04
「(わからない……)」
トリシアと名乗る、おそらくはメイドであろう娘がベッドへと置いた服を目にし、雄喜は困惑する。
今現在雄喜が着ている、袖がなく一切の装飾を排した白のワンピースと酷似した白い服を前に、どうすれば良いのかと悩んでいた。
同じ物かと思いきや、よくよく近くで見てみれば微妙に意匠が異なっている。
アイボリーがかった糸で、部分的に花柄の刺繍を施してあるのだ。
この刺繍の有無による違いは定かでないが、新しく用意された方は、今着ている物よりも若干丈が長いようにも見える。
今は膝までしかない丈が、脛までは届きそうな程には。
しかし雄喜の困惑は服のデザインにあるわけではなく、もっと根本的な問題であった。
「(どうやって着ればいいんだこれは……)」
穿けばいいのか、それとも被るのか。着方もわからなければ、今のワンピースをどう脱げばいいのかさえもわからない。
これまで二十数年を男として生きてきた雄喜には、女性の服に関する知識がまるでなかった。
家族に姉か妹でも居れば違うのかもしれないが、兄弟は兄と弟が一人ずつ。
母も小学生の頃に亡くし、家は完全な男所帯。
そして残念ながら雄喜はこれまで、目の前で着替えをしてくれるような親密な女性にも恵まれなかった。
着替えを目の前にして固まる雄喜の背後で、トリシアは僅かに首を傾けて、薄く訝しげな表情を浮かべる。
どうやら彼女がこれまで世話をしてきた相手の中には、服の着方がわからない者がこれまで存在しなかったようだ。
雄喜は自身が、本当は男であると告げていない。
あまりに荒唐無稽な話であるが故に、それを告げるのを躊躇われたために。
なかなか動きを見せぬ様子に、トリシアがなにか不足があるのかを問おうとしたのだろうか。
声を掛けようとしたタイミングで、雄喜は意を決したのかのように裾を掴み上へとめくり上げた。
これまで来ていた服を脱ぎ放ち、ベッドの上へと放り投げる。
そして同じくベッド上に置かれていた下着を乱暴に穿き、真新しいワンピースを頭からかぶった。
頭と腕を通した勢いそのままに後ろを振り返り、トリシアの表情を窺う。
それに応えるかのように、ニコリと笑顔を返すトリシアの様子に雄喜は安堵した。
どうやら妙な間違いは犯していないようだ。
「ではそのままベッドにお座り下さい」
そう告げるトリシアがサンダルを手にしている様からすると、どうやらそれを履かせてくれるようであった。
大人しくその言葉に従って座ると、目の前で膝をついたトリシアに、薄い革製のサンダルを履かせてもらう。
靴を履かせてもらうなど、幼少期に母親にしてもらって以来だ。
優しい手つきでサンダルを履かせてくれるメイドをみながら、雄喜は自身の記憶へとおぼろげに残る母親の姿を思い出す。
顔立ちや背格好は明らかに違うのだが、柔らかそうな髪や柔和な表情などがどことなく、微かに記憶へと残る母の姿と重なって見えていた。
「ではご案内させていただきます」
サンダルを履かせ終えたトリシアは立ち上がり、そう告げると雄喜の肩に薄手のストールをかける。
そのまま扉へと歩むと、外へと出て扉を手で支え、雄喜が部屋から出るのを待つ。
行動を促された雄喜は、幼い頃の記憶を振り払い、言われるがままベッドから立ち上がり外へと歩みを進めた。
扉から外へと歩み出ると、そこは左右に伸びる長い廊下。
人が四~五人並んで歩ける程の幅を持ったそこは、石のタイルが全面に貼られ、視界の先まで伸びている。
壁面へと目を向ければ、白塗りの壁に所々小さな照明が灯り、廊下全体を柔らかく照らしていた。
「こちらへどうぞ」
長い廊下をトリシアの後ろについて歩いていく。
周囲を見回すと、十五メートルほどの隔毎で左右に扉が現れ、その上にはプレートが据えられている。
見たこともない意匠が刻印されているが、おそらくは部屋の番号か名前を現すものが施されているのであろう。
どれだけ大きな建物なのか、その進む先へと視線を向けるも、息つく先が見えない。
「どこまで行くんですか?」
「もう少し先になります。申し訳ありません、なにぶん広いお屋敷なものでして」
先の見えぬ行先に不安を感じ、トリシアへと問う。
しかし帰ってきた答えはこれといって具体的なところを欠くもので、雄喜の不安感を晴らすだけのものとはならなかった。
仕方なしに大人しくついていく雄喜が、いくぶんその広さに呆れ始めた頃。
部屋から出て八つ目の扉を過ぎたあたりで、右側の視界が開ける。
そこはかなり広いが、中庭のようであった。
一方には、雄喜が歩いて来た白亜の建物。
残る三方を同じく白い石造りの建物と、三十メートルほどの高さをした尖塔によって囲まれている。
地面には蕾を付け、開くのを待つばかりの花々が植えられた大きな花壇が、庭全体の三割近くを占めていた。
雨はいつの間にかあがっていたようで、先程まで空を覆っていた雲は去り、暖かい日差しが柔らかく降り注ぐ。
その中庭の隅、作業小屋か物置であろうか。
花壇に囲まれた中に、中庭を囲う建物が石造りの中それだけは丸太を組み合わせた、いわゆるログハウス調の作りをした平屋建ての小屋が一棟。
そのまま中庭へと進むトリシアの後をついて、不揃いに敷かれた石畳の上を進む。
石畳の敷かれていない土が剥き出しの部分は、先ほどまで降っていた雨のせいだろうか、随分とぬかるんでいる。
土の上を歩く破目になっていれば、足も白い服もドロドロに汚れてしまっていただろう。
先導するトリシアが向かっているのは、どうやら先程見えた小屋のようであった。
雄喜はどこかしら応接室のような部屋に通されるものだと思っていたため、些か拍子抜けする。
小屋の少し手前まで来ると、トリシアは立ち止まり、後ろを振り返り告げる。
「ユーキ様」
「なんです?」
上手くその名が発音できないのであろうか。
そこだけは若干外国語の訛りを感じさせる言葉で、雄喜へと声をかける。
「今からお会いする方なのですが、その方はユーキ様と同郷のお方でいらっしゃいます。ですが少々……ユーキ様にとっては見慣れぬお姿をされているのではないかと思われます。驚かれるかとは思いますが、とても良い方ですのでご安心くださいませ」
奥歯に物が挟まったかのように言い澱む。
どうやらその相手は、随分と見た目のインパクトが強い人物であるようだ。
非情に個性的な恰好をしているのか、それともとてつもない巨漢か。
あるいは雄喜のように、肉体がなんらかの形へと変異したのか。
トントントンッ
部屋に入ってくる時と同じ調子で、トリシアは小屋の扉をノックする。
そこから間髪入れず、中から返事が返ってきた。
「おーーーう」
「トリシアです。目を覚まされたのでお連れいたしました」
「おう、すまねーな。勝手に入っとくれや」
トリシアの丁寧な所作とは対称的な、鷹揚な印象を受ける間延びした声。
緊張と共に開けられた分厚い木の扉をくぐり、雄喜は薄暗い小屋の中へと導かれていった。