05
「外に敵が存在せぬ代わりに、内部は腐敗が進む一方だ」
再び眼下の練兵場へと視線を戻したデルフィーナは、変わらぬ口調のまま一人言葉を継ぐ。
視線の先では、訓練の内容が行軍から槍を使っての突撃戦に切り替わり、次第にその激しさを増しつつあった。
「堕落した王族や貴族など離島へ流すか、あるいはいっそのこと首でも落としてやりたいと思わなくはない」
そのデルフィーナ自身の立場からすれば、あまりにも強烈な発言に対して耳を疑うシルヴィア。
不敬だ不謹慎だなどという次元の話ではない。
ともすれば反逆の意図を疑われかねない内容であり、たまらず周囲を見回して誰かに聞かれていないかと警戒する。
「大丈夫だ。一応完全に人払いは済ませてある。護衛役の部下たちも、この場には居ないさ」
「それなら……よろしいのですが」
「だから今の発言を聞いたのも、お前ただ一人となるな」
ニヤリとするデルフィーナの表情に、背筋を震わせる。
その発言によってある意味では、弱みを握ったと言っても過言ではないのであろう。
だが実際にはむしろ逆に、恐ろしい秘密を共有させられてしまい、逃げられないような心境へと陥る。
「俺は……なにも聞いていません」
「都合の良い耳を持ってくれて助かるが、ご希望とあらばもう一度聞かせてやるぞ」
「い、いえ! 結構です!」
全力で拒否の意思を示すシルヴィアへ、デルフィーナはカラカラと笑う。
その様子から冗談であると知れるが、本当のところはどこまで本気であったのか。
容易にそれを悟らせてくれるほど、眼前で笑う人物は生半可ではないのであろう。
「冗談はここまでにしておいてだ。それこそがもう一つの敵の正体、つまりは"王"だ」
「ああ……。そういえば貴族に関しては、『その一つ』とおっしゃってましたか。気にはなっていましたが」
「存外記憶力も悪くないのだな。褒めて使わすぞ」
機嫌を良くするデルフィーナの様子に、シルヴィアはとりあえず謙遜をしておく。
それを言った時に、僅かではあるが部分的に強調をされていたため、何がしかの意図があると感じて覚えていたにすぎなかった。
「王とてやはり人の子。道を違うこともあれば、怠惰に身を任せる欲求も生まれよう。もし暴走を始めた時、それを民に代わり止めるのも我らの役目だ」
それは使命であると言わんばかりに、堂々と言い放つ。
相手は自身の父親であろうに、デルフィーナの言葉には迷いが感じられない。
軍人としての矜持がそれに勝るのか、あるいはそれもまた王族としての務めであると考えているためか。
「王は自らを討つ可能性がある軍を、弱体化させたいと考える。だが最初に言った貴族のの存在や複数の要因により、それは叶わない」
「ですがデルフィーナ様は、その……王女殿下としては、それでよろしいのですか?」
あまりにも迷いのない言葉に、シルヴィアは知りたいと思えてならなかった。
それを問うのは無礼なのであろう。
だが必要とあらば自身の父を討つと言い切るデルフィーナの、その心根が知りたいと。
「良いも悪いもなかろう。今のところはそれも必要なさそうだが、いざその時に覚悟の一つも出来ていないでどうする。これは軍人として、そして王族としての責務だ」
「ですが……」
「それにこれは一応、国の憲章として記された内容でもあるのだぞ。気が向いたら探してみるとよい」
ここまでハッキリと言い切られれば、もう問うべきことはないであろう。
軍人と王族、双方の立場で覚悟を固めているデルフィーナに、シルヴィアにはそれ以上口を挟む余地などありはしない。
「それにそういった血生臭い話しも今更だ。これを見るとよい」
そう言って、シルヴィアに向けて何かを放る。
慌ててそれを受け取ると、手の中に収まったのは一枚の金貨。
別にそれをくれようという訳ではないであろう。
その意図を図りかね問うと、デルフィーナは意匠を良く見ろと告げた。
「表に描かれているのは、建国王の正妃であられたお方だ。統一した世界を安定させるべく、方々で尽力された」
続いて裏側を見ろと告げられる。
そこに描かれていたのは、剣とその頭身部分を取り囲む円。
緻密に描かれた表の人物像と違い、少々こちらはデフォルメが効いているというか、単純なデザインであった。
「剣は想像の通り武力を表す。武を持ってして世界を統一したという歴史が示されている。そしてそれを取り囲む輪は、それによって流された血だ」
本当に、随分と血生臭い話であった。
今に続く表の顔とも言える栄華の裏には、武器と血によって築かれた歴史が存在するのだと。
ある意味でこの国の歴史を端的に表した、教科書であるとも言える。
「随分と皮肉の効いた意匠であると思わぬか? 我はなかなかに嫌いではないぞ」
そう言って笑むデルフィーナの表情ではあったが、若干その色に影が差す。
どうしたのであろうかと思っていると、気にかかる事でもあるのか、眉をしかめ呟く。
「今の王はまだいい。だが問題は次の代だ……」
これまでの調子とは変わって、その声は若干小さい。
だが確かに聞こえた"次の代"という言葉。
それはただ単純に考えれば、次代の王を指していると考えるべき言葉だ。
次の王となるであろう存在に、デルフィーナは憂慮しているようであった。
シルヴィアの脳裏に、処刑の場で姿を現した細身の神経質そうな男の記憶が呼び起こされる。
あの時、王太子であると告げたブランドンのその目が、いつもよりも若干冷たさを増していたのを思い出す。
彼もまた、その存在を憂う一人なのであろう。
だが……これもまた、あまり聞いてはいけない類の話なのかもしれない。
そう考え、シルヴィアは少々胃の痛くなる思いであった。
▽
「どうだ? これでお前の疑問には、相応に応えてやれたと思うのだが」
「あ、はい……。申し訳ありませんでした、わざわざお時間を割いていただいて」
さらに暫しの時間、デルフィーナの話を聞き続けた。
なんとなく口を衝いた疑問であったが、デルフィーナ直々に出張ってくるなど、随分と手間を掛けさせてしまっている。
説明された内容への賛否はともかくとして、とりあえずは解決したと考えてもよいのだろう。
「気にするほどの事ではない。最初にも言ったが、我も休暇で暇を持て余していたのだ。丁度良い時間つぶしにはなった」
「それに」とデルフィーナは続け、その向けられた言葉にシルヴィアは呆れを覚える。
「聞かれてはマズイ発言を知られてしまったのだ。口外せぬ以上はお前も共犯だ、秘密を共有する仲間が出来て嬉しく思うぞ」
「……なんのことでしょう。これといって問題のある発言をされたとは思いませんでしたが」
「抜け抜けと言いおる。まあ良い、訓練もキリの良い所であるし、そろそろ降りるとするか」
見てみれば、練兵場で行われていた訓練は一時中断し、兵たちは思い思いに休憩を取っているようであった。
デルフィーナの言う通り、話も一段落ついたところであるし、ここいらで切り上げるタイミングなのであろう。
一人淡々と螺旋階段を降り始めていたデルフィーナに続き、シルヴィアも階段へと足を向けようとする。
しかしその時、シルヴィアの耳へと甲高い何かを打ち鳴らす音が聞こえてきた。
下を見下ろしてみるも、兵たちが武器を打ち鳴らす音とは異なる。
ハッとして周囲を見回すと、上街区の遠く、郊外の辺りであろうか。
もうもうと一筋の黒い煙が立ち上っているのが見えた。
いや、そこだけではない。
上街区でもう一か所。そして市街区で数か所。
眼下に望む王都の複数個所から、同時に煙が上がるのが見えていた。
今現在聞こえて来るのは、それを知らせる警鐘の音。
「何事だ?」
「……火事みたいです。ですがこんな街中で同時にだなんて……」
シルヴィアの疑問ももっともであろう。
燃えやすい木材を使った住居が主である以上、火災という現象へのリスクはどうしても付きまとう。
だがこれ程までに同時に火の手が上がるなど、到底考えられるものではない。
もしそれが考えられるとすれば……。
「放火だな。シルヴィアよ、お前はこのまま急いで屋敷へと戻れ」
「で、ですがデルフィーナ様は……?」
「火災への対応もまた軍の仕事だ。我はそういった役職にはないが、人の出払ったこの施設を指揮するくらいは出来よう」
言い放つと、デルフィーナは再び階段を降り始める。
その足取りは少しだけ早く、事態への対処を急ぐ表れであった。
螺旋階段を降り切り、外へと出るや否や、先ほど案内を買って出た男がシルヴィアたちの前へと現れる。
肩で息するその様子は酷く終わてた様であり、王族であるデルフィーナの安否を心配していたと見える。
「おお、ご無事であられましたか!」
「問題ない。状況はどうなっておる?」
「はい、現在上街区、市街区の各所にて同時に火災が発生。兵たちは鎮火に向かっております。おそらくは人為的に行われたものかと……」
「であろうな。とりあえずはお前も行って現場で指揮を執るがよい」
デルフィーナの指示に、一瞬了解を示そうとした男であったが、直後に向き直り問う。
「ですが殿下の護衛もありますので……」
「我に関しては気にするでない。とりあえずはこの場に留まらせてもらう。外に出るよりは安全であろう?」
「……了解いたしました。では数人、護衛役の兵を用意いたします」
それだけ告げると、男は敬礼して走って行く。
男が向かうのを見届けると、デルフィーナは周囲に残った者へと指示を飛ばし、施設内に残った兵士たちの編成をしていく。
治癒師らしき人たちを多く集めているので、負傷者が出た場合に備えようとしているのであろう。
そのあまりにも自然に指示を出す様は、人の上に立つのに慣れた人物であることを実感させる。
しかし自然に過ぎるため、これでは軍に属していることがバレてしまうのではと、シルヴィアは妙な心配を抱く破目になっていた。




