01
3259年 夏
「お食事はいかがでしたか? 良い初物が手に入ったので、試しに使ってみたのですが」
その日の夕食を終え、シルヴィアらが食後の香茶を飲み一息ついている時。
厨房での片づけを終えたであろうブランドンが現れ、食事の感想を求めてきた。
「え……? ご、ごめん。全然気づいてなかった……」
問われる言葉に、若干の狼狽を表す。
ただいつも通りに美味しく食事を平らげたシルヴィアは、これといって普段との違いに気付きもしていなかった。
決して食に対して関心がないという訳ではないのだが、少々そういった面に関して、鈍感なところがないでもない。
「そんなことであろうとは思っておりましたが」
作る側からすれば、肩透かしな返答には違いないであろう。
だがブランドンはこれといって機嫌を損ねた様子もない。
そもそもがそういった感性を、シルヴィアに対して期待していなかったというのもあるようだ。
「ですがそういった細やかな点にも、目敏く気付くようになって頂かなければ。今後どういった場に出るとも限らないのですから」
「わかった……わかったから」
ブランドンの言葉は、貴族の教養として最低限このくらい気付いて然るべきだと言わんばかり。
言葉使いは丁寧なれど、その声に込められた力は強い。
しかしこの手のやり取りも、毎度のように繰り返されており、食事の時間はそれが特に顕著であった。
元よりそういった面に期待のできぬアウグストやフィオネには、小言が向くことはない。
シルヴィアならば改善してくれるであろうという、ある意味で期待の表れであるというのは理解していたため、あまり無下にも出来ずにいた。
「でも美味しかった。これは本当に」
「それは何よりでございます。そう言って頂けると、作った甲斐もあるというものです」
半ば誤魔化しも兼ねた称賛ではあったが、その言葉にブランドンは素直な喜びを示す。
朝、昼、夕と。
屋敷で食卓に上る料理の数々は、彼によってほぼ毎日作られている。
その内容は贅を尽くしたものではなく、どちらかと言えば家庭料理のそれに近いものばかり。
特別な祝いでもない限りは、これといって贅沢な内容とはならない。
しかし屋敷で仕える少ない予算の中でも、食材の質に関しては妥協をしていないのであろう。
数日に一度食材が届けられる時などは、ブランドンが自らチェックを行っている。
それはシルヴィアを始めとして、屋敷の住人たちが幾度となく目撃していた。
「随分と拘って作ってるみたいだし、ブランドンにはみんな感謝してるよ」
「まったくです。我々は誰一人として、碌に料理の一つもできないですからね」
シルヴィアの言葉に相槌を打ち肯定したのは、リザード種のハウだ。
腕を組んで頷く彼の手は、種族の身体的特徴通り、四本指の間に水かきが付いている。
確かにこれでは小さな包丁を握るのは困難で、料理をするにも一苦労であろう。
「なに、私の腕など趣味の域を超えるものではありません。ですが食材に関しては、厳選したものを使用しているつもりです。今仕入れを任せている業者にしても、見つけ出すのには数年かけて方々を歩き回り――」
シルヴィアとハウが褒めるのに気を良くしたのであろうか。
ブランドンは自身のこだわりや質の維持について、長々と説明を始めた。
普段は物静かであり、あまり感情を表に出さぬ姿とは正反対だ。
ハウと顔を見合わせたシルヴィアは、その変わり様に驚きを隠せない。
「丁度明日が食材の搬入日ですので、お二人もよろしければご同席を。素材の時点で物を見れば、ご理解いただけるかと思います」
随分と熱意の篭った勧誘に、気圧される。
そこまで大変な作業とはならなそうにも思えるが、表情も変わらぬままされる熱心な誘いに、シルヴィアは少々面倒な気配を感じてしまう。
「それは良い考えですね。生憎私は最近忙しいので難しいですが。折角ですし、シルヴィアは見学させてもらっては?」
「ちょ、ちょっと!?」
どうやって断ろうかと考え始めたところで、ハウの言葉がその逃げ道を阻む。
自身が逃げる為に、シルヴィアを生贄としたようだ。
ちゃっかりと自身はそれとなく断っているあたり、十分に確信犯であろう。
裏切り者、とばかりにハウをジロリと睨む。
リザード種ゆえにその表情はあまり読み取れない。
しかしその瞼を片方閉じてウインクする様は、まるで「後は任せました」と言わんばかりにも見える。
「では決まりですね。丁度明日の午前中に納入予定ですので、その時に。よろしいですかな?」
「は……はい」
ブランドンの口調からは僅かに楽しそうな気配が漏れる。
瞬間断る方便を考えてはみるものの、どのみち逃げる道は塞がれてしまっており、シルヴィアは仕方なく了承しかなかった。
その言葉に満足したのか、ブランドンは大きく頷く。
この屋敷の執事であると同時に、ブランドンは住人の護衛や監視を兼ねた立場だ。
普段はその重責からか、それとも素の性格であるのか、楽しそうに何かをする光景というのはまず見ることはない。
その彼に、シルヴィアはこれまで幾度となく世話になり、危機からも救われている。
たまには楽しそうにしていると思われるブランドンに、恩返しがてら付き合うのもわるくはない。
そう思う気持ちが無い訳ではなく、少しだけ肩を竦めて薄く笑うのであった。
▽
その翌朝、シルヴィアはブランドンとの口約通り、屋敷裏手に建つ通用門の前に居た。
まだ日が昇って間もないにもかかわらず、気温は徐々に上がりつつある。
つい数日前までは同じ時間帯であっても、心地よい空気に身を任せていたというのに。
日に日に暑さを増していく気候に、夏の訪れを感じずにはいられない。
もうそろそろ来るだろうと言われ、その間は暇を潰すように軽く世間話をして待つ。
「やはり暑くなると、食材が痛みやすくなるのが困りものです」
「そりゃまあ……そうだろうな」
「一度地下に定温庫の整備を申請したのですが、予算不足を理由に却下されてしまいました。あれば非常に便利なのですが」
暑さを増しつつある気候の話題を振ったはずのシルヴィアであったが、いつの間にやらその話は食材に関するものへと移ってしまっていた。
昨夜のシルヴィアも感じたことではあったが、どうにもこの護衛を兼ねた執事は、食に関することとなると目の色が変わるようだ。
普段の厳格な性格とは、大きく異なる面を見せている。
二人が世間話に興じていると、通用門の向こうから山と積まれた荷を乗せた、一台の荷車が姿を現す。
石畳の上をゴロゴロと音鳴らしながら引くのは、積まれた荷よりもずっと大きな体格をした一人の人物。
「……オーク?」
小さく、隣に立つブランドンに聞こえるか否かといった程度の小声で呟く。
次第に近づいてくるその人物は、筋骨隆々とした大きな身体に薄茶色の肌。
そして口元から覗く、巨大な二本の牙を持つ亜人であった。
「別段珍しいことではありません。オークは体格や力に恵まれておりますので、ああいった荷運びに従事する者が多いのです。最近は彼が食材を届けてくれているのですよ」
どうやらシルヴィアの呟きは聞こえていたようだ。
これといって窘めるでもなく、補足するように説明をする。
門の前まで来たオークは、その向こうでシルヴィアたちへと一礼すると、手に持たれた一枚の札を掲げた。
どうやら正規の取引を行っている業者であると、証明するための物であるようだ。
それを確認し、ブランドンは通用門を開ける。
顔馴染みではあるようだが、一応ここは貴族の住まう屋敷。
そういった確認作業も、また必要なのであろう。
「おはようございます、ドナートさん」
「お……おはよう……ございます」
ブランドンの挨拶に、ドナートと呼ばれたオークはその大きな身体と比べれば、随分と小声で挨拶を返す。
チラリと、ドナートの視線がシルヴィアへと向けられる。
普段であれば同席しない、見知らぬ存在が気になったのであろう。
ただその時のシルヴィアといえば、向けられた瞳が見た目に反し、つぶらで可愛らしいという感想を抱くばかりであった。
「ああ、紹介します。こちらの女性は、私がお仕えしている方々の一人で、シルヴィア様です」
ブランドンに紹介され、シルヴィアは前に出て手を差し出す。
こちらの世界においても同じく挨拶を意味する握手に、ドナートは少しだけ困惑の色を浮かべる。
なにか間違ったであろうかと訝しむシルヴィア。
だが数瞬の間をおいて、ドナートは自身の大きな手を服でゴシゴシと拭くと、優しく握り返してきた。
握手をするさいに腰を曲げ、片手を頭に持っていく仕草から、見た目に反して随分大人しい気質なのであろう。
挨拶を済ませ、ブランドンは早速ドナートが持ち込んだ品の検品を始める。
注文した物や、その日取れて持ってきた商品などを、一つ一つ丹念にチェックしていく。
その間手持無沙汰であったシルヴィアは、普段あまり接することのないオーク種の彼を、失礼にならぬ程度に観察していた。
格好そのものは人とあまり変わらず、暑くなってきたとはいえ少々薄着に過ぎるといった程度であろうか。
ただその中でも、ドナートの腰へと巻かれたベルトからぶら下がる、一つの装飾がシルヴィアの目を引いた。
それは花を模したであろう、細やかな彫刻が施された木彫りのメダル。
大きさはシルヴィアの手に収まる程度であり、ドナートの大きな手と比べれば、まさに指の先程度にすぎないサイズであろう。
シルヴィアがそのアクセサリーに目を奪われている間も、ブランドンはドナートが持ち込んだ食材を見るのに余念がない。
「これは珍しいですね。あまりこの近辺では作られていないはずですが……もう少し手に入りませんか?」
「すみません……今日になって偶然手に入った物で……」
「そうですか、それは残念だ。もし同じ物が手に入ったら知らせていただけますか?」
「は、はい。それは勿論」
ブランドンは満足気に薄く微笑むと、先ほど提示された札に受領を示すサインを記した。
それが納品の証明となるようだ。
「他にも何か珍しいものが手に入ったら教えて下さい。時間を見つけてでも取りに行きますので」
「わ……わかりました。毎度ありがとうございます」
消え入りそうな小声と共に一礼すると、ドナートは開いた荷を片付け、荷車を押して門から出て行く。
その荷は来た時よりも随分減っており、ブランドンが如何に多くを仕入れたのかがよくわかる。
来た時とは別の方向へと向かって進んでいく様子から、おそらくは次の納入先へと向かおうとしているのだろう。
ドナートの後ろ姿を見送るシルヴィアへと、ブランドンは問う。
「いかがでしたかな? 多少は日々の糧に対して、興味を持っていただけたでしょうか」
しまった、とシルヴィアは思う。
ドナートが身に着けていた装飾にばかり気を取られ、食材の方をあまり見ていなかったのだ。
ブランドンの期待の色が灯るようにも見える瞳に、若干の罪悪感を抱く。
正直に見ていなかったと言うのも気が引け、この場は当たり障りのない言葉で誤魔化すことにする。
「お……俺たちのために、真剣に食材を選んでくれてたんだな。感謝しているよ。それに持ってきた物も随分と美味しそうだ」
「そう言っていただければ光栄ですな。折角ですので、シルヴィア様も食事をお作りになられてみては? 食材が美味しそうに見えたのであれば、関心が向いている証拠です。この機会に是非」
適当に返したシルヴィアの言葉ではあったが、どうやら墓穴を掘ってしまったようだった。
普段であれば、眼前の執事はこういった世辞や気のない言葉を、いとも簡単に見抜いてしまう。
しかし自身の好きな事柄であるがためか、今日は随分とその目も曇りがちだ。
「では早速朝食から取り掛かりましょう。今後ご家庭を持ってお子を成された時にも、料理が出来れば円満な家庭が築けますぞ」
「いやいや、いきなりは厳しいしせめて明日から……って家庭ってどういうことだよ! 子を成すってまさか俺が産む側か!?」
食材を詰め込んだ箱を脇に抱え、陽気に鼻歌を響かせ屋敷へと戻るブランドン。
機嫌良さ気にとんでもない内容を口走る様に、シルヴィアは慌てふためき後を追って屋敷へと向かうのであった。