13
「ああ、そこまで緊張しなくてもいい、気楽にしてくれ。中尉、彼に椅子を用意してやってくれ」
「はい」
どこか愉快そうな様子である女性の指示を受け、中尉と呼ばれたジーナはシルヴィアが座るための椅子を執務机の前へと置く。
指示を出した赤茶色の髪をした女性よりも、若干ではあるがジーナの方が年上であろうか。
しかしそれを気にした様子もなく、淡々と言う事を聞く様子から、二人の間にはある程度の地位や身分による差が存在するのだと知れる。
シルヴィアに対し、"彼"という表現をしたのは、その内面が男性であるという事については既に知っているためであろう。
「マリアナ、ここから先はお前には知る権限の無い話しだ。そのまま騎士団に戻りなさい」
「了解いたしました」
椅子を置いたジーナはシルヴィアを座らせると、その手に持っていた杖を受け取って告げた。
すぐさま了解の意を示し、一礼して退出するマリアナ。
本来階級に寄る上下はあったとしても、そこに命令を下す権限を持たない軍と騎士団の関係性。
知識の片隅に、そういった話を記憶していたシルヴィアには、その受け答えはとても奇妙な物に感じられた。
「了承も無く連れてくるような真似をしてしまい、申し訳ない。とはいえ、我もなかなか時間が取れなくてね。丁度タイミングの合った今、お出で頂いた訳だ」
言葉とは裏腹に、その様子からはこれといって悪びれた様子はない。
喋る仕草にしても、女からは普段から人を使う側に慣れた者らしい雰囲気を感じさせた。
少なくともシルヴィアの抱いた感想においては。
「……で、貴女はいったいどなたなので? そちらは俺に関する情報をお持ちでいらっしゃるようですが」
多少どころか、随分と棘のある物言いだ。
訳あって与えられた物であるとはいえ、シルヴィアとて曲がりなりにも子爵という位を与えられ、貴族に名を連ねる者だ。
その相手に対して、言葉の使い方とは異なり遠慮する様子の無い女性の態度からは、その地位がシルヴィアよりもずっと上の存在であると察するのは容易ではある。
横で立ったまま聞いているブランドンが、シルヴィアに対する接し方について、これといった反応を示さない様子からもそれは確かであろう。
そんな相手に対して、攻撃的な言葉をぶつける事にリスクはある。
だが、このまま相手の素性も知らずに話を続けるというのは、シルヴィアにとっても納得のいかぬものであった。
「これは失礼をした。月並みではあるが、あまり名を問われる機会はそう多くないものでね」
「軍の関係者であるってのは、普通に理解できますがね」
昨夜からの緊張と疲労によって、若干テンションが狂っているためであろうか。
軽い調子で語ると、女性は気にする様子もなくあっけらかんとして、「それもそうだ」と返す。
「……シルヴィア様、このお方は――」
「よい、自己紹介くらい自分でするさ」
シルヴィアが発した二言目の言葉には、少々問題があると考えたのであろう。
ブランドンは窘めるのを兼ねるかのように、横から女性の素性を明かそうとしたが、その女性自身の声によって遮られる。
少しだけ言葉を溜めた後、その女性は椅子から立ち上がると軍隊式の敬礼をし名乗る。
「我は名を、デルフィーナ・カノーヴァという。軍では情報局の総監などという、大層な役目を仰せつかっている、ただの小童だ」
「……カノーヴァ? まさか……」
この国、この世界において、姓を持つ者は貴族などごく一部に限られる。
その中でも、カノーヴァ姓を名乗ることができる者は僅か数人でしかない。
その名を背負う者、それはつまり――
「王族……」
「ああ、殿下などと仰々しい呼び方は勘弁してもらいたい。ここでは気安くデルフィーナと呼び捨てて貰って構わん。気が向けばデルちゃんでもいいぞ?」
座りながら、からかうように弾む声の調子と愛想を纏った表情をシルヴィアへと浮かべる。
とは言うものの、そのような真似など出来ようはずもない。
この世界での常識について、まだ完全に把握しているとは言い難いシルヴィアであっても、流石にそれは躊躇われた。
こちらの世界での王族とは、元の世界におけるそれとは意味合いが大きく異なる。
世界にただ一つ。この国のみしか存在せぬ以上、それはまさしく世界の支配者を意味するものであった。
「確か……第四王女でしたか」
「よく知っておるではないか。ブランドン、お前の教育の賜物であるな」
「恐縮であります。……教育をしたのは私ではなく、メイドでありますが」
デルフィーナの言葉に、発言を制されて以降直立したままであったブランドンは、畏まって答える。
その時点までなかなか切り出せず問えなかったシルヴィアであったが、この場で最も知りたかった疑問をぶつける機会であると考えた。
「で、どうしてブランドンがここに居るんだ?」
その言葉の奥へと、攻撃的な気配を込めて問う。
シルヴィアに対して大きな秘密を抱えていたまま仕えていたであろう執事。
その相手に対し、それなりの警戒心を持つのは当然の反応といえる。
ある程度答えの予測はついていたシルヴィアであったが、言葉にしてそれを聞きたかった。
しかしその問いに答えたのは、当の本人ではなくデルフィーナだ。
「なに、こやつも我と同じく軍の情報局に所属しておるのだ。あの屋敷に執事として居るのもその職務の一環になる」
この返答はシルヴィアにとって予想通りの内容といえた。
というよりも、状況的にこの場へと居続けている時点で、ブランドンが軍に所属しているというのは想像に難くない。
「なるほど……そうでしたか。ところで、先程からおっしゃってる情報局というのは?」
「そうだな、例えて言うならばお前たちの世界における、公安やCIAとかいう組織と似た様なもの。そう捉えてもらえば問題はないだろう」
不意にデルフィーナの口から飛び出した、元の世界に関わる単語に対し、シルヴィアは強烈な違和感を覚えた。
当然それらに関する知識は、これまで召喚された者たちから得てきたのであろうが。
「情報局の役割は多岐にわたる。情報の収集、対象の監視。お前たち召喚者の護衛も我らの任務だ。ある者は騎士団に入り込み、ある者は執事として、そしてある者は武術の師として近づいてな。彼女に詳しい事情を説明をしたのは、つい先程ではあるが」
その言葉に、ジーナはシルヴィアへと視線を向けて僅かに頷いた。
この説明によって合点がいく。つまり護身術の指導と銘打って現れたジーナは、教師であり護衛役でもあったのだと理解する。
おそらくは、攫われて命の危険に晒されたシルヴィアを、これ以上危険な目に遭わせないように。
もっとも、それは今回あまり上手くいかなかったようではあるが。
そして同時に、今回襲われた時に助けに来たジーナの後から現れたという仲間の存在。その正体についても、これでハッキリとした。
ここへと連れてきたマリアナにしても、軍に所属しながらも何らかの目的によって、騎士団の一員として潜り込んでいるのであろう。
「ブランドン、この事を他の連中は知っているのか?」
「ご存じなのは、アウグスト様とハウ様のみです。他の方には今のところお教えしてはおりません」
確かに必要のない情報とも言える。
自身の生死がこの世界にとって影響を及ぼすとはいえ、その行動を見張られていると知っていては、碌に気の休まる暇もないであろう。
「貴女方に関しては、ある程度理解できました。でもどうして俺をここに? 教えずにいたままの方が、周りに悟られにくいのでは?」
「確かにそうなのだろうがな。あえて直接会って話すことにした理由は二つある」
デルフィーナはその軽い調子の言葉を、僅かに引き締める。
緊張、と言ってもいいのであろう。
部屋の空気が少しだけ張りつめたものへと変わり、シルヴィアの背は自然と伸ばされる。
「秋頃の話だ。とある宗教団体が、信徒を洗脳し操作するためにとある薬品を使用していたという事が判明している。それは服用した者の精神を破壊し、本来の力以上のものを発揮する狂信者へと変えてしまう品だ」
「……宗教団体……ですか?」
「まぁぶっちゃけて言えば、君を攫った新教団のことだよ。君は気付かなかっただろうが、我々も裏では救出に力を貸していたのだ。護衛をしくじった責任もあるしな」
説明を受けて、シルヴィアはようやく思い出す。
自身に対し凶行に及ぼうとした司教を倒し、連れ去った人物が居たというのを。
その事を呟くと、横に立つブランドンが小さく咳ばらいをした。つまりはそういう事なのであろう。
「その薬品というのは、麻薬みたいなものですか?」
「まぁ似たような物であろうな。連中は聖水だなどと称して信徒に飲ませていたようだが」
デルフィーナの口にした、"聖水"という単語にシルヴィアの意識は反応する。
自身を捕えた司教の拷問によって、無理に飲まされた液体の存在。
「それって……神判の聖水とかいう……」
「それだ。君が強引に飲まされたというそれは、想像する以上に危険な代物であったわけだ」
告げられた言葉に、シルヴィアは緊張する。
あの時は意識が朦朧とし、胃の中身を全て吐き出す程度で済んでいた。
しかし一歩間違えば、取り返しのつかない程に精神を蝕まれる劇薬であったと聞き、背筋を凍らせる。
「結局は聖水などではなく、どこぞやの連中が精製した、それこそ麻薬のような代物であったのだな。それを造ったと思われる連中が、今回君の命を狙った輩と関係がある可能性がある。それが君をここに呼んだ理由の一つだ」
「それじゃあカリーナが見たっていうのは……」
「君がどうして他人の振りをしていたのか、中尉からおおよその事情は聞いている。そのカリーナとかいう娘が殺害されたのは、その連中にとって不都合な現場を目撃してしまったからなのだろう」
クラリッサの妹、カリーナが殺害された理由。
そこに繋がる物が、自身にも僅かながら関わりをもった代物である可能性に関する話は、シルヴィアに少なからぬ衝撃を与えていた。
例えそれが、自身の責任が及ぶ範疇の問題ではなかったとしても。
「スマンな。我々も警戒はしていたのだが、実際に君が襲われるまで、君を狙う輩と連中が同一であると察知する事ができなかった。その点は完全にこちらの不手際だ」
立ち上がり、深く頭を下げるデルフィーナ。
それに倣ったのか、両脇に控えるブランドンとジーナもまた同じように頭垂れた。
シルヴィアも立ち上がり、慌てて頭を上げるよう言う。
謝罪は受け入れるとしても、目の前で頭を下げ続けている相手は遥か高みの存在だ。この状況が続くというのは、精神的に大きな負荷を感じる。
その言葉に伴い、頭を上げたデルフィーナは、ジッとシルヴィアの目を見ながら、語る。
「その存在は決して国に良い影響を与えはしないであろう。我々はその大元を断つためにも、何としてでも製造する連中を根絶やしにせねばならん」
静かに、強く。気楽な調子は完全に成りを潜め、決意の篭ったデルフィーナの言葉は、とても強い意志を感じさせる。
「今は小さな情報であっても欲しいというのが本音だ。君を襲った女は、残念ながら既に言葉を交わせる状態にない。だが暗殺者にしては随分とお喋りであったと聞く。何がしかそれらしい存在を匂わせる発言が無かったか、思い出してもらいたい」
髪と同じ赤茶色の瞳は燃えるよう。
その瞳は真っ直ぐに鋭く、シルヴィアの心を射抜くかのようであった。