裏の冷蔵庫に水の残りはある。割り材にしたり、チェイサーにしたり。使うタイミングはいくらでもある。こうして店員であるわたし自身も飲んだりだとか。

《そうですか。では、今後さらに強くなる可能性もある、ということですね?》

《えーっと、はい。そうですね。じゅうぶん考えられることだと思います》

《そうですか。……ではここで、外にいる三田アナウンサーにつないでみたいと思います。三田さん、外はどんな状況でしょうか?》

 カメラが切り替わる。白を基調とした明るいスタジオから一気に暗くなった。外はすっかり闇に支配され始めている。カメラは何とかアナウンサーの女性を捉えているが、その向こうにある街路樹や信号機、雑踏などは収められていない。それだけ光が失われているということだった。

《はい。わたしはいま、NBC前の中央広場に来ています。ご覧ください、外は真っ暗です。アイウェアの輝度補正機能がないと、歩くのも困難な状態です》

《本当に真っ暗ですね》

《はい。そのせいか、駅へ向かう人たちもゆったりとした足取りです》

《いやぁ……。まるでこのあいだの渋谷暗転のようですね》

《はい。今後も依然として奪光率が高くなるかもしれないと言うことで、品川駅では人が溢れ、入場規制がされているとのことです》

《そうみたいですね。三田アナウンサー、ありがとうございました。それでは、現在の公共交通機関の運行状況です》

 カメラがスタジオに戻る。

 と同時、エリスが水の入ったグラスを渡してきた。

「最高で渋谷暗転レベルだってさ。やっぱり店閉めたほうがいいんじゃないのか?」

「いちおう開けとかなきゃダメでしょう。マスターと約束したんだし。」

「約束か。……それもそうか」

 エリスが言って、マグカップに手を付けたときだった。

 ウワサをすれば何とやら。誰かが店のドアベルを鳴らして地下に降りてきた。


 その人は、見かけわたしたちと同年代か、少し年上といった雰囲気の女性だった。ボーイフレンドがいる様子もなく、一人きり。スーツ姿は、仕事帰りだからだろう。カウンターに案内すると、慣れない様子で腰を下ろした。

 わたしはメニューをそっと彼女の脇に添える。

 店内にはまだロック・ミュージックが流れている。比較的穏やかな曲だったけれど、わたしはあまり好きではなかった。

 わたしは小さいころから、両親の薦めでクラシックばかり聴かされて育ってきた。だから歌手というのも、クラシックやオペラ、そういった格式高いものになりたかった。あるいはジャズや賛美歌などといったものに。……それももう過ぎ去ったことだけど。

 女性はひとしきりメニューを見てから、また最初のページに戻って読み始めた。そのころにはもうお通しのミックスナッツが用意されて、テーブルに置かれていた。

「はじめてですか?」

 わたしは静かに問うた。

 彼女は少し逡巡したような素振りを見せてから、小さく首を横に振った。

「昔、一度だけ知人に連れられて来たことがあります。もう何年も前のことなんですけど……」

 彼女は怯えたようすで応えた。女性にしては低めの声で、ハスキーといった印象だ。

「あの、マッカランをロックでお願いします」

「そうですか、かしこまりました」

 と、わたしはエリスに目配せ。

 タバコに手を付けようとしていた彼女は、「アタシか?」というような表情をしたが、直後には棚からロックグラスを取り出していた。

「昔というと、どれぐらい前のことですか?」

「もうずいぶん前です。まだ学生のころで、そのときは付き合っていた彼が連れてきてくれたので。……あの一つ聞いていいですか?」

「なんでしょう?」

 わたしがそう答えたとき、エリスもまた彼女にウィスキーを渡してから答えた。

「えっと、あのマスターさん……井手さんはいらっしゃらないんですか?」


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