Road To Death.
1… Road To Death.《死への道》
「 『2006年 3月 10日 【金】
今日から、この日記を書き始めることにする。まだ買ってきたばかりの日記帳に触れた瞬間、やっぱり照れくさいような、むず痒いような…不思議な感覚に襲われた。
さて、では今日は、何故この日記を「今日」という日から書き始めたかについて言及しておこう。
この日記を書こうと思った(…と言うよりも「書かなければならないと感じた」)理由は、《まず初めに》の部分で述べている。
でも、今日をこの日記の始まりとした理由は未だに述べていない。
実は、今日は娘の誕生日なのである。
彼女は今日からが期末テストということで、あたふたしていた。
ここ一週間辺り、彼女はずっと自室に閉じこもり気味だ。
いつもなら、あの人に咎められるのを恐れて毎日顔を見せるのだけれど、流石に一年の総決算とあって、焦る思いがあるらしい。
だから誕生日用のケーキは、テスト期間が終わった後、あの人が毎週恒例の「社交ダンス」をしに出かける時間までのお預けになっている。
これが小説ならば、唐突に出てきた「あの人」についても言及すべきだろうけれど、これは日記で私の好き勝手に進む物語なので、展開の仕方は気にしないで頂きたい。
(…なんて格好良く書いても、過去を確認したい自分以外は誰も読まないのだから、あまり意味は無いのだけれど。)
何故あの人が居る時間を避けて彼女を祝うのか、そも「あの人」とは誰なのか。
これは中々、筆不精な私が一日で書ききるにはハードすぎるシナリオなので、前述したように明日の日記に記すことを約束しよう。
それでは。
今日はもう眠いので、筆もといシャープペンを置くことにしよう。』 」
懐かしい文章を、声に出して読む。
声になって放出された日記の文章は、私だけの空間で霧散した。
この日記を書いたあの時も、今と同じように、ひっそりと自室にこもっていた。
あの夜について振り返る。
そういえば、あの人も癇癪を起こしたりせず、私はほっと胸を撫で下ろしていたんだ。
あの人。
それは…私の父である、堵峰 伊都のことを指し示している。娘にとっては祖父に当たる人だ。
「あの人」と遠回しに形容することで、出来るだけ彼を私達家族から隔絶させたかった。
それは何故か。
答えは簡単だ。
彼が我が家を傀儡にしていた、忌むべき傀儡師だった所為なのである。
生物界の頂点を牛耳るのは、紛れも無く私達人類だ。
然し、我が家の中においては彼が絶対的支配者であり、私の家族は皆その奴隷である。
彼が何かを望めば、その要求を満たさなければならない。
彼が拒絶したら、その行為を二度と犯してはならない。
彼がこの家の法律。ルールブック。
昭和の匂いが色濃く残るこの家は、私が小さい頃から共に寄り添ってきた家である。
父が望む建築家に依頼をし、父が望む建物を造らせた。
そんな父と結婚した母は、慎ましく傍らに佇む、まるで白百合のような人だった。
確かに昔から父は力をもって物事をねじ伏せようとする気があったけれど、当時の父親というのは皆そういう人だったので、私達家族は、何の反発も出来なかった。
でも今は違う。
あの呪われた因習は、静かに消えようとしている時代だ。
だから、彼に私達が逆らいたいと思うのは、ある種では自然の摂理と言っても良いだろう。
だのに、父はまだ、自分の「力」に自信と確信を持っていた。
振り上げた拳で全てを思い通りにしてきた実績が、強固なまでに今の父を形成していた。……完璧主義者の父を。
悪いのは、その当時の『男尊女卑』の空気だ。それが無ければ、或いは……。
少なくとも、娘達が辛い目に遭うことは無かっただろう。
娘や夫には、本当に申し訳ないと思っている。
母が死に、父がしおらしい表情で「お前の家族と暮らしたい」と提案してきた時に、一つ返事でOKしてしまったのは、他でもない私なのだ。
……覚えていた筈なのに。
服に隠れて見えない私の肌に、消えずに残っている青痣を残したのは、他ならぬ父だって。
その「あの人」は、先日……3月21日に、唐突にこの世を去っていった。自殺だった。
不眠症の気があった彼は、どうやら病院から貰った大量の睡眠薬を纏めて呑んでしまったらしい。
その日の風は未だに忘れることが出来ない。
春の風にしては冷ややかで、私の体温を無慈悲なまでに拭い取っていったから。
第一発見者は娘の結佳だった。
朝は娘が祖父を起こす決まりがあったので、それは何ら不自然なことではなかった。
彼女は、ただでさえ青白い頬を更に青くさせ、血相を変えて私の部屋へと走ってきた。
来るなり、「おじいちゃん、死んでる!」と叫んだのだ。
そのあまりの動揺っぷりは、まるで彼女が私の父を大切に思っているかのようだった。
でも、結佳に限ってそんなことは有り得ない。
だって彼女は、己の祖父を目の仇にしていたのだから。
結佳は、完璧主義者の父に「常に完璧であれ」と指導されていた。
まだ年端もいかない頃から、父は私の娘に、残酷なまでに完璧を要求していたのだ。
娘は、父のことを信頼し、尊敬している風だった。
羨望の眼差しを我が父に注ぎ、「おじいちゃんの望むことなら」の一言を繰り返し、繰り返し……。
どんなことでも、自分の限界を超える程に努力をし、結果を出してきたのだ。
そして、そんな我が娘のことを、父は「目に入れても痛くない孫だ」と絶賛していた。
毎週通う社交ダンスの場で、ダンス仲間にこう語ったらしい。
「私には、本当に素晴らしく誇らしい孫が居るんだ」と、切々と。
……でもそれは、彼女が中学生になるまでの昔話。
中学という世界に飛び込んだ娘は、段々と父の望む結果が出せなくなった。
勉強も運動も、それまでとは違って、深く広い世界に突入した為だろう。
彼女の意志や努力と、結果が齟齬するようになってしまったのである。
そうなると、父は掌を返すかのように、それまでの態度を豹変させた。
かつて私にそうしたように、大切な孫である筈の結佳を虐げるようになったのだ。
時にはその節くれだった手で、そして時には言葉で。
こんな父のことを、それでもまだ当時の娘は信じていた。
「おじいちゃんが望む結果を出さなくちゃ」「おじいちゃんの望むようにしなくちゃ」と、時折呟く様子が見られたことからも、それがよく窺われる。
そうして――…彼女の肌の青痣が、服で隠れる範囲内に増えて…――いくに連れて、次第に娘は「完璧」を恐れるようになった。
完璧で非の打ち所の無い人間を見かける度に、それを忌避していく。
最初こそ避けるだけだったのだけれど、いつしか彼女は憎悪の感情を露出するようになっていく。
その気持ちが諸悪の根源である父へ向けられるのに、大して時間はかからなかった。
居間で食卓を囲む時は、父と顔を付き合わせる位置には絶対に座らず、誰かの陰に隠れてその視線をかわしていた。……時折、睨みつけるのも忘れていなかったが。
無理もない。
それまで誠心誠意尽くしてきたのに、全てが無かったことのように扱われ、存在そのものを蔑まれ、更には軽んじられてしまったのだ。
羨望の念が嫉み、怨み、怒りの念に摩り替わるのは、私にも覚えがある感情の変化だし、彼女には些かな親近感を抱いてしまう。但し、私はその気持ちを表立って表現したことは無かったのだけれど。
こんな哀れな娘の負の感情が臨界点を通り過ぎたのは、恐らく今年になってからだ。
飽和と呼べば良いのだろうか。
そこまで考えて、私は机の傍らに置いたコップに口付ける。
コップの中で揺蕩う黒い液体を見つめ、少し前の自分の行動を思い返す。
少し前の時間、私はキッチンでコーヒーを注いでいた。
不注意で注ぎすぎたコップから漆黒の液体が溢れた時、私は自然と彼女の心の闇を連想していたのだった。