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01

新章。

 3259年 早春



 ベッドへと寝そべった状態で、上を見上げる。

 見えるのは彫刻細やかな天蓋と、そこに掛けられた薄い布。

 いつもと何一つ変わらない、シルヴィアが使う部屋の光景だ。


 そこから寝返りをうってテラスへと視線を移すと、ガラス扉の外は黒い雲に覆われ、勢い強く雨が打ち付けている。

 その光景を見て、シルヴィアは想う。



「最初に見たのもこんな光景だったか」



 シルヴィアがこの世界へと召喚されて、早一年。

 目を覚ました部屋はここであり、その時もまた空は暗くなり、雨が降っていた。

 月日が経つのは早いものだ、と感じる。



「歳を取ると一年経つのが早く感じるっていうけど、本当なんだろうな……」



 実際にシルヴィアの精神年齢は、雄喜として生きてきた人生も含めて二十数年となる。

 そのくらいの歳ともなれば、子供の頃よりも一年を早く感じるのも致し方あるまい。



「でもこの身体だと、寿命が数百年あるしな……その頃になったら一年なんて一瞬なのか?」



 などと下らない想像を巡らせる。

 それ程までに、今のシルヴィアは酷く暇を持て余していた。


 決して無趣味な訳ではない。

 むしろこの身体となって以降も、身体を動かすこと自体は好きなままであり、度々身体を鍛えるために庭をジョギングしたりもする。

 特に自身の師であるジーナから教わった、短剣を使った護身術の習得には余念がない。

 フィオネの相手をする必要のない午前中などは、自ら積極的に訓練をし、非力な身体を可能なだけ鍛えようとしていた。


 しかし、今のシルヴィアが暇をしている原因こそそこにある。

 完全に治りきっていない脚の傷が、その自主訓練によって再び開いてしまったのだ。

 その結果、ブランドンとトリシア両名によって練習用の木剣が取り上げられ、哀れ完治するまで自室での安静を命じられる破目となっていた。



「自業自得なのは理解してるけど……暇だ」



 故に先程からベッドの上で、幾度となく寝返りをうちながら、記憶を掘り起こす遊びに終始している。

 自重を促されながらも、それを軽く受け流して怪我を再発させたのだ。

 文句を言うだけの権利も無く、今は大人しく安静の二文字を順守するしかない。

 数日前から幾度となく昼寝を重ねているため、眠気の類は一切存在しない。



 しかしそれもいい加減に飽きが来る。

 シルヴィアは度重なる寝返りによって乱れたベッドから降り、壁際の本棚へと向かう。

 暇も過ぎれば自ら勉学へと走るのであろうか。

 まだ完璧とは言い辛い語学の習得をするべく、本棚の中でも比較的分厚い書籍を手に取った。



「えっと……これは歴史書かなんかか?」



 手にした本を持って移動し、再びベッドへと腰かける。

 無造作にパラリパラリとページを捲ると、紙一面にビッシリと詰め込まれた文字の山。



「…………これは無理だ」



 現実から逃避し、本から視線を逸らす。

 とはいうものの、他にすることが有る訳でもない。

 それにこの部屋に在る本は、そのほとんどが似たような密度を誇る専門書ばかりだ。

 簡単なものを求めるならば、フィオネの部屋で絵本を物色するしかない。


 だがさすがにフィオネが読むような絵本を借りるのも、大人としての妙なプライドが邪魔をする。

 仕方なしに読み易そうな部分がないかと、ページを捲っていくと。



「っと、これは……地図か?」



 捲り進めた先のとあるページに、見開きの半分を使った一枚の絵が描かれているのを見つける。

 それは丸いような、四角いような。

 大雑把な曲線と直線で構成された塊の中が、複数の線と点線で区切られている。

 そして所々に街や山の名前と思わしきものが記されていた。


 その地図と思わしき図を見て、シルヴィアは一つの感想を抱く。

 雑だな、と。



「もうちょっとこう……丁寧というか、正確に描けないもんだろうかな」



 あちらの世界での、衛星写真などを駆使した地図と比べるのは、あまりにも酷というものであろう。

 だがそれにしてもあまりにも作りは荒く、シルヴィアにはただ子供が描いた空想上の落書きにしか見えなかった。



「かなり古い本みたいだし、仕方がないのか?」



 表紙や後ろのページを見てみるも、発行年度が記載されている様子もない。

 それも当然か、あちらの世界で使われている仕組みなどを、この世界で求める方がおかしいのだ。



 仕方なしに描かれた地図に記載された地名を読んでいくと、中央部には聞いたことのある名前。

 メイルハウトと記されているのが、今現在シルヴィアの住む、この世界の首都だ。

 そこからずっと下の方へと視線を移していくと、ある部分に目が留まる。

 『ディールランド』。そこにはそう記載されていた。

 どこかで聞いたような地名だな、とシルヴィアが思っていると、不意にその理由を思い出す。



「ああ……これ俺の苗字か」



 あまりにも使う機会が少ないがために、すっかりと忘れ去ってしまっている。

 しかしそれは間違いなく、シルヴィアがこの世界で割り振られた家名。

 その当人さえもあまり耳に馴染まぬ名が、地図の隅。大陸南方の端に記されていた。



「南だとは聞いてたけど、本当に一番端なんだな」



 唐突に見つかった見た事もないその土地に、シルヴィアは関心を寄せる。

 その時点で本来の目的である、文字の習得というものは綺麗さっぱりと消え去ってしまっていた。

 もう少し詳細な地図がないかと本棚を探し始める。

 しかし自身の部屋に置かれた書物は限られるようだ。

 辛うじていくつか見つかった地図は、最初に見つけた物と大差ない、あるいはそれ以下のものばかり。


 少しだけ逡巡したシルヴィアは、見つけた最初の本を抱えたまま部屋を出た。

 おそらくブランドンであれば、より詳細な地図を持っているのではないかと考えて。





「もう少しだけ詳しい地図ですか? あるには有りますが、あまり期待なさらない方がよろしいかと」



 厨房で昼食の準備を始めていたブランドンへと問うも、返ってきた内容は決して色よいものではなかった。

 執事は野菜を刻むその手を止めると、手を洗って厨房から出る。

 ついて来てくださいと告げるその言葉に従い、シルヴィアは後ろを歩き廊下へ。

 普段あまりシルヴィアの通る事のない方向へと向かいながら、ブランドンは廊下に一か所、大陸図の飾られた場所があると告げた。



「ごめん……まったく気づいてなかった」


「そんなところでしょうな。正直私も、ほとんど行く機会のない場所ではありますが」



 住む住人の数に対して、あまりにも広い屋敷だ。

 ここに来て一年が経つとはいえ、シルヴィアがその全てを把握していないのも、致し方のないことではあった。



 流石にトリシア一人では、屋敷全体にまで掃除手が行き渡らないのであろう。

 若干埃っぽい空気が漂う廊下を付いて歩き、奥へと進む。

 ここに一人で置いていかれたら、元の場所に戻れるであろうかと思えるほどに進んだ先で、ブランドンは立ち止まり壁を向く。



「こちらがご所望の地図になります。正直……あまり大差はないと思われますが」



 それは壁一面にかけられた、縦横共にシルヴィアの身長の倍以上はあろうかという大きな地図。

 陽射しと経年の劣化によって所々がくすんでこそいるものの、額の隅など部分的に金の装飾が施された立派な作りをしていた。

 とはいえ……。



「確かに、あまり変わらないな……」


「おそらくは、どの地図を見てもこれとそう変わるものではないでしょう。シルヴィア様の求められるほどの緻密な物は、どこにも存在しないかもしれません」



 シルヴィアの部屋にあった歴史書と比べれば、多少なりマシであると言えるだろう。

 領地の境界線を表す線もハッキリと引かれており、記載された都市の数も多い。

 だが海岸線などの線引きは適当と言い切ってしまえそうなもので、手元にある地図と比べると、少々大陸の形状そのものが異なっているようですらある。



「地図なんてどこの世界でも重要なものだろうに、なんでこんな適当なんだ……?」



 当然の疑問を口にする。

 土地が広くなればなるほど、国の規模が大きくなるほどに、正確な地図の重要性は増していくはずだった。

 特に戦争や物流といった点を考えれば、本来喉から手が欲しくなる代物だ。

 予算を掛けたとしても、しっかりした物を作るであろうに。


 と、そこまで考えたところで、シルヴィアは自身の考えが間違っていたことに気が付く。

 この世界は、あちらと大きく異なる点が一つ存在するのだと。



「基本的に街道は一本道で、方角さえわかれば移動にも問題はありませんからな。それに紛争でもあれば、より緻密な地図が必要とはなるのでしょうが」



 シルヴィアの勘違いを察した訳でもないであろうが、ブランドンはその答えを口にする。

 遥か昔に一つの国によって世界が統一されて以降、この世界には主だった戦乱らしきものが存在しない。

 今存在する地図の類は、全てその大昔に争いが存在した頃に作られた、あまりにも古い地図なのであった。


 物流に関しても、然程必要とはされていないのであろう。

 基本的に都市の周辺には、それなりの規模の穀倉地帯が整備されている。

 そういった所から食料を供給されるので、遠距離を運ぶ必要性すらない。

 というよりも、そういった食糧生産に適した場所に都市が造られているがために。



「でも戦争がないにしては、随分と軍の規模が大きそうだけど。何か理由でもあるのか?」



 これといって何かを意図する訳でもなく、ただそれとなく浮かんだ疑問をブランドンへとぶつけてみる。

 表に出せる話ではないが、実際に軍へと在籍するこの執事であれば、答えを返してくれるであろうと考えた。



「少々返答に困る質問ですな。勿論我々とて、安穏と遊んでいる訳ではありませんが」



 問うた質問に対する答えは、どこかハッキリとしないものであった。

 所属する当事者に、その価値を問うのは少々無礼であったかとも思いながらも、シルヴィアは考える。

 しかし眼前に広がる巨大な地図を見るにつれ、その疑問が深まるのを感じずにはいられなかった。

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