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「ではシルヴィア様、ご帰宅の最中は私が護衛を務めさせていただきます」



 目の下に隈をつくり、目を赤く腫らす。

 そんな状態のシルヴィアへと告げたのは、マリアナと名乗る女性騎士であった。

 柔和な笑顔を浮かべるその人物は、屈強な騎士たちの中にあっても尚繊細な空気を感じさせる。



 昨夜の襲撃の後、そのまま一睡もせずに朝を迎えた。

 それからすぐにグレゴールの護衛の下、騎士団の詰所へと移動。

 シルヴィアとクラリッサはそれぞれに細かい事情を聞かれ、知りうる限りの情報を話した。

 結局それら全ての聴取が終わったのは、昼近くになってからだ。

 その間は睡眠どころか、一度たりとて休憩を挟んではいない。


 緊張からか睡魔は何処かへと去ってしまっている。

 とはいえシルヴィアの身体は、脚に負った傷の事もあり、限界に近づいていた。



「さあこちらへ。馬車をご用意しておりますので、お屋敷へ帰られるまでの間は眠っていただいて構いませんよ。短い時間ではありますが」


「すみません……ご迷惑をかけます」


「いいえ、お気になさらず。これも我々の職務の一環ですので」



 マリアナは優しくシルヴィアの肩へと厚手のストールを掛け、手を差し伸べて馬車の上へと誘導する。

 用意された馬車は一頭立ての小さなものだ。

 とはいえ、簡素ではあるが完全に全面を木枠で覆われた、人を乗せるための空間が設えられてした。

 中に入ると小窓には暗い色のカーテンが閉められ、外から中を窺えないようになっている。


 人が二人も並んで座るのが精々といった程度の広さの座席が二つ。

 そこにシルヴィアと対面するように座り、マリアナは安心するよう告げる。

 二人が座ったのを確認した御者は、馬車に繋がれた馬を走らせ、シルヴィア本来の家である、上街区に在る屋敷へと進み始めた。


 マリアナ以外の同乗者は居ない。

 騎士団の詰所から出る時にグレゴールから聞いた話では、クラリッサはグレゴール自らが送り届けるとのことであった。

 ただその行く先は、シルヴィアも滞在していたクラリッサの自宅ではなく、ベルナデッタ邸だ。

 当面はそこで騎士団の護衛付きで暮らすのだという。



「……当然か」



 誰に伝えるでもなく、ただ自身へと言い聞かせるよう、小さく呟く。

 今後もクラリッサが狙われるとも限らないが、用心しておくに越したことはないだろう。

 護衛を置いておくにしても、より目の届く範疇に居て貰う方が都合がよい。グレゴールという大きな戦力も居ることであるし。



「どうかされましたか?」



 先程シルヴィアが呟いた言葉が耳に入ったのであろう。

 向かい合って座るマリアナは何事であろうかと問いかけた。



「いえ……ちょっとした独り言ですので」


「そうですか? 何かあれば申し付けてくださいね」



 そう言って、マリアナはシルヴィアから視線を外し伏し目がちとした。

 その様子は関心の無さからくるものというよりも、シルヴィアが視線を浴び続けることによって、精神的な負担を感じぬよう配慮された末であるようにも思える。

 言葉尻の柔らかさも含め、細かな気遣いのできる人物なのであろう。


 騎士団の中でも屈強な男たちではなく、こういった女性を護衛に選んだのも、精神状態に配慮してのものであろうか。

 あるいは単に、同性である方がより安心感を与えられると、そう考えての人選なのかもしれない。


 もっともシルヴィアは外見上はともかくとして精神は男性のそれであり、襲ってきた者も女であったため、大した効果が得られるようには思えないものではあったが。





 帰宅の途に就いたシルヴィアであったが、馬車の揺れと緊張による精神的な昂ぶりによって、眠ることもできずにいた。

 そのうえ外の景色も窺えない状態ではすることもない。

 必然として移動の最中は瞼を閉じて呆としながらも、外から漏れ聞こえてくる音へと集中するしかなかった。


 昼過ぎの喧騒に包まれた通りをゆっくりと抜け、馬車は一旦停止する。

 おそらくは市街区と上街区の間に設けられた壁の入り口であろう。

 そこで御者と警備の兵士が二言三言と言葉を交わした後、再び移動を始める。

 ほんの僅かに傾斜した馬車の様子に、上街区の屋敷へと向けて坂を上っているのだと知れた。


 冬用の服を受け取りに行っただけのはずが、随分と長く留守をしてしまっている。

 自身に懐いているフィオネは、さぞかし寂しい想いをしているであろうと考えながら、石畳の凹凸に跳ねる車輪の感触を感じていた。


 しかしある所で、シルヴィアはなにかがおかしいと感じ始める。



「(……時間がかかりすぎてやしないか? 徒歩ならそろそろ着いていてもおかしくないのに)」



 何度となく通ってきた道とは言い難い。

 とはいえ屋敷から市街区の入口へは、徒歩でもそこまでかからずにたどり着ける距離だ。

 いくら上りであるとはいえ、それよりも遥かに速いはずの馬車にしては、やけに長く走っているように思えてならなかった。



「すみません、マリアナさん」


「はい、いかがいたしましたか?」


「いえちょっと……道を間違えているのではないかと」



 少々言い辛いように感じながらも、意を決して問う。

 シルヴィアのその言葉に、マリアナは感情の動く様子もなく平然とした様子で答えた。



「そんなことはありませんよ。ただ……少々シルヴィア様の意に沿わぬ場所へ向かってはおりますが」



 その言葉に脚の痛みさえ忘れたシルヴィアは、狭い馬車の中で立ち上がる。


 しまった、と。その動揺に思考が支配され、身体に緊張が奔る。

 まさか騎士団の中にも追手の女の仲間が居たのかと考え、身構える。

 そのシルヴィアの様子に対し、若干慌てたような素振りでマリアナは否定の言葉を漏らした。



「落ち着いて下さい。私は貴女に危害を加える意志はありません」


「なら何のために、どこへ連れて行こうとしているんだ!」


「それを私の口から申し上げる権限はありません。ですが……」



 少しだけマリアナは言い澱み、警戒を続けるシルヴィアに対して確信あるかのように断言した。



「決して貴女の不利益とはなりません。それに詳しくはお教えできませんが、今から向かう場所は国の一機関が在る場所です。安全も保障します」



 ジッと、言葉以上に説得をするかのような視線を受け、それに観念したのか大人しく席へと座り直す。

 どちらにせよ狭い馬車の中であり、取り押さえようと思えば容易にそれは行えるであろう。

 おそらくマリアナの力量はグレゴール程ではない。

 とはいえ技術と体力共に劣るシルヴィアでは、到底太刀打ちできない相手であろうことは容易に想像がついていた。



「……とりあえずは信用します」



 信用と言うよりも、実際のところ他に打つ手がないのが理由であった。

 ともあれその言葉に安堵したのであろう、マリアナは軽く頭を下げて礼を言うと、再び馬車の中からは言葉が消えた。

 御者は中の様子を知ってか知らずか、停める様子もなく馬車を走らせ続け、また暫しの間シルヴィアは音を頼りに周囲を探るより他なかった。





 辿り着いた馬車から降りた場所は全体的に薄暗い。

 まだ日が落ちるには早すぎる時刻であり、そこが屋内であると知れる。

 遠くには外から入り込む明りが見えるが、ここがどこであるのかを探るだけの情報は得られない。

 辛うじて理解できるのは、ここが上街区、あるいは高宮区のどこかにある建物であろうという事のみ。

 道中一度足りとて道を下る様子がなかったため、丘の上に建てられたそれら区域にある、いずれかの建物内であるのは確実であった。

 それが有益な情報であるかは、疑いの余地は残しているが。



「さあ、こちらへどうぞ。暗いので足元にはお気を付けください」



 怪我をした脚で歩くのに必要と考えたのであろう。

 マリアナは硬木で作られた杖をシルヴィアへと差し出し、暗がりの中ゆっくりと先導した。


 冬の刺さるような空気の中、シルヴィアはその身体を若干震わせながら歩く。

 暗く冷たい通路の中で響き渡るのは、ブーツと杖が床を叩く音のみ。

 この先でなにが待つのか、気になりこそするものの、それを問うたところで答えは返ってこないだろう。



 どれだけの距離を歩いたのか。

 シルヴィアにはさほど時間は経過しているとは感じられなかったが、何処へ、何の目的で連れて行かれようとしているのかが知れない。

 その不安からか、その通路が延々と続くのではないかという錯覚に襲われる。

 とはいえそれは不安感が招いた錯覚。

 しばらくすると明りが灯された通路へと出て、観音開きの大きな扉の前へと辿り着いた。



「さあ、中へ。詳しい説明は直接お聞きになるとよろしいかと」



 マリアナはそれだけ告げ、その大きな扉を片方だけ押し開いて、中へと進むよう促す。

 ごくりと息を呑み、意を決して室内へと歩を進める。


 歩いて来た通路と同様に窓一つないその部屋は、所々に置かれた光源によって全体が十分に照らされていた。

 通路と異なり寒さを感じないのは、何がしかの手段によって室内を暖められているが故か。

 そこは来客をもてなすための応接室というよりは、特定の人物が執務を行う為に設えられた部屋であるようだ。

 その証拠と言うには心もとないが、さほど広くはない部屋の奥には、大きな執務机が置かれている。


 机の向こうに置かれた椅子には、赤茶色の髪をした人物が一人座っていた。そしてその手前に男女一人ずつ。


 その三名の内、手前の男女には見覚えがあった。

 というよりも、シルヴィアにとってこちらの世界に来てから馴染のある顔だ。



「ブランドン……? それにジーナ先生も。どうしてこんな所に」



 直立したままシルヴィアへと振り向いた二人は、確かに知った存在であった。

 片やシルヴィア自身が住む屋敷の執事。片や自身へと護身術の指導をし、昨夜は逃げるのを手助けしてくれた師。

 その二人が、何故にこのような得体の知れない場所へと居るのか。

 それを判断するには材料が足りない。

 しかし部分的にであれば、少ない情報であっても理解するに足るものはあった。



「それじゃあここは、軍の施設ってことか……?」



 マリアナは道中に言っていたはずだ。向かうのは、国の一機関が在る所なのだと。

 そしてそこに軍属であるジーナが居たということは、この建物が軍に関係する施設であるという事は容易に想像できた。

 ブランドンがそこに居る理由についてまでは、想像の範疇外であったが。



「察しが良いと助かるよ。一から説明するのは面倒だ」



 二十代の後半に差し掛かったくらいであろうか。

 声を出したのは執務机の向こうへ座る、おそらくはこの中で最も地位や権威の高いであろう人物。

 赤みの強い茶色のショートカットが映えるその女性は、立ち上がり歓待の言葉を吐く。



「ようこそシルヴィア殿。我々は貴方を歓迎する」

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