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The Will Which I Found.

4…The Will Which I Found.《私が見つけた遺書》


 意を決して、私はその遺書の封を切る。

 誰かが……いや、わざとぼかすのは止めよう。

 娘が、封を開けた形跡は無い。


 「カサリ」と大きな音を立てながら、封の中身に手を寄せる。

 中の紙は、折り目をきっちりと揃えて二つ折りされている。

 取り出した紙には、虫眼鏡を使ってみなければ読めない位に、所狭しと父の字が敷き詰められていた。



『 私が死を決意したのには、ある理由がある。

 それはまだ、此処には記すべきではないだろう。

 その理由を記さないことが「贖罪」になるだろうと、私は信じている。


 すると「贖罪」の為に死んだのかという疑問が浮かぶかもしれない。然しそれは間違いである。

 よしんば贖罪の為に生を投げ打ったのだとして、それで果たして私の悪行全てが雲散霧消するのだろうか。答えは否である。

 この事実を忘れずに、文面を読み進めていって欲しい。


 私の幼い頃の家族について、娘の家族である皆に対して終ぞ言い及ばなかったな。

 いや、碌な会話を交わしたことなど、果たして皆と私の間にあったろうか。

 娘であるのどかにさえ、話す機会を持たなかったな。

 怠惰の塊のような両親から生まれたという些細な話すら、していなかっただろう。

 語るだけで虫唾が走るような輩達の話でお前達の耳を煩わせることも無いだろうと考えていたのだ。


 しかしよくよく考えてみると、この手紙こそが、お前達と会話を試みることが出来る最初で最後の機会なのだ。

 もう、二度と話しかけることも無い。

 何も語らなければ、お前達には一生、只の偏屈な老爺と思われたままだろう。それでは面白くない。

 私を理解しろとは言わない。

 ただ、この性格を形成するまでに至った原因を知っておいて欲しいと思った。

 だから、下らない話を箸休め代わりに語ることを許して欲しい。


 私が生まれたのは、今から77年前だ。

 当然だな。それがそのまま私の年齢なのだから。

 1929年、昭和が始まり4年目を迎えた年の7月7日に生まれたのがこの私。

 豪農の家の一人息子として、特に物に困窮することは無く、当時としては中々良い待遇の中で育っていった。


 然し、両親が良い人達だったのかと問われれば、私は即座に否定する。

 彼らは不幸な人々だ。少しばかり他人より多く金を持っていたが為に、金の亡者となり、己を省みることを忘れがちになっていったのだから。

 同時に、子供である私のことも見ようとはしなかった。

 寧ろ彼らにとっては、金こそが我が子だったのかもしれない。

 兎も角、彼らは揃いも揃って、当時の厳格な雰囲気にはそぐわない「放任主義」な人達だったのである。


 私は、そんな家族が大嫌いだった。

 もっと自分をしっかり見て欲しいと願っていたし、応援してくれれば何でも頑張れるような気さえもしていた。

 他人は違う考えを持つかもしれないが、私の中では「努力」はそうやって成り立つものとして認識されていたのだ。

 そして恐らく、当時の人達も、そうした「努力」や「協力」によって社会をより良く発展させようとしていた。

 我が両親だけが、例外だった。――……少なくとも、私の知る限りでは。


 「いっそ、この家に生まれなければ良かったのに」と溜息を吐く数は、年齢に比例して増えていった。

 そして、それと同時に私は己を厳しく律するようになっていったのだ。

 そうしていって、私なりの世の真理なるものを見つけた。その一例は以下のようなものである。


「怠惰こそ敵だ」


「不完全な者程、この世に生きる価値は無い」


「常に完璧であれ」


 それから、こうも学んだ。

 「金は本来、何か【対象物】を手に入れる際に使う『手段』でしかない。だからこそ『手段』そのものに目が眩むなどということは、絶対にあってはならないのだ」と。

 何故なら、『手段』に心酔してしまえば全てが本末転倒になってしまうからだ。

 「手段」や「媒体」に依存する人間の、なんと見苦しく愚かなことよ。

 『手段』ばかりにかまけて、それを使う自分達の『仲間』を蔑ろにするなどというのは、『手段』に支配されているのと同義ではないか。

 それは無知な人間のみの愚劣な行いだ。


 こうして見つけた真理は、その後の自分を形作る、最も重要な誘引物質になった。

 まさかこの真理がいつまでも私の心に根強く残るとは……。

 当時の自分は予想だにしなかった。

 ……まさか、自分がこの真理を娘や孫に当然のように押し付けるなんて、本当に予想しきれない事実だった。


 しかし、私はそうやってきたことを恥じ入るつもりは毛頭ない。

 そこには確固たる信念が礎として存在したのだから。

 私は、娘や孫に、あんな無気力で怠惰の塊のように堕落しきった人間になっては欲しくなかった。

 その為に選んだ方法が暴力と強制だったというだけのことだ。

 ……まあ、結論がやや独断に陥った感は否めないのだが。


 昭和に生きた者ならではの、暴力という力を笠に着た今までの我が悪行。

 その理由の一端位は、皆に知って貰えたのではないかと思う。

 重ね重ね言うようだが、私のことを理解しろとは言わない。

 ただ、少しだけで良い。哀れなこの老爺の、哀れな過ちの全てを…その体に残してしまった痣を……。

 努努ゆめゆめ忘れてくれるな。


 この、言い訳ばかりが積もった遺書も、そろそろ終わりにすべきだろう。

 最後に、娘である閑へ一つ言っておきたいことがある。


 娘へ。

 私が完璧主義を貫いていることは知っているな。ならば此処に記そう。

 「私の【意志・思想・主義】は、この一つで終わるとは限らない。

 その【意志・思想・主義】は、私の間違った【意志・思想・主義】の中に、今も尚、息づいている」

 この言葉を、じっくりと吟味して欲しい。

 亜米利加かぶれのお前なら、きっと真相を探し出すだろう。

 真相は、全てを探しても出ては来ない。

 何処かに一つだけ残されているもの。それが真相…そして真実である。

 真相は、行ったり来たりを繰り返してこそ見つかるものだ。

 もし「真相」なるものが幾つも見つかったなら、一つを除き、その他全ては夢幻である。 』


 全てを読み終えて、自分に何か途方もない役割が任されたのではないかと考える。

 まだ何をすべきか分からない今の私には、ただ浅く溜息を吐くことしか出来なかった。


 どうやら、神様は私にまだ真実を教えたくないらしい。


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