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ソウシツストーリア  作者: フライング時計
想い出のスープ
71/95

01

前章の二話目でした雑談部分に当たる話です。

前後編で。

 3248年 晩秋



 一人の少女が白亜の街並みを駆ける。

 熱い息を弾ませ、整然と並べられた石畳の上を僅かに乱れた足取りで。


 長い黒髪に黒目。歳の頃十四~五歳といったところ。一見して日本人と見まごうが、その容姿は若干彫りが深い。

 秋の深まり始めた肌寒い時期ではあるが、その身に纏う服は随分と軽装だ。

 白いシャツとスカートに、サンダル。辛うじて防寒着と言えそうな、紺色の薄いジャケット。

 僅かにそれらだけを纏って、少女は何かから逃げるように通りを駆けていた。



「ははっ、やった! とうとう抜け出した!」



 硬い石畳を踏む脚は、その強い衝撃を逃がしきれずに痛みが奔る。

 しかし興奮からか、むしろ顔には笑みが浮かび、走るを止める気配はない。

 とはいえ身体は徐々に限界を迎え始めたようで、次第にその速度は緩み、しばらくすると激しく肩で息しながら足を止めた。


 しばし荒い息を吐き、落ち着いた頃を見計らって後ろを振り返る。

 少女を追いかけてくると思われる姿は微塵も無い。

 それも当然か。入念な下準備の末に、誰にも見つからぬよう住む屋敷を抜け出したのだから。

 その誰一人として歩く者の居ない道の姿に、再び満足気な笑みを湛える。


 少女がこの街……いや、この世界に来てから早一年弱。

 その間は執事や年配のメイド、あるいは異形の身体を持った"ご同業"に引き連れられて以外では、自由に外を歩き回る事すらできなかった。

 それもこれも、少女の身を案じたが故であることは認識しながらも、酷く窮屈な感覚を覚えずにはいられない。



「絶対に戻ってやらない。あたしはこの世界でだって、一人でも生きていける」



 少しずつ貯めた、なけなしの金銭が収められた財布を握り締める。

 とは言うものの、少女の頭には今後の目途が立っているとは言い難い。

 外見上の齢よりも遥かに重ねているはずの精神の年齢ではあるが、そう楽観的に考えてしまうのは、こちらの社会をよく知らないが故か。


 進む先へと向き直り、僅かに痛む脚を前へと進める。

 その少女、この世界においてベルナデッタと呼ばれる娘は、市街区へと通じる道を再び歩き始めた。





 大勢の人々が行きかう大通り。

 そこへと踏み入れたベルナデッタは少しだけ気圧された。


 人に連れられて何度か来た場所ではあるが、一人だけで来るとまた違った印象を受ける。

 それは一人であるという開放感からであると同時に、頼れる者の居ない心細さから。

 とはいえそれも一瞬。

 ベルナデッタは自由となったが故の喜びから、再び歩を進めて、普段と変わらぬ市街区の通りを上機嫌で歩く。




「さて、まずは住む場所と……仕事ね」



 歩きながら、浮かれた表情を少しだけ引き締めて呟く。

 自身の立場が現状では貴族であったとしても、その手元に有る少ない額で生きていけると考える程に、おめでたい思考をしてはいない。


 ベルナデッタとてこの世界へと来る前は、それなりの年齢であり、日本ではそれなりに社会生活を営んでいた。

 住む場所、食事、衣服。生きていくのに必要な物は多岐にわたる。

 そしてそれを手に入れるためには、先立つモノを手にする手段を確保しなければならないのは、十分に理解していた。

 いつまでも開放感から浮かれてなどいられない。


 周囲を見回せば、通りに立ち並ぶ露店や屋台の所々に、文字が掘られた木板がぶら下がっているのが見えた。

 これまでの一年弱で、ある程度の文字を習得していたベルナデッタは、それが人を募集するためのものであると理解する。



「荷運び……は無理そうね。あたしの体力じゃ厳しいし、そもそもオークとかの種族くらいしかお呼びでないだろうし」



 何件かの募集を眺めていくが、なかなかこれといったものが見つからない。

 ベルナデッタが元の世界で覚えた技術といえば、PCを使っての経理や接客の類であろうか。

 とはいえ接客はともかくとして、PCを使っての作業などがこの世界で役に立とうはずもない。

 自然と探すのは接客業、あるいは特殊な技能を必要としないものとなる。



「中身はともかくとして、外見は若いんだし……一から覚えればいいか」



 どこかの店に見習いとして入り込むのも一つの手ではあった。

 それが現実的であろうかと考えていると、通りから見える路地の奥。一件の酒場に立てかけてある板が目に入る。

 ベルナデッタはその板に彫られた募集の内容に書かれた、一つの文言に惹かれた。



「住み込み可能……か。むしろ有り難いかな」



 示されている給与は比較的安いものの、眠る場所に困らないというのは、行く当てのない身には魅力的だ。

 考えるのは後回しにし、思い切って回転準備に追われる従業員の男へと話しかけてみる。



「ん? どうした嬢ちゃん。ああ、表の募集を見て来たのかい」


「どうにか雇って頂けませんでしょうか?」



 この世界における雇用の契約など、言葉一つでどうとでもなるものだ。

 王宮や貴族に仕える使用人といった、身元を洗われるような職種などであればともかくとして、一般におけるそれは単純な会話によってのみ可否が成立する。

 提出するべき書類の類も存在しない。



「そうだなぁ……正直人手も足りてないし、給仕と皿洗いを兼ねてなら――」



 男の告げようとしている言葉に、最初から成功であろうかと、瞬間喜んだ。

 しかし男の言葉尻は徐々に小さくなり、目の前に立つベルナデッタをジッと見つめ始める。

 いったい何であろうかと考えてベルナデッタがたじろぐと、それまで普通に会話していた男の調子がガラリと変わるのを感じた。



「いえ、申し訳ありませんが、当店は現在人の募集を行っておりませんで。はい」


「え? ですけど外に求人の看板が……。それにさっき人出が足りていないって――」


「すみません、こちらの手違いでして。ささ、お出口はあちらですので、次回はお客様としてのご来店をお待ちしております」



 言葉の使い方はともかくとして、その促す姿勢は些か強引だ。

 お前は雇えないから早く出て行けと言わんばかりの態度に、ベルナデッタは困惑する。

 店の外へとベルナデッタを半ば強引に押し出し、男は会釈して酒場の扉を閉めた。

 後に残るのは呆然と立ち尽くし、状況の理解できぬベルナデッタのみ。




「な、なんなのよアレ! 急に態度変えて!」



 ベルナデッタは単純に憤る。

 もしベルナデッタに無礼な態度があったのだとすれば、丁寧な態度から一変するというのもわからなくはない。

 しかしむしろ変わった態度は、腫物を触るかのようなものであり、その変わり様は若干理解に苦しむものではあった。

 だが咄嗟の状況であり、今のベルナデッタにはそれを冷静に考えるだけの余裕はない。



「まあいいか……他にも店はあるはずだし……」



 どこか釈然としないものを感じながらも、気を取り直して次を探しに向かう。

 まだ昼を少し過ぎた程度であるとはいえ、秋も深まり日も短くなりつつある。

 早く何がしかの成果を得なければならないだろう。


 気合を入れ直して再び探し始めると、程なくしてまた住み込みの仕事を発見する。

 次こそはと息巻いたベルナデッタであったのだが、結果は先程と同じ。

 いや、結果だけではなくそれに至るまでの経過さえも同じであった。。

 先程と同じ妙な対応によって追い払われる結果に終わったベルナデッタは、状況が理解できずただ呆然と立ち尽くした。





 徐々に日が傾きつつある午後。

 人通りの多い広場の片隅で、ベルナデッタは肩を落としてベンチへと腰かけていた。

 すぐ真横に立っている屋台で買った果実水を口に含みながら、背もたれへと身体を預けて脱力する。



「何がどうなってんのよ」



 最初の酒場を皮切りに、次に訪ねたのは女性向けの衣料品店。

 更にその次は雑貨屋、果物屋、宝飾品店と次々に断られ続けた。

 ただ普通に断られるのであれば、それも致し方なしと割り切れる。

 しかし毎度最初こそそれなりの好感触を得られてはいるのだが、少しすると急に態度を変えて断るのだ。

 それこそ最初の酒場と同じように。

 中には最初から随分と丁寧な断り方をする者も居はするのだが。



「あたしが何かヘマでもやらかした……?」



 そうなっている理由は定かではない。

 ベルナデッタが知らないだけで、こちらの世界には雇ってもらうのに必要な何かが存在するのか。

 それとも知らず知らずの内に無礼を働いているのか。

 それすらも判別できない。


 いい加減挫けそうになり始めたベルナデッタであったが、ここで諦めて大人しく屋敷へと戻るのも口惜しい。

 もう少し頑張ってみようかと思い、座って投げ出した脚へと力を入れた時。

 不意に自身へと声が掛けられたのに気が付いた。



「あらあら、貴族のお嬢さんみたいだけれど、こんな所に一人でどうされたのかしら?」



 その声は自身の隣、ベンチの片隅から聞こえてきた。

 重そうな掛け声と共に座るその人物は、買い物を終えて小休止を挟もうとしているであろう、杖を突き目深にフードを被った年配の御婦人だ。

 ベルナデッタは少しだけ周囲を見渡し、自分に言っているのかと問うように、その指を自らへと向けた。

 老婦人は柔和な表情でゆっくりと頷く。



「えっと……どうしてあたしがそうだと?」



 ベルナデッタのした質問に、しばしキョトンとしていた婦人であったが、やがてクスクスと笑い始める。

 その意味に気付けずにいたベルナデッタは、ただ困惑したまま答えを待つばかり。



「ごめんなさいね、ついおかしくって。だって貴女、どう見ても貴族のお嬢さんにしか見えないんですもの」


「あの、ですからどうしてあたしが貴族だと……」


「それは勿論、そんな綺麗な白い服を着ているなんて、絶対に私たちのような庶民では有り得ませんでしょう?」



 その言葉に、ベルナデッタは勢いよく自身の着ている服を見下ろす。

 薄紺色の上着の下には、微かに砂埃などの汚れが見えるが、十分に綺麗な純白の衣服。

 次いで周囲を歩く通行人や、露天商、見回りをする兵士などを見る。

 季節による服の違いや、流行の有無などではなく。誰一人として白い服を纏う者は居なかった。

 よく見れば、遠目からベルナデッタへと視線を送る者がチラホラと散見する。


 これまで市街へと出かける時には、壮年のメイドが用意してくれた服を、ただ何も考えずに着ていた。

 差し出された外で着る服と、屋敷内で纏うものがどういった違いで、どのような理由によって選ばれているかなど考えもしていなかった。


 純白の衣服は貴族の証明。

 これはこの世界に置いて、家紋などを用いずとも一般の市民と王侯貴族を見分ける、単純な指標となっていた。

 それはこちらの世界では、まさに常識とも言えるものだ。

 しかしベルナデッタがこれまで得てきたこちらの知識には、記されていない内容でもある。

 屋敷で仕える執事やメイドなどは、多少白い装束を纏ってはいるものの、あくまでもそれは部分的なもの。

 上着を除いた全身を白で固めるといったことはしていない。



「それで断られたんだ……」



 途中から様子がおかしく、あるいは最初の時点でおかしかった理由にも納得がいく。

 明確に貴族であると主張する格好の者を、好んで雇おうとする店などないだろう。

 本物の貴族であればどんな面倒事を持ち込むとも知れぬし、そうでないとしても何がしかの事情を抱えているともしれない。

 どちらにせよ雇う側からすれば、リスクが高いと判断するのは、致し方のないことであった。



「どんな事情があるかは知らないけれど、あまり気を落とさないようにね」



 優しい言葉を向け、肩にポンと手を置いた老婦人へと顔を向け、小さく「ありがとう」と答える。

 婦人は休憩を終えたのか、それだけ言うと手にした杖を頼りに立ち上がり、そのまま広場から住宅地の方へと向けて去って行った。




 一つため息を衝き、ベルナデッタも立ち上がる。

 これで受け入れてもらえぬ理由は判明した。ならば急いでそれに対処すればいいのだ。

 新品は無理だとしても、古着であれば一揃えできるだけの予算は持ち合わせていた。


 立ち上がり、反骨心から拳を握りしめる。

 とりあえずは着替える服を買うべく、周囲に衣料品を扱う店がないか見回しながら、手持ちの額を確認しようと上着のポケットへと手を伸ばす。



「……あ、あれ?」



 手をポケットへと突っ込みはしたものの、そこに本来あるはずの財布はなく、手が宙を切る。

 瞬間ベルナデッタの顔は青くなり、上着のポケットだけではなく、下に着た白いシャツの内側やベンチの下などを探す。



「な、ない……。ない! なんで!?」



 先ほどまで確かに持っていたはずの財布。

 探せどもどこにもなく、焦りの色を隠せない。

 ついさっき、ベンチに座る前に隣の屋台で果実水を買った時には、確かに持っていた。

 無くさぬよう上着のポケットへ入れたのを、確かに確認していたのだ。

 だとすれば……。



「まさか……」



 自身を慰める言葉と共に、肩へと置かれた手の感触を思い出す。

 まさかとは思うが、気を取られたあの瞬間に盗まれたのだろうか。

 慌てて老婦人が去った方向を向くが、その姿は既にない。


 人目も憚らず全力で駆け出す。

 人混みを掻き分け、幾度となく人とぶつかっては短く謝り。親切に見えた老婦人の後ろ姿を追う。

 そのうちに少し先へと、フードを目深にかぶった人物の背が見え、咄嗟にベルナデッタは声を発した。



「ちょっと! 待ってよ!」



 人混みの中ではあるが、叫ぶベルナデッタの声に反応したであろうその人物は、咄嗟に振り返る。

 その顔は確かに、先ほど声をかけてきた老婦人だ。

 追いかけるベルナデッタに気が付いた老婦人は、しまったとばかりに表情を変え、その手にした杖を放り出して路地へと飛び込んでいく。



「な、なによあれ! 人をペテンにかけて!」



 足腰の悪い老人を装っていただけで、その実問題なく歩けるどころか、走るのすら可能であるようだ。

 弱者を装ったスリに対して頭に血の昇ったベルナデッタは、それまでよりもぐっと足に力を込め、全力で駆けた。

 路地に逃げ込んだスリを追い、見ず知らずの道を進む。

 途中何度も道端に置かれた箱や小石を投げられるも、必至に追いすがる。



「待ちなさいよ! 返しなさいってばあああ!」



 叫び懸命に追うも、スリはその外見よりもずっと体力があるようで、なかなか距離を縮められない。

 その上、土地勘の違いもあるのだろう。

 何度も道を曲がるにつれ、次第にその距離は話されていき、終いには後ろ姿も捉えられぬだけの距離を離されてしまっていた。




「ハッ……ハァッハァ……」



 交差する道に差し掛かったところで、遂には体力も限界を迎える。

 それにこの先スリがどちらへと行ったのかすら判別がつかない。

 これ以上追いかけるのは、現実として不可能であった。


 荒い息を必死に抑え込み、深く息してなんとか呼吸を鎮める。

 どうしよう、どうしようと。そればかりが頭を巡った。

 盗られた財布が無ければ、雇ってもらうに必要な新しい服を買うことすらできない。

 それにどこにも泊まれないし、食事すら摂れない。


 そして更にもう一つ、深刻な事態がベルナデッタの身には起きてしまっていた。



「ここ……どこよ……」



 傾きかけた陽の射し込まぬ、深く暗い路地裏。

 これまで一度たりとて見た記憶もないその道で、ベルナデッタはまたもや立ち尽くす破目となっていた。



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