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03

 フィオネは老人に連れられ、林のすぐ側に在る小屋の中へと入っていた。

 小さな暖炉には火が熾され、その前へと置かれた椅子へ座り暖を取る。

 この寒空で幼い子供を晒し続けるわけにもいかないと、そう老人が判断したためであろう。

 小屋の中は少々小汚くはあるが、外に居続けて風邪でも引かれるよりはマシであった。


 フィオネ等が住む屋敷では、ある種の魔力を用いた器具によって部屋が暖められている。

 故に普段暖炉の火を見る機会のないフィオネには、それはとても興味深いものであった。

 危ないぞと忠告する老人の声を聞きながらも、知らず知らずの内に、若干熱さを感じる距離にまで近づいていく。



「まったく……近づきすぎるなと言うとるのに」



 まるで子猫を掴むかのように。

 老人は歳の割にはがっしりとした腕でフィオネの上着を掴むと、火から離して椅子に座らせ、着ていた上着を預かる。


 暖炉の近くに寄っていたためであろうか。

 フィオネの額からは、流れる程の汗が見られ、頬は僅かに上気している。

 その様子を見た老人は小さく息を吐くと、手近に置いてあった木のコップを二つ、片手に持ち小屋から出て行った。

 フィオネがキョトンとし、老人の出て行った小屋の入り口を眺める。

 すると先ほど持って行った二つのコップを、今度は左右両の手に持ち老人は戻ってきた。



「ほれ、お嬢ちゃん。熱いじゃろ、飲んでおいたほうがよい」



 フィオネの手に押し付けられた木のコップには、綺麗に透き通った水が並々と注がれている。

 それをジッと見、立ったままの老人を見上げた。



「すぐそこで湧いてる水じゃよ、うまいぞ」



 それだけ言って老人は自身の持った水を、グイと呷る。

 老人が水を飲み干すのを見届けると、フィオネはおずおずとカップに小さな口をつけ、一口含む。

 凍りつくような冷たさを持った水が喉へと流れ込み、その冷たさに驚きながらも、水分を欲していたフィオネは飲み進めた。

 ごくりごくりと、一気に飲み干す。



「どうだ、ここの水はうまいじゃろう?」



 そう問う老人の表情は、どこか自慢げだ。

 空になったコップを眺め、フィオネは老人の問いかけに対して少しだけ笑顔となって「うん」と答える。

 その足元では、同じように水が入れられた皿へと頭を突っ込んが老犬が、水を美味そうに舐めていた。



「そうかそうか、お嬢ちゃんもここで採れる水の良さがわかるか」



 胸を張り、揚々と告げる。

 老人自身は、この地から湧き出る清涼な水に誇りを持っているのであろう。

 満足感を顕にし、老人はこの場所に関する説明を始めた。



「いいかいお嬢ちゃん。この水源はだな、今から24代前の国王陛下が下された命によって保護されたのが始まりで――」



 老人は朗々と、土地の歴史についてを語り始める。

 まだ幼いフィオネは知らなかったが、この水源は上街区の一部、そして市街区の半分近くへと水を供給する、重要な生命線とも言える水源だ。

 故に国の保護によって、厳重に護られている土地となっていた。

 もっともそれも過去の話。近年では警備も無くされ、予算や人手も減らされて老人は常々不満を漏らしているのではあるが。



「今の国王陛下は善良な方なんじゃが、もうちっとこう……伝統あるこの場所の重要性を、解っていただきたいもんなんじゃがなぁ」



 老人は訥々(とつとつ)と語る。

 思う所はあるものの、声を大にして批判を口にするのは憚られるのであろう。

 ただその熱心な説明も、話を聞いているフィオネにとっては、内容のほとんどが理解できずに首を捻るばかりだ。



「おっとスマンな。お嬢ちゃんには難しすぎたか……」



 ついつい熱心に話をしてしまった自身を振り返り反省したのだろう。

 老人は頭を掻きながら、「それもそうか」と呟く。



「つまりだな、ここにある水はこの街に住んでいるたくさんの人が飲んでる水だから、大切にせんといかんって話しなんじゃ。わかるかの?」


「うん、フィオネわかるよ」



 ようやく真面に返されたフィオネの言葉に、上出来とばかりに笑顔を向ける。

 最初こそ緊張からか、老人に対して警戒の姿勢を持っていたフィオネであった。

 だが少しずつ慣れてきたのもあり、水を与えられた辺りからは、随分とその警戒感も薄れてきている。




「だからなお嬢ちゃん、さっきの鳥も水をきれいにしておくために、追い払わにゃならんのだ。決して鳥をイジメようとか、食べようとしてるのではないんじゃぞ」



 だが鳥を追い払おうとしていた件に関しては、あまり納得できていないのであろう。

 フィオネは老人の言葉に反応し、若干ムスリとした表情を浮かべる。

 それに関しては、心情として理解をしたくはないという想いがあるようであった。



「やれやれ、弱ったもんだ。……っと、そろそろ陽が暮れ始めるか」



 困った様子を見せる老人が、チラリと窓の外を眺めた時、空は徐々にその色を茜色に染め始めようという気配が漂っていた。

 フィオネが昼食を食べてから、然程経っているようには思えなかったものの、想像以上の時間が経過しているようであった。

 陽の落ちるのが早い冬というのもあって、もう少しすれば外は暗くなってしまう。



「そろそろ交代の小僧も来る頃だろう。お嬢ちゃん、そいつが来たらお家まで送ってやるからの」



 そう言う老人の言葉を聞いたフィオネであったが、首を横に振って「だいじょうぶ」と答える。

 手にしたコップを置き、椅子から飛び降りて脱いだ上着を自ら羽織り、足下に座る老犬の頭を撫でる。



「と言われてもな……。大人としては一人で帰すってのも――」


「一人でかえれるよ。ばいばいおじいちゃん!」



 フィオネはそれだけ告げると、困り悩む老人の言葉を最後まで聞かぬまま、駆け足で小屋を飛び出そうとしていた。

 老人がそれを制止するため、手を伸ばそうとする。

 歳の割にはしっかりした体格をした老人ではあるが、流石に子供の俊敏さには叶わなかったようだ。

 その手をすり抜けたフィオネは、小屋の外で一旦立ち止まると、老人と犬へと向けて手を振る。

 そのまま林の向こう、自身が入ってきた塀の壊れた場所へ向けて走った。





 完全に陽が落ちきる前に屋敷へと帰り着いたフィオネは、これといって小言を頂戴することもなく、夜の食卓に着いていた。

 帰宅した時点で随分と服は汚れていたはずではあるが、トリシアにそれを咎める様子はない。

 多少なりと怒られるのを覚悟していたフィオネであっただけに、その反応は若干肩透かしであった。


 今夜もまたシルヴィアは不在であり、その上アウグストも居ない。

 こちらは数日に一度の割合で夜に居なくなっているため、然程心配する程ではなかったが。



「どうしたんですかフィオネ。随分と機嫌がいいみたいですが?」



 手にしたフォークを置き、ハウは尋ねる。

 あまり表情が豊かに表現できるとは言い難い、リザード種の頭であるため動きは少ないが。

 しかしその顔は、若干怪訝そうにも見えなくはない。

 フィオネにとっては、水源での出来事がそれなりに好奇心を満たすものであったため、その夜は多少機嫌が良かった。

 それを気にして問うているのであろう。



「なーんでもないよー」


「そうですか? ……まぁ何にせよ、楽しそうなのは良いことです」



 ハウの言う通り、今のフィオネは周囲から見れば随分と機嫌が良さそうに見えていた。

 シルヴィアの不在により、どこか不安げであった昨夜とは雲泥の差だ。


 その様子が気になったのはハウだけではなかったようだ。

 食後のデザートを運んできたトリシアも、それは同様であった。



「何か楽しい遊びでも見つけられたのですか?」


「んー、ないしょ!」


「あらあら、私にも教えて下さらないなんて、今日は随分といじわるですね」



 クスリと笑うトリシアの雰囲気からは、別段責めたり本気で探ろうとする意志は感じられない。

 何でもないと言ったかと思えば、内緒と言う。

 そんな少々噛み合わない、幼い子供らしいフィオネの返答ではあるが、深く追求する気はないようであった。


 とはいえフィオネ自身は、これ以上追及され続けるというのを嫌がり、運ばれてきたデザートを急いで平らげる。

 椅子から降りると、行儀の悪さを咎めるトリシアの言葉を背に受けながら、すぐさま食堂から飛び出した。




 走って自室へと戻ると、ベッドへと身を放り出して大の字となり、昼間の出来事に想いを馳せる。


 楽しかった。そうフィオネは感想を抱く。

 多くの渡り鳥や、栗鼠などの小動物。それにそこを管理する少しだけ怖い老人と穏やかな老犬。

 その老人も最初こそ多少怖いと思えていたが、言葉を交わす内にそこまで厳しい人ではないのだろうと思える。

 それにあまり外に出る機会の多くはないフィオネにとって、一部とはいえ自然色濃い水源は、格好の遊び場に思えてならなかった。


 また行きたいという強い欲求が、フィオネの内に芽生える。

 だが次も上手く抜け出せるとも限らないし、見つかればきっと強く怒られるのだろう。

 幼い身であるとはいえ、フィオネにもその程度の予測はつく。

 しかしそういった諸々のリスクを負うとしても、補って余りあるだけのモノが、あの場に在るように思えてならなかった。



「鳥さん、また来るかな……」



 一日の汗を落とす間もなく、ベッドの上でうつらうつらとし始める。

 朝はずっと机に向かって勉強にいそしみ、昼を過ぎてからは未知を求めて外を走り回った。

 まだ体力に乏しい少女の身体には、大きく疲労感が積み重なっている。

 次第に意識は沈んでいき、その後で部屋へと来たトリシアの声にも目を覚まさず、そのまま朝を迎える破目となってしまうのであった。



 そして結局、翌日もフィオネは同様に屋敷を抜け出すことになる。

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