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08


 足取りは、酷く重たい。

 薄暗い路地をただ黙々と歩くシルヴィアは、時折小さく息を漏らしながら歩を進める。



「謝罪……くらいはしないとな」



 路地を歩くシルヴィアは、どこか沈んだ声のまま呟く。


 ブランドンへと相談を持ちかけた翌日の昼過ぎ。

 思い立って早速、ドナートの家へと顔を出すために市街区へとやって来た。

 だが顔を合わせ辛いという事実は否定しようもない。

 道を曲がる度に逡巡し、何度も引き返したくなる誘惑に駆られ。

 それでもこの先へと進むのは、そうしなければならないという義務感からくるものだ。



 会い辛くはあるものの進めば近づくのは当然で、遂にシルヴィアはドナートの住む地区の入り口となる小さな広場へと辿り着く。

 そこでは普段通り亜人種の子供たちが集まり、たまに喧嘩も交えながら駆けまわり遊んでいた。



「あ、姉ちゃん。今日も来たのか!」



 男の子はシルヴィアを見つけると、少しだけ嬉しそうな素振りを見せて駆け寄る。

 他の子たちも同様に、男の子に触発されるように駆け、いつの間にか数人の子供たちに取り囲まれてしまっていた。

 ここ数日しょっちゅう顔を出しているというのもあってか、すっかり懐かれてしまっている。



「なあ姉ちゃん……ドナート兄ちゃんがなんかおかしいんだよ!」


「にいちゃんげんきないの!」



 子供たちは口々に、ドナートの変調を叫ぶ。

 普段であれば帰宅直後、子供たちを相手にして木彫りをするのが日課。

 だが今日ばかりはそれを行わず、戻って早々自宅へ入って出て来ないのだと言う。


 シルヴィアには、その理由がわかっていた。

 おそらく……いや、明らかに昨日シルヴィアが告げた、クラリッサの店で受けた評価を伝えたことによるものだ。

 それによってドナートは消沈し、好きであった木工細工への意欲さえも失ってしまったのではないだろうか。

 そう考えると、シルヴィアの心の内へと暗い影が覆い被さっていくようであった。



「大丈夫……大丈夫だよ。私が今から様子を見てくるから」



 子供たちを宥めるように、シルヴィアは告げて広場から通り過ぎようとする。

 その様子をやはりおかしく感じたのであろう。

 周囲に集まっていた子供たちも、決して止めようともせず、ただ立ち尽くしたまま見送っていた。


 情けない、とシルヴィアは自身について感じる。

 独りよがりで相手を傷つけ、今はまた子供たちにまで要らぬ心配をかけさせてしまっている自身が、酷く情けないものであると思えてならなかった。



 広場を出て少し歩き、ドナートの家へと辿り着く。

 小さな石段を登り、扉の前へと立つと意を決してノック。

 昨日来た時よりも数刻早い時間であるため、おそらくドナートもまだ就寝してはいないはず。


 二度三度と叩き、しばらく待つ。

 もしも来たのがシルヴィアであると悟られれば、居留守を使われる可能性すらある。

 それも仕方の無い事であるし、ある意味で当然と言える反応に近いかもしれない。

 それでも、シルヴィアにはただ待つよりほかに無かった。

 最低限、必要な謝罪を行わなければならないために。



 数分待ち続けると、軋む音と共に今更のように扉が小さく開かれ、隙間からはドナートのつぶらな瞳が覗く。

 それは敵意を感じる色ではないものの、普段の穏やかさは鳴りを潜め、どこか澱んだ空気さえ感じるものであった。

 それを一目見たシルヴィアが最初に取った行動は、頭を下げる事であった。



「申し訳ありませんでした……」



 開口一番の謝罪に困惑したのか、ドナートは慌て扉から姿を現す。

 腰を曲げての謝罪に、とりあえず頭を上げるように促すばかり。

 以前にドナートと路地で会った時とは真逆の行動ではあるが、シルヴィアにはそれをおかしく思うだけの心境にはなれなかった。

 ただ今はひたすらに、謝意を伝えたいという思いのみ。


 時折誰かも通る道の上で、シルヴィアはドナートの言葉も聞かずただ頭を下げ続けていた。





 人の通りもほとんどない奥まった裏道。

 シルヴィアはドナートと共に、ただ無言のまま歩いていた。

 家の前で頭を下げ続ける行為が、彼の風評を悪くするのだと理解したため、とりあえず場所を移そうとしてのものだ。

 ドナートの家の中でという考えもあったが、それはそれで良からぬ噂を流すだけであろう。



「すみませんでした……先日はこちらこそ失礼な事を」



 ドナートは歩きながら、沈んだ口調で謝罪を口にする。

 謝るべきは自身であると考えていたシルヴィアであったが、彼なりに思うところはあるのであろう。

 そこから口にした様子では、シルヴィアがした行動は勝手であるものの、善意による行動であることを理解している様子が伺えた。



「どうしても自身が持てないのです。折角機会を与えて下さったことには感謝しますが、僕が作った物を否定されてしまったらと考えると……」


「それは、種族的な理由によってですか?」


「オークの作った物だなんて知れたら、それこそ嫌がられてしまいますよ、きっと」



 クラリッサは、こういった作品はあまり作者が誰であるかを気にされないとは言っていた。

 オークでも問題ないとも。

 だがそれを知られた時に、どういった反応をされるかまでは言及していなかったはずだ。

 それが暗にではあるが、シルヴィアにはドナートの言葉を肯定するものであるように思えてならなかった。


 誰もかれもが、シルヴィアのように一切気にならないということもないのだろう。

 やはりそこにはある程度、その人物の持つイメージというものが存在する。



 だが……と俯き加減で歩くドナートを見遣る。

 偏見の目で見られがちというのはあるが、それにしても自信を過度に失っているように思えてならなかった。



「人様に迷惑のかからないように、大人しくしているのが一番なんです。誰かに認めてもらおうなんて、おこがましい話ですから」



 そんなことは、とシルヴィアは口にしかけた。

 木工細工に関してではないが、実際ドナートは周辺の住民たちからの評判は上々だ。

 困っている人へ手を差し伸べ、嫌な顔一つせず手伝いをする。

 クラリッサも助けられたことがあると言っていたし、彼自身決して周囲から認められていない訳ではない。

 ただそれを口にしたところで、今のドナートには届くまいというのも、頭にはよぎっていた。



 それ以降はひたすらに、どうして良いのかわからず路地の中を黙って進む。

 これといった目的もなく、それでもかける言葉を模索しながら歩くばかりの行為は、互いにとっても苦痛に近い時間であると言えるのだろう。

 ただそれでもその場で別れず続けるのは、ある種の未練とでも言うべきものだろうか。


 シルヴィアにはドナートがその技術を持って、装飾職人として立つ道を見ることへの未練。

 ドナートもまたおそらく、その道をシルヴィアが提示し続けている事に対して。

 しかし今更それを素直に受けることも出来まい。

 これほどまでにこっぴどく、突き放してしまっているのだから。




 そうやって黙ったまま歩を進めていると、歩く先に数人の人影が姿を現した。

 大柄な亜人が多く住むこの地域には珍しい、ヒト種や獣人といった種族の若者たち。

 その数人の男たちは、シルヴィアらの姿を目に収めるや否や、少々下品な表情を浮かべて近づいて来た。



「よぉ嬢ちゃん、こんな掃溜めに何の用だ?」



 まだ陽も高い昼の最中であるというのに、男たちは酒精の臭いが強く漂う。

 足下には幾つもの酒壷が転がっており、こんな路地の奥で人の迷惑も顧みず酒盛りをしていたようであった。

 こんな場所でそのような行為に耽っているあたり、碌な連中でないというのは、容易に想像がつく。

 それも亜人たちの住むこの地域を、掃溜めと形容したことに対し、シルヴィアは密かな不快を覚えていた。



「こっち来て俺らに付き合えよ。別に痛くはしねぇから」



 シルヴィアの腕を掴み、グイと引っ張る男。

 その視線からは徐々に、下卑た色が滲み始めて始めているのが明らかであった。

 下品な行為に内心で悪態付きながらも、非力なこの身では碌な抵抗も出来ぬであろうという事実を、僅かに情けなく思う。



「なんだよそっちのオークは、デカい図体してんのにビビリやがってよぉ」


「こいつ、お嬢ちゃんのペットかなんかか?」



 その発言に、シルヴィアはより一層不快を強めていく。

 今は少々トラブルも起こってはいるが、何度もの交流によって、ドナートはそれなりに親しい相手となっている。

 その相手がペットだ何だと馬鹿にされれば、愉快でないのも当然。


 唐突に訪れた事態に、ドナートは固まり困惑の様相を表すばかり。

 身体が常人よりも遥かに強いとはいえ、これでは助けは期待できるものではない。

 やはり自身でどうにかするか、もしくは密かに護衛をしている誰かに頼るしかないのであろうかと、シルヴィアが考え始めていた時。

 立ち尽くすドナートに近寄った男の一人が、彼の持つ品に目を付けた。



「んだぁコレ? おいお前ら、こいつオークのくせにこんなもん持ってやがんぞ!」



 縮こまるドナートから奪い取り、上へと掲げた物。

 それは常に腰のベルトへと下げ続けていた、ドナートが最も気に入っていると思われる木彫りのメダルであった。

 下げていた紐は引きちぎられ、男の酒臭い息を浴びせられたそれは、酷くぞんざいな扱いをされている。



「あ、あの……。それは大切なもので……かえしていただけると」


「あぁ!? 聞こえねぇよ!」



 おずおずと、小さな声で返すよう求めるドナートへと、メダルを奪った男は恫喝で返す。

 勢いに押されビクリとしたドナートは、より身体を小さくして怯えるばかり。

 その反応が愉快であったのだろうか、酔った男は奪ったメダルをこれみよがしに眼前で泳がせると、掴もうとするドナートの手を避け、そのまま地面へと叩きつけた。

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