Why Did He Die?
2…Why Did He Die?《どうして彼は死んだの?》
父が死んだと伝え聞いた時、「何故彼は死を選んだのだろう?」と直ぐに思った。
妄執なのではないかと疑う程に完璧を追求し、その真理を追究しようとしていた父。
彼の美学に、果たして『滅び』の二文字が存在していたとでも言うのだろうか。私が見る限り、答えは「NO」なのだけれど。
でもそれは、父と神のみぞ知る、秘め事である。私の与り知るところではない。
然し、一つだけ確実に分かることがある。
それは、私の家族は皆一様に、心の中で快哉を叫んでいるということだ。
誰もそれをおくびにも出さないけれど、態度や表情ですぐに判然とする。これは明確で明白で明晰な事実である。
特に顕著なのが、我が娘の結佳である。
今日の朝早くに廊下で擦れ違った彼女の顔色は、憑き物が落ちたようにすっきりと澄み渡っていたのだ。
更には、「これでもう暴力に怯えなくて良い」とでも言うかのように、歩く背中には安堵が色濃く見えていた。
然し、その挙動には一部疑問を禁じえない。
父の葬式の準備の話などを掲げると、ビクリと震えるのだ。
特に遺書の話に触れると、彼女は、えもいわれぬ表情を私に向けた。
そう、遺書の話と言えば……。
少し、奇妙なことがある。
完璧主義者な筈の父が、一切合財、遺書の「い」の字さえ用意していなかったのである。
これは、少しばかり検討の余地がある事実だと思う。
確かに、我が家は遺書で何かを示すほどの金銭がある訳ではない。
それでも、完璧主義者の父のこと。何かしらの主義主張を紙の上に乗せていくのではと思っていたのだ。
遺書の無い自殺なんて、「完璧」というロジックからは縁遠いのではないだろうか。これではまるで逆効果だ。
夫も同じように考えたらしく、出勤をする前に「おかしいね」と同意を求めてきた。
彼はまた、「お義父さんの『完璧』を側でずっと見てきたのだから、その不自然さは嫌でも目に付いたんだ」とも言って出て行った。
帰ってきた後にさえ、「何処かにしまってあるんじゃないのか?」とさえ訴えてくる始末である。
少しの疑問が、娘の態度や夫の言葉で大きく膨らんでいくのが、自分でもはっきりと分かる。
この気持ちを日記に綴っておこうと思い立って開けた日記帳に、今までの私は暫し囚われていた。
今日…三月二十二日の欄に目を遣る。そして、軽く鉛筆を握り締め、不安や疑問を綴っていく。
そうして辿り着いた結論は、書き込む前の自分には思いもよらないものだった。
『二〇〇六年 三月 二十二日 【水】
昨日の父の自殺には、不自然な箇所が一つ、ある。
それは、遺書を残さなかったということ。
私は父の完璧主義の徹底ぶりを、誰よりも身に染みて知っている。殴られた肌の痣こそが、何よりの証拠だ。
娘は、遺書の話をすれば動揺してみせるし、夫は「遺書はある。彼の側に無かったのは、しまってある所為だ」と言う。
因みに、私も夫の進言に賛成である。…と言うより、同意見である、と言った方が正しい。
ただそうすると、色々と矛盾が生じる。
完璧主義者が遺書を隠すというのは、完璧の理念から逸れているのではないか。
まさか完璧主義の理念を、彼が取り違える筈は無い。となると、さしあたって三つの可能性が思い浮かんだ。
一つ目は、「遺書があることによって、『完璧』に済ます筈の何かが成り立たなくなる。よって、わざと父が遺書を作成しなかった」という可能性。
二つ目は、「確かに父は自殺をし、遺書を作成した。だが誰かが遺書を隠した。だから見つからなかった」という可能性。
そして最後は、「そもそも父の死は自殺ではない。よって、遺書が無い事実に不審な点は無い」という可能性。
…まてよ?最後の可能性は、他殺という可能性……。
遺書について触れると動揺する娘……。
まさか、若しかして……。
やはり、この日記の前口上の推測が当たってしまったのだろうか?
娘が、睡眠薬を投与して父を殺害したのだろうか?
その可能性は、一概に否定は出来ない。
彼女には動機がある。「父の暴力に耐えかねた」という、人一人を殺害するには十分な理由が。
……どうやら、もう少し調べる必要がありそうだ。 』