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05

「フィオネ様、朝ですよ! いつまでも寝ていないで、顔を洗ってお食事になさってください」



 早朝。

 寒さから毛布に包まっていたフィオネは、それを取り上げようとするトリシアとの戦いを繰り広げていた。

 冬になって以降は毎日のように続けられる行為ではあるが、この日のフィオネは随分と粘る。

 それもこれも、日々外で体力尽きる寸前まで遊んでいるため、更なる睡眠を欲しているのが原因であろうか。


 仕える立場であるのを感じさせぬほどに、容赦なく毛布を引き剥がそうとするトリシア。

 フィオネもまたそれに対し、簀巻きの如く丸まってそうはさせじと抵抗する。

 頑なに拒否する態度に呆れたのか、それともこれ以上時間を掛けることは出来ないと判断したのか。

 トリシアは肩を落とすと、普段よりも強く抵抗を続けるフィオネへと、大きな声と少々ワザとらしい口調で問うた。



「ところでフィオネ様。最近は随分と機嫌がよろしいようですが、〝お外〝で何か面白い遊びでも見つけましたか?」



 その言葉にピクリと反応する。

 具体的な内容を告げられている訳ではない。

 しかしそれが、日々通い続ける老人の居る場所に関するものであるとフィオネには思え、緊張の度合いを高めた。



「な、なんでもないよっ!」



 裏返った声で叫ぶと、それまでの抵抗が嘘であるかのように、自ら毛布を跳ね除けてベッドから飛び降りる。

 これ以上抵抗を続けては、更なる追及の言葉を受けるであろうことは、容易に想像がつく。

 ベッドから飛び降りたフィオネが恐る恐る見上げた先のトリシアの目は、どこか悪戯っぽく笑っているようにも見えた。



「さあ、これでもう起きるしかありませんね」



 再びフィオネがベッドへと飛び込むのを警戒してか、毛布を抱えたまま笑顔で告げる。

 発された言葉の本当の意図はともかくとして、それによってフィオネがベッドから出てくるというのは予想の範疇であったようだ。

 それを察し、騙されたと感じたフィオネは頬を膨らませながら、毛布を奪い取りにかかった。

 しかし大人と子供の体格差は如何ともし難い。

 それをものともせず、トリシアは奪った毛布を頭上に掲げ、迫るフィオネをさらりを躱す。



「ではお食事にしましょう。お着替えを」



 幾度かの攻防の後、毛布を奪い返すのは無理と悟り、不貞腐れたフィオネは床へと座り込む。

 トリシアの言葉にも、ヤダと言って駄々をこねるばかりで、一向に進展する様子がない。


 これ以上続けても埒が明かないと判断したのであろうか。

 普段よりも随分と我儘を言うフィオネへと、仕方がないとばかりにトリシアは一つの提案を持ちかける。



「ではこうしましょう。今すぐにちゃんと顔を洗って食事にされるのでしたら、今日はお勉強をお休みにします」



 その提案に、フィオネはむくれた様子を治め、上目遣いとなって聞き返す。



「……ほんと?」


「ええ、勿論。どちらにせよ私も用事があるので、午前中はお屋敷を離れなくてはなりませんし」



 その言葉を受けて一気に機嫌を上向きとするフィオネ。

 逃げ出すほどではないものの、毎日午前中にずっと行われる勉強は、フィオネにとって決して好ましい時間ではなかった。

 トリシアのスパルタと言える厳しい方針が、その理由ではあったが。



「ただしその時間はちゃんと大人しくしていること。ブランドン様も所用で留守にされているので、その間はアウグスト様と一緒に居て下さいね」


「はいっ!」



 これまでの不機嫌などどこ吹く風。

 素直に元気よく返事をすると、フィオネは立ち上がり顔を洗うために洗面台へと向かって駆け出していた。





 吊るした乾燥肉をナイフで適当に削ぎ落としたものに、硬くなった雑穀パンと少しの果物、そして白湯。

 これがその日最初に口にする、老人の朝食であった。

 その日とは言うものの、飽きもせずほぼ毎日がこれと似たような内容ではある。

 普段ずっとこの水源地で暮らしている老人は、市街の市場へと顔を出すことは稀だ。

 多数の食材を目にする機会でもあれば、ある程度の違う物を求める欲求も湧いてこようというものではあるが。



「なんじゃ、お前も欲しいのか?」



 傍らで老人と同じく食事を摂る老犬が、その手に持たれた乾燥肉を見つめ、口の端から涎を垂らす。

 雑穀と野菜で作られた餌だけでは飽きるのであろうかと感じ、たまには良いだろうと肉の端を小さく裂いて与えた。

 老人が与えた肉を咥えると、床へと伏せて器用に前脚で押さえながら食べ始める。


 大事そうに少しずつ食べる老犬へと、穏やかな視線を送る。

 老人と犬との付き合いも随分と長い。

 この水源地へと迷い込んできた子犬を、老人が野生動物と間違えて追い払おうとして以来の付き合いだ。

 結局飼い主の定かにならなかったこの犬を迎え入れ、丁寧に躾けて十年以上。

 今ではすっかり老人の良い相棒として、共にこの地を管理する戦力となっていた。



「数年前にはもっと頻繁に欲しがったものだがな。お互いに歳を取ったか」



 とはいえやはり、犬もまた老いつつある。

 徐々に足腰は弱り、以前ほど元気に駆け回る動きも減っていた。

 フィオネの相手をする時などは、比較的元気に尻尾を振ってじゃれ合ってはいるのだが。



「お前さんが居なくなった時は、わしもお役御免かもしれんな」



 その姿に、老人は自身を重ね合わせる。

 体力の落ちていく一方の今となっては、長年の付き合いである相棒の助けなしでは、若干厳しいものがあるのは事実。

 寂しくも思うが、これも自然の摂理かと考えながら、食べ終えた食事の片づけを始めた。



 夜間を受け持つ男は、つい先ほどその役目を老人と交代して帰宅している。

 フィオネが来るであろう時間までは、まだ随分と猶予があるので、今の内にある程度仕事を片付けておこうかと考えた。

 フィオネが毎日ここへ通い続けるのを、老人は日々楽しみとしている。

 とはいえ、その相手をしているとあまり仕事が捗るとは言えない。

 来るまでにある程度片づけておかねばならず、食事を摂ったらすぐに開始しようと老人は考えていた。


 そろそろ始めるかと、上着に手を掛けようとしていたその時。不意に小屋の扉がノックされる音。

 一瞬、帰った男が忘れ物でもしたのであろうか、あるいは随分と早くフィオネが来たのだろうかと考えはした。

 しかしどちらであったとしても、ノックなどせずただ扉を開けて入ってくればよい。

 一々そんな律儀な真似をするような者たちではないはずだと思い、首を傾げながら老人は扉へと向かった。



「……なんじゃお前さんは? どうやって入ってきた」



 扉を開けた老人の眼前に立っていたのは、一人の女性。

 艶やかな金髪を緩い三つ編みにしたその女性は、老人と顔を合すなり深く頭を下げる。

 上着の下に纏っているのは、真っ新な白いシャツ。

 しかしその簡素な仕立てから、貴族とは異なるのだろうと老人は判断する。

 おそらくは高位の貴族に仕える使用人かなにか。



「早い時間の急な訪問をお許しください。私はフィオネさまの住まわれるお屋敷でメイドを務めさせていただいている、トリシアと申します」


「……お嬢ちゃんのか」


「はい。こちらの敷地へは、偶然門の前に居合わせた男性に入れて頂きました」



 ああ、と老人は声を漏らし納得をした。

 この人物が、フィオネの言っていた"おねえちゃん"の一人なのだと。


 そのうちこんな時が来るのではないかと、薄々考えてはいた。

 明らかに貴族である少女が、いつまでもこのような場所へと自由に出入りするのを許されようはずもない。

 老人はトリシアがここへ来た理由が、これ以上フィオネに関わらないよう伝えるためであるのだと考えた。



「まぁ立ち話も何じゃし、とりあえず中に入りなされ」


「ではお言葉に甘えてまして」



 小屋の中へと案内し、比較的ガタのきていない椅子を選んであてがう。

 フィオネにしたのと同様に、水源から汲んできた水を振る舞ってから、天気やこの場所に関することなど、取り留めのない世間話を振ってみる。

 その丁寧な立ち居振る舞いや、この水源地に関する知識を有している点。

 そういったところから察するに、それなりの教養を積んだ人物なのであろう。




「それで、本日はどういったご用件ですかな?」


「まずはお礼を。ここ数日、フィオネ様の我儘にお付き合いして頂いたことについて」



 やはりフィオネの動向に関しては、しっかりと把握されていたようであった。

 話を進めると、本人は隠しているつもりであるようだったが、その機嫌のよさから周囲には筒抜けであるとの話。

 だが本人が話していないというのに、フィオネが普段ここで何をしているのかを、トリシアは把握しているようであった。

 さり気なくそれを問うてみると、ある種の護衛のような存在を匂わせる言葉を漏らす。

 老人とフィオネが気付かなかっただけで、どこかしらで誰かに見張られているのだろうと知れた。



「貴方様には感謝しているのです。普段フィオネ様と一緒に過ごして下さっている方が、ここ数日は所用でご不在でして。そのせいで随分と寂しい想いをされていました」


「それでここに来るのを黙認されていたと?」



 老人の言葉に、「はい」と頷く。

 トリシアの説明により、その人物こそフィオネが"おねえちゃん"と呼ぶもう一人の人物であろうと推測した。

 同じ貴族と思われるその人物が一緒に暮らしているという点で、少々込み入った事情があるのであろうと察す。

 しかしどういった事情であるかは知れないものの、あまり突っ込んで聞くのも野暮かと思い自重する。

 それを感じたのであろうか、フィオネが住む屋敷は、領地の遠い複数の貴族が暮らす国の施設であると説明をされ、トリシアのその言葉に老人は一定の納得をした。




「ご迷惑かとは思いましたが、余りにも楽しそうにするフィオネ様の様子につい……」


「いやそれは構いませぬよ。……それにこちらも良い話し相手になってもらいました」



 迷惑、とは言い切れぬものがある。

 実際フィオネが来るようになって以降、彩のない日々であった老人へと、陽光が差したと言っても良い程の変化が生じている。

 忘れかけていた家族との関わりを思い出させるフィオネとの交流は、老人にとって感謝しこそすれ、決して迷惑に思うものではない。



「なに。ワシも存外暇を持て余しておりまして、そこまで迷惑というほどのものでも。むしろ久しく会っておらん孫を思い出させてもらえたくらいで」


「そう言って頂けると助かります」



 渡り鳥を始めとした動物に対する見張りの必要性などから、人手が足りず泊まり込む破目とはなっている。

 しかし基本的には簡単な作業が続くのみで、仕事そのものは暇な時間も多いのだ。

 敷地内に拘束される時間こそ長いものの、子供一人を連れて動くこと自体はそこまで労ではない。



「それにしても、あのお嬢ちゃんもよく屋敷の外に出られたものですな」


「おそらくこちらも似たような事情を抱えていらっしゃると思うのですが、私どももなかなか予算が下りずに、壊れた個所を修繕するのにも事欠いておりまして……」


「なるほど、お互いに苦労しておるようで。気付いた後でも未だ塞がぬ理由も、わしと似たようなものでありますかな」



 苦笑交じりに発した老人の言葉に、トリシアもまたクスリと笑い、その後で「このことは他言無用で」と呟く。

 心の奥底では寂しさを感じていた老人。

 そしてフィオネに広くも窮屈な屋敷での生活を送らせているのを、心苦しく思っていたトリシア。

 その両者の考えによって、本来ならば速やかに直すべき部分は意図的に放置されていた。

 予算という現実はともかくとして、怠惰とは異なる感情による結果だ。



「ですがいつまでも黙認し続ける訳にはいきません……。フィオネ様にはお可哀想ですが、私にも責任がございますので」


「そうでしょうな。その普段面倒を見てくれているという人物が、戻ってくるまで……ですかな?」


「勝手な言い分で申し訳ありませんが……」



 気にしないでもいいと、老人はトリシアに告げる。

 幼い貴族の少女がいつまでもこういった場に出入りするというのは、実際のところ少々風聞が悪い。

 老人にはそれが常に気にかかるところではあった。

 故にトリシアが謝罪を交えて告げる提案にも、気持ちの面はともかくとして、大人しく首を縦に振る。


 件のもう一人の"おねえちゃん"が屋敷へと戻る時。

 それが老人にとって、フィオネと過ごす穏やかな日々の期限となるのであった。

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