02
シルヴィアはその日も暇を持て余し、暖かな陽射しの降り注ぐ中庭でうたた寝をしていた。
中庭の隅に置かれたベンチへと腕を枕にして寝転がり、蕾を付ける花壇をウトウトとしながら眺める。
怠惰であると言われても、おかしくはないのだろう。
ただ現実としては、昨年の秋ごろから続いたゴタゴタによって、酷く疲労した身体が回復しきっていなかった。
脚に負った傷そのものは既に塞がり、さほど怪我の痕跡は残っていない。
とはいうものの、未だ安静を求めるトリシアらの声により、激しい運動の許可は下りずじまいだ。
これは本人が意図せずとも、トラブルに飛び込みかねないのを危惧してのものであるようであった。
「心配しすぎなんじゃないか……」
実際トラブルに見舞われた回数は、そこまで多いとは言えない。
精々が何の落ち度もなく略取された一件と、不運にも念の為で命を狙われたクラリッサとの件くらいだ。
ただその二回だけとはいうものの、比較的短期間に連続して起こっている。
仕える側からすれば十分な回数であり、次もないとは言い切れない。
以降トリシアなどは、若干過保護気味と思えるほどにシルヴィアに対して目を光らせていた。
執事とメイドから見張られているかのような感覚さえ覚え始めたシルヴィアが、少しだけ不満めいた言葉を呟く。
「心配してくれるのはありがたいんだけど……さすがにな」
「そう言うものではない。気遣ってくれる相手が居るというのは、ありがたいことではないか」
「確かにそうなんだけど、こうも暇だとな……」
返される言葉に、僅かなため息を返すシルヴィア。
しかしその言葉を受けたシルヴィアは、目を見開き寝転がったまま声のした方を向く。
確かこの場には、自分一人しか居ないはずであったのに。
顔ごと視線を向けると、ベンチの横には一人の人物が立っていた。
赤茶色の短い髪をした女性。
その女性は腕を組み、ニヤリとした笑みを湛えて、少し高い身長でシルヴィアを見下ろす。
その顔には確かに見覚えがあり、おそらく余程のことが無ければ忘れることはあるまい。
シルヴィアは驚きと共に跳ね起き、直立不動となる。
「で……殿下!?」
「その敬称は好かんと言うておるだろうに。名前で呼ばぬか」
眼前に現れた人物は、シルヴィアの呼ぶ言葉に些か不機嫌な様子を表す。
とはいえその中にも若干の悪戯めいた空気を秘めているように感じられ、相手をからかおうと狙い続けているかのようでもある。
「よもや我の名を忘れた訳ではないであろうな? それはまあ確かに、一度顔を会わせただけの間柄だ、忘れていたとしても致し方あるまいが」
「そんなまさか……。デルフィーナ様」
「ふむ……少々堅苦しいが、今はよしとするか」
小さく肩を竦め、その人物……この国の第四王女である、デルフィーナ・カノーヴァは一応の納得を示した。
なぜこんな場所に、とシルヴィアは混乱する。
仮にもここは貴族の位を与えられた者たちが住まう屋敷なので、"こんな場所"と言うのには少々語弊があるかもしれない。
だがそれでも、王族に連なる人物がひょっこりと顔を出すような場所ではない。
「いったいどうされたのですか? 何か緊急のご用でも……」
「なに、そこまで急ぎの用件があるというほどでもない。あえて言うならば、気まぐれだな」
「気まぐれ……ですか?」
火急の用件があるでもなく、ただ気まぐれで来たのであると。
実際その口調は、暇だから知り合いの家に遊びに来たとでも言わんばかり。
王族としてだけでなく、軍での地位に置いても易々と出歩けるような人物ではないであろうにと、シルヴィアは半ば呆れながら閉口した。
「そんな顔をするな。実は先日、大尉からお前の話を聞いてな、それで顔を出してみた」
「大尉……? ああ、ブランドンのことですね」
不意に呼ばれた階級での呼称に、シルヴィアは瞬間迷う。
しかし以前に会った時に、デルフィーナがブランドンをそう呼んでいたのを思い出す。
「何やら面白い質問をされたようだからな。折角だ、この我自ら直々に答えてやろうと参った次第だ」
「質問……ですか?」
「覚えておらぬのか? 戦争がないのに軍が大所帯なのは気に食わないとか、そんな小生意気な内容であったと聞いているが」
それまでの快活な様子から一変。
声の調子を落とし、眼光鋭くして告げるデルフィーナの言葉に、シルヴィアは狼狽する。
その時になってようやく、デルフィーナが何について言っているのかを思い出す。
だがその内容は、若干どころかかなり誇張し、捻じ曲げられたものとなってしまっている。
生真面目なブランドンが冗談や間違いによって伝えたとは考えにくい。
デルフィーナがシルヴィアを困らせようとして、わざとやっているのであろう。
この向けられる表情もおそらく、いやどころかほぼ間違いなく演技だ。
とはいえ相手が相手。
その言葉にシルヴィアは慌てふためき、必死に否定しようと滅茶苦茶な身振り手振りで取り繕う。
「はははっ! そう狼狽えるでない。冗談だ、冗談」
「心臓に悪いですので、勘弁してくださると……」
「すまなかったな。お前が慌てる顔の一つでも拝んでみたいと思ったのだ。つい出来心でな」
腰を抜かしそうな表情を崩し、破顔して笑うデルフィーナ。
出来心でやるにしては随分と恐ろしい内容であり、この下に就いているブランドンやジーナ等、部下たちの気苦労が知れるというものであった。
「前回会った時、帰る間際に言ったであろう。いずれ会う機会もあると」
「……ええ、確かにおっしゃいました」
「詳しくは言えんが、丁度抱えていた問題が一段落ついたところでな。休みがてら顔を出してみたという訳だ」
デルフィーナは疲れたと言わんばかりに、置かれたベンチへと荒々しく座る。
その横でシルヴィアは立ったままであったのだが、お前も座れと言われ、少しの躊躇の後僅かに距離を離して腰かけた。
「他人行儀な距離を取るものだな」
「申し訳ありません。どうしても立場的に……」
「まあいい。それで、確か紛争のない国であるのに軍の規模が大きい理由についてであったか? 我も休暇に入って暇を持て余しておる、何でも答えてやるぞ」
やはりブランドンへとした質問は、正確に伝わっていたようであった。
質問したというよりは、ちょっとした疑問が口を衝いただけなのではあるが、この際折角なので聞いてみてもよいのであろう。
シルヴィアにとって、軍は少なからず関わりを持っている組織だ。
護衛も務めてくれる人たちについて、知っておくのは悪くないと考えた。
世間話にも近い形で会話をしていき、シルヴィアは浮かんだ疑問をとりあえず口にする。
そのため問うた内容には纏まりがあるとは言えない。
それでも迷惑がることもなく穏やかに聞くデルフィーナの姿は、これまでの印象とは少々異なるものを感じさせる。
「そうだな……どう説明したものやら」
とは言うものの、適切な返答が難しいのであろうか。
デルフィーナはしばしシルヴィアの質問に対して熟考した末、一つの提案をしてきた。
「この後なにか予定はあるか?」
「いえ……これといって何もありませんが」
「ならば少々我に付き合ってはくれぬか。口頭のみで説明するよりは、直接見ながら話した方が理解し易かろう」
そう言い放ったデルフィーナは、シルヴィアの腕を掴んで立ち上がらせると、そのまま中庭から屋敷の中へと向かうべく歩を進める。
唐突にされたその行為に、シルヴィアは困惑する。
しかしどう対応してよいものか悩むうち、すぐに中庭を出て、どんどんと廊下を進んでいく。
「あ、あの! せめて誰かに了解を取らないと」
「それに関しては心配するでない。どうせ今我らの周囲には、十人近くの護衛が潜んでおる。大尉も既に承知しておろう」
「ええ!?」
デルフィーナの言葉に、慌てて立ち止まり廊下の窓から見える外を見渡すも、その視界には誰一人として映りはしない。
確かにそのような護衛の存在は聞いている。
とはいえデルフィーナの告げた人数は、想像していたよりもずっと多い。
本当にそこまでの数が居るのであろうかと考えもしたシルヴィアであったが、その手元へと一瞬だけ、強い光が当たるのに気が付く。
陽光を鏡で反射させたようにも見えるその光は、二度三度と照らされ消える。
「ほれ、居るであろう?」
「そ……そのようですね」
シルヴィアを護るためというよりは、デルフィーナの護衛として存在するのであろう。
その身における重要度などは、いざとなれば代わりを用意できるシルヴィアとは雲泥の差だ。
そうこうする間に、再び腕を引かれたシルヴィアは、屋敷の正面入り口まで連れられていた。
扉の近くまで行くと、そこにはいつの間に先回りしていたのであろうか。
閉められた扉の前で、直立不動のまま待機するブランドンの姿。
適当にも聞こえたデルフィーナの言葉ではあったが、言う通り確かにブランドンには伝わっていたようであった。
だがそもそも、この屋敷に入る時点でそれは承知の上であったのかもしれない。
「大尉、しばしこヤツを借り受けるぞ」
「承知いたしました。くれぐれもお気をつけて」
一方的に告げるデルフィーナの言葉に、諌めるでもなく淡々と了解の意を示す。
そこまで抵抗する意思のないシルヴィアではあるが、ブランドンが止めないのであれば拒否するのは難しいであろう。
開けられた扉のすぐ先に停められていた馬車へと、半ば強引に押し込められる。
デルフィーナが続いて乗り込むと、御者は行き先も告げず、街の上部へと向けて馬を走らせるのであった。




