06
「いいからそれも持っていけ。こんな時のための物資であろう」
軍施設内で暫定的に指揮を執るデルフィーナは、指示を求める兵たちへと次々に声を飛ばす。
一般の兵士たちはある程度仕方ない面もあるのであろうが、軍人ではないという体で存在する人物に、指揮権が移っているのは如何なものか。
その辺りは、やはり国ならぬ異界ゆえにであろう。
今は施設内に備えられた倉庫を開放し、様々な必要物資を運びだしていた。
街からは想像以上に火の手が上がっており、焼け出された人たちが多数居ると見られる。
その市民たちへと、毛布や食料などを供給するためだ。
こういった面に関しては、あちらの世界における備えと同じようなことがされているようであった。
「すまんな、家に送り帰そうと思ったが、今は人手が足りん」
「いえ、大丈夫です。非常事態ですし」
シルヴィアは最初こそ、兵士に屋敷へと連れ帰ってもらう予定であった。
だが今は人手を欠くのが惜しいとのことで、兵士を付けてもらうのも叶わず、デルフィーナの側で大人しくしている。
一応シルヴィアにも影では護衛が存在するため、歩いて帰ることそのものは十分可能であろう。
だが現在街中は混乱の様相を呈している、この状態での帰宅は少々危険であると判断された。
ならば少しでも手伝いをと思うも、非力な身では出来る事など限られる。
自然と比較的軽い物を運び出す役割に徹するようになり、これといって役に立っている実感が得られずにいた。
実際のところ、下手に手を貸して邪魔になるというのも、シルヴィアにとっては望むところではない。
「ですがデルフィーナ様。折角付いてくれた兵まで送り出してよろしかったのですか?」
「別に構わんよ。今は何より人手が欲しい」
軍の指揮官と思わしき男によって、数人の護衛がデルフィーナの下へと集められた。
だがこともあろうに、デルフィーナはその全員を送り返してしまう。
「そんなことよりもサッサと現場に行け」と言い放たれてしまい、兵士たちも困惑しながらその言葉に従っていた。
だがデルフィーナの立ち位置を考えれば、その指示もどうなのであろうとシルヴィアは考える。
例え隠れた護衛が存在するとはいえ、あまりにも不用意ではないかと。
そう考えていると、練兵場の方から数人の兵士たちが走ってくるのが見えた。
彼らはデルフィーナの近くへと寄ると、揃って敬礼をし、護衛役として側に居るよう指示されたと告げる。
「不要だ。我のことは放っておいて、お前たちも救助に向かえ」
「申し訳ございません。殿下のご命令とはいえ、それをお聞きする訳にはまいりません」
総勢五人の兵士たちは、最初に来た者たちとは異なるようで、デルフィーナの指示にも従う様子はない。
だがある意味で、この行動は正しいのであろう。
何せまかり間違って怪我でも使用ものなら、大きな問題となるような人物だ。
後々で不評を買ったとしても、念のために警戒しておくのは間違いではない。
何せあまりにも不自然に思えるほど計画的に行われた放火だ。
どこにどのような危険が潜んでいるとも限らないのだから。
「致し方あるまい。だが我は王宮へ戻る気はないぞ、ここで指揮を執る」
「御随意に。私共はお側に居らせて頂きます」
そう言うと、五人の兵士たちはデルフィーナを取り囲むように散らばり、周囲の警戒を始める。
デルフィーナは堅苦しそうなその様子に、僅かに肩を落としたようにも見えた。
やはりあまりこういった扱われ方を好まないのであろう。
「まったくもって窮屈な立場だ。こんな状況でも見張られねばならぬとは」
「致し方ありませんよ。心配する側にだって立場があるんですから」
つまらないとばかりに言うデルフィーナに、シルヴィアは苦笑いと共に答える。
実際のところ、兵たちを寄越した者にとっては当然の選択だったのであろう。
不満であったとしても、多少なりと我慢してもらわねばならない。
しばし護衛の兵たちに囲まれながら指示を飛ばしていると、多少なりと自体は落ち着き始めているのであろうか。
シルヴィアには、敷地内がその慌ただしさを収めつつあるように思えていた。
もっともそれは、搬出した物資を持って兵士たちが出払ってしまったが故にかもしれない。
現に周囲にはほとんど人影がなく、シルヴィアとデルフィーナ、そして五人の兵士が居るのみ。
しかし上を見上げてみれば、黒い煙が空へと漂っているのが見える。
ここからは見えないが、まだかなりの場所が燃えているようであった。
「まだ収まってはいないが、とりあえず我らに出来るのはここまでであろうな。あとは兵たちに任せるしかあるまい」
デルフィーナは自分の役目は終わったとばかりに、シルヴィアに対して軽く肩を竦める。
ここより先は、本来の指揮官たちに任せるという意味であろう。
あくまでもデルフィーナは、出払ってしまった指揮官たちの代理に過ぎない。
この場でできることはもうあまり無く、これ以上は出過ぎた真似であると判断したのかもしれなかった。
やれやれとばかりに息を吐くデルフィーナを見ていると、不意にシルヴィアは妙なことに気が付く。
周りに散らばった五人の兵士たちの距離が、さきほどよりも随分と近い気がする。
手を伸ばせば届くとまでは言わないが、数歩歩けば触れられそうな距離。
兵士たちはそこからさらに、一見して気付きにくいほどに、じわりじわりと近づいているようであった。
酷く、嫌な感覚を覚える。
緊張感から来るものとはどこか異なる、兵士たちの薄い表情を見るにつれ、受ける感覚は徐々に強まっていく。
その嫌な予感は、眼前で行われようとした行動によって証明されてしまう。
背を向け伸びをするデルフィーナの背後。
丁度真後ろに立つ兵士の一人が、スッと腰に手を伸ばし、下げられた中剣の柄を握りしめた。
「……っ! あぶなっ……」
咄嗟の事態に危険を知らせようとするも、その時点で既に兵士は中剣を抜き放ち、デルフィーナの背に飛びつかんとしているところであった。
今からでは間に合わない。
もし仮に今の時点でデルフィーナが気付いたとしても、到底そこから回避行動を取るだけの瞬時の判断は出来ないであろう。
切り裂かれる背中が脳裏を過り、シルヴィアはそれから目を背けるために瞼を閉じる。
しかし直後に聞こえてきたのは、悲鳴や絶叫ではなく、どこかのんびりとした声であった。
「何というべきか、案の定ではあるな」
瞼を閉じたシルヴィアの耳へと聞こえたのは、どこか呑気なデルフィーナの声。
それは今まさに斬りかかられていたとは、到底思えぬもの。
恐る恐ると瞼を開けると、デルフィーナはいつの間にやら振り返り、襲い掛かっていた兵士へと触れ合うほど間近の距離で対峙していた。
件の兵士はと言えば、どういう訳かその動きを止めている。
兵士の手から振りかざしていた剣が零れ落ち、地面へと浅く突き刺さる。
グラリと揺れ、膝から地面につきゆっくりと倒れ行く兵士。
その兵士の首元には、ナイフと言うにはあまりにも凶悪な、鉈にも似た黒塗りの刃物が深々ともぐり込んでいた。
「どうせやるなら、我がもっと油断するよう周到に準備するべきだ。この程度では小娘一人しか騙せぬ」
黒塗りの刃物は、デルフィーナの手によって放たれたものであったようだ。
おそらくは振り返りざまに。
告げられた言葉からすると、どうやら自身が襲われるというのを想定していたのであろう。
「さあどうする? 初撃は失敗に終わったぞ」
若干愉快気な表情をしたデルフィーナが、既に事切れたであろう兵士を跨ぎ、突き刺さった中剣を地面から引き抜く。
視線の先に立つ残り四人の兵士たちは、いつの間にか同様に剣を抜き、デルフィーナに向けてその凶刃の先を向けていた。
この段になって、流石のシルヴィアも混乱の最中ながら状況を理解する。
護衛役として来たはずの兵士たちではあるが、その真の目的がデルフィーナを害することにあったのだと。
そしておそらくは今起こっている各所での火災も、これを目的とした陽動に過ぎないのであろう。
いつからかは定かでないものの、デルフィーナにはそれがわかっていたのだ。
この中で騙されていたのは、デルフィーナの言うところのシルヴィアという小娘ただ一人。
兵士……と言ってよいものか。
男たちはこれまで演じていた仮面を取り払い、攻撃的な意識をむき出しのまま隠そうともしない。
「随分とお粗末な連中だな。お前たちも、その雇用主も」
鼻で笑うように言い放ったデルフィーナの言葉が癇に障ったのであろうか。
残る四人の内一人が、地を蹴り一足飛びに迫る。
一気に接近する男の剣を、デルフィーナは一歩二歩と下がり次々と紙一重で避けていく。
ほぼ胸ぐらを掴めそうな近距離で行われるそれに、武術を齧った程度でしかないシルヴィアにしても、その技量が卓越しているのを悟るは容易であった。
幾度か剣も使わずあしらった後、振り下ろされた中剣の一撃を、デルフィーナは拾った剣で外に向けて受け流す。
すかさず残る逆の手を振るい、それは男のすぐ目の前を通過する。
シルヴィアはそれが、何がしかの牽制であろうかと考えた。
だが一瞬の間をおいて、男から噴き出す鮮血。
よくよく見れば、デルフィーナの手には小振りな一振りの短剣。
おそらくは、避けている最中に男の腰から拝借した物なのであろう。
「これはすまなかった。時折我は手癖が悪いと言われておってな」
喉元から血液をまき散らしながら、苦悶の表情で倒れ行く男。
それをデルフィーナは足で蹴飛ばしながら、冗談めかして言い放った。
大量の返り血によって、デルフィーナの衣服は既に赤黒く染まっている。
しかし何故かその戦慄の光景を前にしても、シルヴィアはどこかコミカルな空気を感じずにはいられなかった。
それがデルフィーナという人物の個性によるものなのか、それともシルヴィア自身がこういった状況に慣れつつあるためか。
あるいはその双方であるのかもしれない。
「まだ続けるというのであればお相手しようではないか。だが撤退するというのであれば……そうだな、一人くらいであれば見逃してやってもよいぞ」
少しだけ悩む素振りをして言い放つデルフィーナの言葉に、男たちからは若干の困惑が走ったようにも見える。
相手を随分と舐めた発言であるとも言えるのであろう。
だがシルヴィアにはその言葉が、悪魔のする誘惑のように思えてならなかった。
「なんだ、折角してやった提案だというのに。無視するなど勿体ないとは思わぬのか?」
デルフィーナのした提案という名の挑発に、男たちのした返答は、武器を構え直すというもの。
だがこれまでのように、一人一人向かって行く真似はせぬようだ。
残る三人がジリジリと間合いを詰め、一斉に飛びかかるタイミングを計ろうとしているようであった。
いかな卓越した技量を持つデルフィーナといえど、三人を同時に相手するなど厳しいであろう。
それでもデルフィーナが平然とした様子を見せるのは、どこかで護衛がこの状況を見続けていると知っているが故にか。
それを知ってか、男たちは容易に襲い掛かることはしない。
チラチラと周囲を窺いながら、伏兵の存在を警戒しているようであった。
襲撃を予見されていたのだ、戦力を隠していると考えるのは、ある意味で当然であろう。
安易に飛びかかれば背後から攻撃されかねず、逃げ出せばやはり同様の結末となることは想像に難くない。
今現在デルフィーナの周囲に、何人の護衛が忍んでいるかはわからない。
だが既に三人にまで減ってしまった刺客たちよりは多いはずであり、今の時点で彼らは既に手詰まりとなってしまっている。
「我もそれなりに腕には覚えがあるものでな、余程のことがなければ連中も加勢はして来ぬよ。だが少しでも劣勢となれば、容赦なく飛んでくるぞ」
あえてその事実を告げるデルフィーナ。
告げることによって、焦りを色濃くするというのが目的なのであろう。
だが「さあどうする、選べ」と選択を迫る姿は、どこか愉しげ。
この時シルヴィアが彼女に対して抱いた印象は、"ドS"という、なんとも俗なものであった。
それなりにデルフィーナのした煽りは効果を現したようだ。
男たちはゆっくり迫る歩みを止める。
そこで一人の男が他の二人へと、意味深な目配せ。
いったい何を企んでいるのであろうと思うシルヴィアであったが、次の瞬間。
その男は地面を蹴り、一気に突進を仕掛けた……シルヴィアへと向けて。




