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02

 翌日の朝食時。

 シルヴィアは、朝から屋敷を留守にしていた。

 というよりも、昨日の朝に出て行ってから未だ帰宅してはいないようだ。



「ねえ、シルヴィーは?」


「昨日からベルナデッタ様の所にお泊りですよ。なんでも急な用事がおありとかで、少しの間帰れないそうです」



 どこか不安感を覚えたフィオネがトリシアに尋ねると、しばらく帰れないとの答えが返ってくる。

 まだ今回は以前と異なり、屋敷へと連絡をとっているようであり、周りの大人たちにはこれといって慌てた様子はない。



「また厄介毎に巻き込まれなければ良いのですが……」



 ただその中でも、何がしか事情を知っているであろうトリシアが、呆れたように呟くのがフィオネには印象的であった。



 フィオネは以前にもシルヴィアが急に居なくなり、グッタリとした状態で帰ってきたのを思い出す。

 その時のシルヴィアは帰宅してから顔を会わせ、すぐにベッドへと倒れ込んだ。

 当時のフィオネはと言えば、数日の間碌に会話も出来ないシルヴィアが心配になり、トリシアに頼んで何度か寝室に様子を見に行っては心配するを繰り返していたものであった。

 回復した後もしばらくは、シルヴィアがどこか沈んだ様子を見せていたため、再び帰らぬ状態にフィオネが不安を感じるのも、致し方がないとも言える。



「さあ、お食事も終わりましたし、フィオネ様はお勉強にいたしますよ。しっかりと勉強して、シルヴィア様が帰ってきた時にビックリさせましょうね」



 寂しいという感情はあるものの、用事があるならば仕方がない。

 幼心にも自らそう納得させ、トリシアに引き連れられて食堂を跡にした。





 事情は定かではないものの、二日続けてシルヴィアが屋敷を留守にしているため、この日の午後もフィオネは暇を持て余す。

 アウグストやバルトロは、例によって市街区へ行ってしまっている。

 ハウはなにやら、連日図書館で調べ物をしていると聞いていた。

 屋敷内に同世代の子供でも居れば良いのだが、当然そのような子供は居るはずもなく。

 かと言ってフィオネの友達となってもらうために、他家の子供を呼び寄せる事も叶わない。



 昼食を食べ終えたフィオネは分厚い上着を羽織ると、昨日と同じく正門前で暇を持て余しながら、毎日代わり映えのしない外の景色を眺めていた。

 眼に映るのは変わらず白壁に埋め尽くされた街並みと、時折道を通る馬車。

 そして感じるのは、今日も変わらず吹き付ける、冷たい冬の空気。


 暇から足元の小石を蹴って遊び始めた時、上空からバサリと羽音が聞こえてきた。



「鳥さん!」



 見上げれば昨日と同じく、鳥の群れが上街区の外れへと飛んでいく。

 それからの動きも昨日と同じだ。

 鳥の群れは旋回し、降り、再び飛び立ち何処かへと去っていく。


 昨日と全く同じ光景に、フィオネは強い好奇心を覚え、興味により突き動かされる。

 気が付けば、フィオネが最近見つけた、老朽化によって崩れ修繕の済んでいない塀へと向かっていた。

 丁度茂みの影に隠れ、通りから一本外れた裏道へと繋がる小さな穴。

 誰も見ていないかと周囲を窺い、こっそりそこから外へと抜け出す。

 小さな暗い道へと出ると、そのまま鳥の群れが向かったであろう、上街区の外れへと目指して駆け出していた。





 手にした鍬を振り回し、あるいは地面に叩きつけ。眼前に現れた数羽の鳥を追い払う。

 真横に立つ老犬は、老人を助けるべく低い声で鳴き威嚇する。


 いったいこれで何度目であろうか。

 老人はその日だけで数えるのも面倒に思えるだけの回数、鳥や小動物を追い払っていた。

 特に冬場である今は、大陸の北部に生息する渡り鳥の群れが越冬のため飛来する。

 森の少ない都周辺の丘陵地帯にあって、この水源地には木々が豊富で水場も在る。

 鳥たちからすれば、格好の越冬場所と言えるのだろう。



「しつこい連中だわい」



 その動物も回数を重ねる毎に、老人と老犬がする威嚇への反応が鈍くなってきている。

 威嚇行為そのものに慣れてきたのか、それとも実際に危害を加えてはこないと学習しているのか。


 実際のところ、老人は自身が管理する水源を血で汚してしまう危険性があるため、武器を持って駆除するという手段を取れないでいる。

 水に入らず地面に染みる程度であれば、一般の人たちは気にも留めないだろう。

 しかし教会関係者や貴族などは、自身が口にする水が血による穢れの近くにあるのを嫌う。

 水源で殺生があったと知れば、随分と面倒臭い状況となるはずであった。


 老人には動物も教会も、些か分の悪い相手だ。

 なにか新しい対策を考えなければならないのだろう。



「まったく、ここの価値を理解せん連中が上に座っておるなど、なんと嘆かわしい」



 老人は小さく独り言で悪態をつく。

 今のところは努力の甲斐もあってか、林や茂みの中に少数の動物が居るのみで、肝心の水源への影響は最小限で済んでいる。

 ただこれも水源そのものを、大きな建造物で覆ってしまえば話しは簡単なのだ。

 しかし何度か老人が直訴したそれも、予算不足の名の下に毎度却下されてしまっている。

 当面はこうやって、人の手で動物を追い払うしかないのだろう。




 ガサッ、ガサガサッ



 動物相手に朝から鼬ごっこをし、老人は疲労を溜め始めていた時。

 少し休憩を挟むべく、小屋へと向かおうとすると、背後に繁る草が揺れる。

 また性懲りも無く動物が来たのかと思い、老人は少しだけ肩を落とすと、振り返りそのまま鍬を向けて見遣る。

 ところが向けた先に在る茂みの影から現れたのは、動物ではなくそれ以上に珍しい存在であった。



「子供……?」



 長く伸びた草の間から、銀の髪と瞳をもったダークエルフの童女が、ひょっこりと顔を覗かせている。

 老人は予想だにしない来訪者に唖然とし、童女もまた眼前に現れた老人と犬の姿に驚き、固まっているようであった。


 しばしそうしていたが、誰よりもその状態から脱したのは、老人の飼っている長年の相棒である犬だ。

 草むらへと近寄り、現れた童女へと顔を寄せて臭いを嗅ぐ。

 その光景にハッとし、老人はとりあえず問うてみることにした。



「……お嬢ちゃん、どっから入り込んだんじゃ?」



 老人の言葉にビクリと反応し、童女は身構える。



「ぁ……ぅぅ……」



 老人の問い掛けに対し、童女は小さく声を漏らし、その後は黙りこくる。

 その様子を眺めながら、老人は訝しく思う。

 この敷地の周囲は身の丈を遥かに越える高い塀に囲まれており、正規の通用門以外から人は出入りできないはずであった。

 故にここへ入るためには、門の鍵を開けるか、鳥たちのように空から舞い降りるか。



 この少女はどこから入り込んだのだろうかと考え始めた老人の目に、その身に纏う服装が飛び込んでくる。

 よく見れば草の擦れた汁や土によって汚れてはいるが、分厚い上着の下には白い清楚なドレス状の服。

 そういった格好をしている様子から、どこかの貴族家の娘であろうかと予想する。


 この近辺は上街区の中でも、比較的高位の貴族たちが多く住む。

 ただ子供たちが遊び、悪戯心から敷地に侵入してくるといった、市街区では一般的な光景はまず見られない。

 興味本位で家から抜け出してきた少女が、迷った末に何処かから入り込んでしまったのであろうと、老人は見当をつけた。



 はてさて、どうしたものであろうかと老人が首をかしげていると、眼前の童女は何かに気付いたのであろう。

 視線を上空に向け、「わあ」と声をだし目を輝かせ始めていた。

 いったいどうしたのかと老人が空へと顔をやると、そこには先ほど追い払ったばかりであるはずの鳥の群れ。

 それが再び上空で旋回を始めていた。



「あんの鳥どもめ、懲りもせずにまた来おって!」



 再び降下を始めた鳥の群れに憤慨しながら鍬を構え、再び追い払おうと息巻く。

 するとその姿を目にした童女が、鍬を手にする老人を抑え込もうと足下へ飛びかかった。



「鳥さんいじめちゃダメーーー!」


「お、おい! 放すんだ嬢ちゃん、危ねえだろう」


「ヤダー! 鳥さん食べちゃだめええええ!!」


「食べんわい! いいから危ない、放さんか!!」



 先ほどまでの押し黙っていた様子からは一変。

 童女はその仕草を変え、老人へと金切り声で叫ぶ。

 しばらく喚きながら揉み合っていると、普段とは違う様子に警戒したという訳ではないだろうが、鳥の群れは降りるのを止め彼方へと飛び去って行った。

 もっとも、それに気付かず老人を押えようとする童女と、怪我をさせぬよう振り払おうとする老人は気付きもしないのではあるが。





「それで、お嬢ちゃんはいったいどこの家の子なんじゃ?」



 鳥の群れが去ってからもしばらく揉み合っていた二人。

 今はそれも収まり、老人はようやく宥めた童女を芝生の上に座らせる。

 名前を問うと、そこだけ素直にフィオネと名乗るが、その後は再度口を噤む。

 問うた言葉に対して、委縮するばかりで答えを返さぬ様子に、老人は困り果てていた。


 普段我が家へ帰ることもほとんど無く、水源を管理するためにずっと敷地内の作業小屋に寝泊まりする生活だ。

 老人には妻や子供、そして孫が居るには居るのだが、随分と長く顔も合わせていない。

 このような幼い子供を相手に、どう接してやればよいのかが皆目見当もつかなかった。


 家へと送り届けるか、家の人間に迎えに来てもらうのがよいだろうと考え、老人はフィオネに尋ねてみる。

 しかし答えは返ってこない。

 飛びかかったとき以外のフィオネは、ずっと老人に対して警戒をしていた。

 鳥に対して農具を使って追い払おうとしていたためか、それとも老人そのものを警戒しているのか。

 老人には現状、その判断はつかない。




「弱ったもんじゃな……」



 以前であれば、水源地への入口には警備のため、騎士団や軍から人が派遣されていた。

 このままそこへと連れて行き、誰かに押し付けてしまえば、老人はこの面倒から解放される。


 しかしここ数年は、予算の削減を理由に警備の人員を寄越す事も無くなり、入口に建つ詰所代わりの小屋も無人のまま。

 故に今この場所に居るのは、フィオネを除けば老人ただ一人しか居ない。

 誰か人に任せてしまうという手は使えなかった。

 かといって老人がこの場を離れるわけにもいかない。

 人の気配が無くなったのを察知すれば、またすぐにでも鳥たちは集まってきてしまうからだ。



「小僧が来るまで待つしかないかのぅ……」



 家にも帰らず、普段からこの敷地内でずっと寝泊まりしているとはいえ、なにも老人だけでこの場所を管理しているわけではない。

 当然のように休息は必要であり、交代する人間は存在する。

 老人が小僧と言った者は、昼間見張りと管理をしている老人に代り、夜間の管理を任されている人物であった。


 とはいうものの、小僧とは言えそれはあくまで老人にとってはに過ぎない。

 既に年の頃は三十に迫ろうという、立派に成人した男だ。

 老人がフィオネを家まで送り届けるためこの場から動くには、その人物が来るのを待つしかないようであった。



「まったく……今日は厄日だわい……」



 鳥と少女。

 二つの厄介事を一人で対処しなければならない事態に、老人は脱力し、嘆息するしかないのであった。

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