16
広い食堂の中へと残され、ただ立ち尽くすシルヴィアとクラリッサ。
多少重くも感じられる空気の中。しばしの沈黙ののち、先に口を開いたのはクラリッサであった。
「最初はベルナデッタ様に尋ねたのですが、どうしても居場所を教えていただけなくて……。でもその後で、さっきの執事さんが迎えに来て下さったんです」
緊張の面持ちで、少し俯き加減に話す。
おそらくはシルヴィアに会いたがっているという件を、ベルナデッタを介して伝わったのだろう。
そこから上に居るデルフィーナを経由し、指示を受けたブランドンが迎えに行ったようであった。
「貴族様……でいらっしゃったんですね」
「正直、自分自身でも忘れがちですけどね。一応は」
困ったような、それでいておどけた返し。
肩を竦めて言うそれに対し、クラリッサは僅かにクスリと笑み、ジッとシルヴィアの瞳を見つめる。
何を言わんとするのであろうかと考えたところで、クラリッサが再び深く頭垂れる。
「この度は、ご迷惑をおかけしまして。申し訳ありませんでした」
迷惑をかけたとは言うものの、実質勝手に首を突っ込んだようなものだ。
もちろん周辺住民に協力を頼まれたというのはあるが、単純にシルヴィア自身が感情的になった末の選択であるが故に、謝罪を受け入れるのも躊躇われる。
どうやってそれを納得してもらうかと悩んだ挙句、ありのまま経緯を説明することとした。
「では、妹のフリをしてくださったのは、近所のみんなに頼まれて……?」
「……はい」
「そうですか、やはり。……私は幸せ者なのかも知れません」
「そうですね……そう思います」
「貴族様も含めて、私はこんなにも多くの人たちに支えてもらっていたのですね。あの子に笑われないためにも、私が前を向かないと……」
その言葉はシルヴィアを始めとして、心配をしていた者たちが最も聞きたかった言葉だ。
クラリッサが前向きとなる意思を示してくれる事こそ、最終的な目的であったと言っても過言ではない。
自身の家族に重ね合わせて同情を抱いていたシルヴィアには、自身に対する救いの言葉も同然に聞こえていた。
どこか感傷的な想いに浸るシルヴィアであったが、ふと、クラリッサの手に握られた小箱の存在に気が付く。
隠すように持たれ、少ない照明しか存在しないため気付き難かったが、それは紛れもなく、誰かに渡す意図を持って包装された物だ。
「……それは?」
気になり問いかけると、クラリッサは思い出したように穏やかな笑顔を浮かべ、小箱をシルヴィアへと差し出した。
「実は謝罪も込めまして、心ばかりですがお礼をと……」
「お礼……? 開けていいですか」
無垢材で作られたその簡素で小さな木箱には、清楚なリボンが掛けられている。
疑問を浮かべながら問い、クラリッサが頷くのを確認すると、リボンを解きその小さな箱を開く。
中には手にある簡素な箱と同様、緻密ではあるが華美に過ぎない装飾を施された、シルバーのリングが薄い洋燈の下で映し出された。
「いいんですか……? こんな綺麗な物をいただいても」
ここまでして貰っても良いものだろうかと思い問うと、クラリッサは静かに、語りかけるように口を開く。
「そのリングは、以前妹に贈ったのと同じ形の物なんです。お世話になったお礼にと思ったのですが……」
若干恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに。
少々伏し目がちとなりながら、クラリッサは吐露する。
「貴族様にお渡しするには、余りにも不相応な品でした。申し訳ありません」
そう言って、一度は差し出した品を引っ込めようと、シルヴィアの手に握られた小箱へと添えるべく手を伸ばす。
しかし伸ばされたその手を、シルヴィアは柔らかく掴む。
困惑の表情を浮かべるクラリッサに、小さく首を横に振って意志を示した。
「いえ、有り難くいただきます。折角下さったんですから」
「ですが……、これは宝飾品としては決して高価な部類の品ではありませんので……」
ただ単純に礼として、あるいは親愛の意味を込めてか。
妹を演じてくれていたシルヴィアに対し、クラリッサがした選択は、同じ品を贈るというものだったのだろう。
しかし間際になって渡す相手が貴族であると知り、品の選択を間違えたと考えたクラリッサの気持ちは、ある程度理解が及ぶ。
「妹さんが持っていたのと一緒のなんですよね? なら何も問題はありませんよ。自分は一時とはいえ、貴女の妹みたいなものだったんですから」
「しかしそれでは余りにも……」
「もっとも、こんな自覚のない貴族に渡すには勿体ないというのであれば、お返ししますけど」
多少強制するような物言いであるとも思える。
だがクラリッサが謝意を表す意味も込めて用意されたそれを、受け取らぬというのも気が引けた。
それにここで素直に返して、より高額な品を用意されたとしても、シルヴィアには上手く使うだけの自信が持てない。
それに何より使う機会など存在しないであろう。
派手な装飾のないシンプルなそれが、おそらく自身には丁度よいであろうと考えた。
受け取る意思を示した事により、次第に観念した様子を見せ始めたクラリッサは、僅かな笑みと共にその手を引く。
その様子を承諾と捉えたシルヴィアが、箱からリングを取り出しすと、どの指に合うであろうかと一本ずつ嵌めていった。
その中で丁度良さそうであった、右手の薬指に嵌めてクラリッサへと見せる。
そのシルヴィアの姿を見て、思う所があったのであろうか、おずおずと、クラリッサは聞き辛そうに小さな言葉を漏らした。
「あの……貴族様は――」
そう呼ぶクラリッサの言葉を制し、シルヴィアは自身の名を名乗る。
ずっと貴族様などと呼ばれ続けるのは、性には合わない故に。
「シルヴィア様は……ご兄弟は?」
「……二人。兄と弟が居ます」
一瞬、本当の事を伝えてよいものか悩む。
こちらの世界での、貴族家当主としてのシルヴィアには、家族が存在しない。
それを伝える事への不都合を考えはしたが、これまで騙し続けたクラリッサに対しては、可能な限り誠実でありたかった。
あちらの世界に存在する、クラリッサの妹を演じるに至った動機ともなった本来の家族の存在について。
「ずっと遠くに暮らしていて、次はいつ会えるかも知れませんけれど」
「お二人ともシルヴィア様のご領地に? それはお寂しいでしょうね……」
寂しいだろうというクラリッサの言葉に、少しだけ心が揺さぶられる。
兄はともかくとして、羨望と嫉妬を向けた弟との距離は、寂しさと言い表わすに相応しいものであるのかは定かでないが。
ともあれそれを表に出す訳にもいかず、シルヴィアはただその言葉を肯定した。
「そうですね。そう容易く帰れる距離でもないので……」
決して嘘は言っていない。かといって本当の事を告げてもいない。
正直に在りたくとも、流石に異界から来たなどという話をする訳にもいかず。
遥か遠方にある、自身が行ったこともない領地に居るという体にしておく。
しかしどういった意図で兄弟の存在を問うたのか、シルヴィアにはそれが測りかねていた。
「お優しい方たちなのでしょうね」と呟くクラリッサからは、それ以上先の言葉は出てこない。
何度か言葉を発しようとする素振りこそあるものの、その度に口を噤む。
何か伝えなければならない事柄が存在するのか、それとも自身の分に不相応な言葉を抱えているのか。
そう考える内に、シルヴィアは自身の指に嵌められたそれ。
クラリッサの妹、カリーナがしていた物と同じ指輪を見、これが贈った行為の奥に潜むものが見えた気がした。
「あの……また時々、会いに行ってもいいですか?」
「……え?」
不意にシルヴィアが発したその言葉に、唖然とした様子を見せる。
自ら首を突っ込んだとはいえ、結果として騒動に巻き込まれ、自身も傷を負ったというのに。それでも再び会いたいと告げたのだ。
クラリッサが訝しく思うのも、無理からぬものがある。
しかしその問うた内容は、クラリッサが最も望んでいるであろう言葉だと、シルヴィアには思えてならなかった。
噤んだ口の奥へと留まった言葉は、『また会えるだろうか』という内容であると。
妹役を演じて暮らしていた日々は、クラリッサにとって依存の度合いこそ強かったものの、穏やかであった。
カリーナの死を受け入れた今に在っても、それを一度に手放すのが辛いように見えてならなかった。
「ほら、色々と壊してしまった家の修理も手伝いたいですし」
若干の言い訳を挟む。
基本的には貴族であるその身が、勝手に街へと出歩いて会いに行くというのは、決して褒められた行為ではない。
結婚し市街で暮らしているベルナデッタや、度々抜け出しては遊びに出ている、この屋敷に暮らす男連中などの例がありはするけれども。
おそらくは、クラリッサもそれを理解しているからこそ言い澱んでいたのであろう。
「ですが、シルヴィア様にそこまでしていただく訳には……」
「別に気にしなくてもいいんですよ、名ばかりの田舎貴族なんですから。それにこれから先、ベルナデッタの家に顔を出す機会もあるでしょうし、その時にでも」
事実を事実として受け入れた今のクラリッサであれば、亡き妹の影を見るということも無いであろう。
しかし今はベルナデッタの屋敷で保護され、しばらくはそこで暮らす事になってはいるものの、そのうち自身の家へと戻る日が来る。
その時に、あの広い家で独りとならぬように。時々であっても寄り添う者が必要であると思えた。
近隣の住民たちという存在は居る。しかしそれよりも、住む距離以上の近しい存在が必要であると。
それを自覚しながらもクラリッサが受け入れがたい仕草を示すのは、自身とシルヴィアとの間にある立場の違いを自覚してのものだ。
「そうですね……なら単純に友人として会いに行く。それでどうです?」
その言葉に、クラリッサは多少抵抗の薄れた様子を見せるが、それは自身に対する言い訳をしたかのようでもあった。
友人ならば。一般の市民と貴族という違いはあるものの、そこに親交という繋がりが存在するならば。
再び会うための理由を与えられようとしているクラリッサの頬へと、微かな朱が差したようにも見える。
友人と言い表わしたシルヴィアであったが、その実の意図する所としては、今度は互いに同意の上で、依存とは異なる傷の舐め合いをしようというものに近い。
それはある種、利害の一致によって成り立つ関係と言い表わすべきものであるかもしれない。
おそらくそれは、クラリッサも察しているのであろう。
言葉と共にシルヴィアが差しだした手を、ジッと見つめる。
そのクラリッサの目は、どこか遠いモノを映しだしているようでもあった。
一瞬だけ、少しだけ顔を上げたクラリッサと、それを見つめるシルヴィアの視線が交わる。
どちらともなく口元は薄く綻ぶ。
どこか弛緩し始めた空気の中で、差し出されたそれへと、そっと添えたクラリッサの手を。
柔らかく照らす洋燈の灯りが映しだしていた。
話しの区切り方って……難しい……。




